もかもお話し。一体……」
「しっ」
そのとき、仏天青のうしろから、どら声を張りあげたものがあった。
「こら、女。逃げると承知しないぞ」
仏は、むっとして、うしろを振り向いた。胸に徽章《きしょう》を輝かした私服警官が立っていた。
アンは、綱でしばられたまま手首をつと動かして、仏の服をおさえた。
「あなた、黙ってて……」
アンは、彼に注意を与えると、私服警官の方へ仰向《あおむ》き、
「あたしの夫が、帰って来てくれました。このとおり、あたしを抱いていてくれます。人違《ひとちが》いだとお分りでしょう。このいましめの綱を、解いてくださいませ」
「なんじゃ。お前の亭主が帰って来たと。なるほど、中国人らしい面じゃ……だが、本当かどうか信用できるものか」
「そんなことは、ありません。ねえ、あなた。この警官は、なにか大へん勘ちがいをしていらっしゃるのですよ。結婚のとき取交《とりか》わしたあたしの名前を彫《ほ》った指環《ゆびわ》を見せてあげてください……」
「指環? 指環どころか一切の所持品は……」
盗られてしまったと、仏《フォー》はいいかけたのを、アンは素早く引取って、話題を転じた。
「けさのことよ。リバプールの桟橋《さんばし》から、海へ飛びこんだ男があったのよ。そのとき、たいへんな騒ぎが起ったんですけれど、この警官たち、あたしが、その自殺男の妻君《さいくん》にちがいないとおきめになって、とうとうこんな目に……」
「自殺男じゃない」と、私服警官は、アンを怒鳴《どな》りつけたが「まあ、もう少し温和《おとな》しくして待っていろ、空襲が終り次第、どっちが、お前の本当の亭主だか、よく調べてやる」
仏は、黙りこくって、唇を噛んだ。
そのとき、とつぜん、飛行機の爆音を耳にした。
「ひえーッ、敵機が……」
「ああ神よ、われらを護《まも》り給《たま》わんことを」
防空壕の人々の中からは、一せいに悲鳴《ひめい》と祈りとが起った。と、あまり遠くないところで、轟然《ごうぜん》たる爆発音が聞え、大地はびしびしと鳴った。
「墜《お》ちた、近いぞ」
わァと喚《わめ》いて、逃げ腰になる。それを、叱りつける者がある。
仏とアンとの傍に立っていた私服警官は、二人を睨《にら》みつけておいて、そのまま身を翻《ひるがえ》すと、防空壕の入口の方へ駈け上っていった。
また、爆音が聞えた。今度は、よほど近い
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