戻ル。気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、文句は切れていた。
帆村はふしぎそうな顔で、山岸中尉を見て、
「この続きはどうしたのですか」
「その続きはないのです。無電はそこで切れてしまったのです」
「ははあ、そうですか」
「どう感じました。ふしぎな報告文でしょう」
「ええ、まったくふしぎですね」
帆村は、竜造寺兵曹長の無電を、もう一度読みかえしてみた。それからまた一度、もう一度と、四五へん読みかえした。読めば読むほどふしぎだらけである。山岸中尉は、帆村が何か考えこんでいるのを見てとって、そのじゃまをしないように、心痛をしのんで黙っている。
「……速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ、ソレニ続キ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニ戻ル……まるで地上と同じような状態だなあ」
と、帆村はひとりごとをいい、また次を読みつづける。
「……気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧……五百五、……気圧五百五十ミリ程度というと高度三千メートルに近い気圧だ。三万メートルに近い気圧なら、せいぜい十ミリというところだが、それが約五百五十ミリを指すとはまったく信じられない……」
帆村の目は、らんらんと輝き、まるで山岸中尉がそばにいるのに気がつかないように見えた。
魔の空間
それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。山岸中尉の目とぶつかると、帆村はいった。
「兵曹長のこの最後の報告文は、おそらくこのまま信じない人もあるのでしょうね」
中尉はうなずいた。
「兵曹長はおかしいのだといっている者もあります。機体の故障が兵曹長にひどい恐怖をあたえたのだろうという者もあります。しかし私は竜造寺兵曹長を信頼している。そんなことで頭がどうかする兵曹長ではありません」
山岸中尉は、強い信念のほどを、はっきりしたことばでいった。
「この報告がまちがいないとすると、これはたいへんな事実を知らせてきているぞ」
帆村は頤《あご》をつまむ。
「それです。私があなたに来てもらったのは。あなたはこの報告文から、どんなことを導き出しますか」
山岸中尉は前にのりだしてきた。
「そうですね」
と、帆村は、これから言おうとすることのあまりの突飛さに、思わず大きく息をする。中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。
「山岸さん。あなたは私の説に賛成せられるかどうかわかりませんが、この電文がまちがいないものとして、私が考えることは、竜造寺兵曹長の遭難した三万メートル近い高空において、この地上とほとんどかわりのない空間があるということです。これはまるでおかしなことばのようですがね」
帆村はふたたび深い息をついた。
山岸中尉は、帆村の突飛《とっぴ》な観察に、笑いだしもせず、大きくうなずいて、
「そういうことになりますね」
「山岸さん、私のことばが信じられますか」
「信じますとも。私が竜造寺兵曹長を信じているのと同じです」
それを聞くと、帆村は始めてにんまりと笑って、
「信じてくださればいいが、三万メートルの高空に、地上と同じ空間があるなどという話は誰が聞いてもおかしいからね」
「もう考えられることはありませんか」
「そうですね。もう一つあります。竜造寺兵曹長は、そのふしぎな魔の空間にすべりこんで、脱出ができないのだと思います。しかし一命にはさしつかえはないと思う。なにしろそこは地上とあまり変らない気圧気温のところであり、そして着陸場までちゃんとあるのですからね」
「着陸場ですって」
山岸中尉はおどろいて、聞き直した。
「おや、あなたはまだそこまで考えておられなかったのですか。兵曹長機の高度計が零を指すようになったというのは、そこに一種の着陸場があることなのです」
「なるほど。では前進もしないし、舵《かじ》もきかないとはどういうのです」
「それはその魔の空間に突入したので、前進しなくなったのですよ。もちろん舵をひねっても、どうにもきかないはずです」
「そうかなあ」
山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛《とっぴ》なので、すぐにはついていけなかった。しばらく考えた上でないと、帆村と同じ考えにおいつけない。
「しかし、このことを他へ話して、誰が信じてくれるでしょうか。三万メートルの高空に着陸場があるといえば、誰だって笑いだすでしょう」
「笑いたい者には笑わしておきなさい。これは勇猛なる竜造寺兵曹長が、一命をかけて知らせてよこした重大報告なのです。その報告から考えだしたことを信じない者は、竜造寺兵曹長の忠誠を信じない大馬鹿者ですよ」
帆村はついに顔を赤くそめて、きついことばをはいた。これには山岸中尉も、だまるより仕方がなかった。竜造寺兵曹長の忠誠については、誰よりもそれを信じる中尉だった。しかしその報告から、帆村が引出した結論には、やはり半信半疑というところであったが、帆村から、こう叱りつけられると、すっかり参《まい》って、「よし、これからはもう疑いをはさまないぞ」と決心した。
その手始めに、山岸中尉は決然として、こういった。
「帆村さん。私は司令に願って、明日、竜造寺兵曹長を救い出すために成層圏飛行をします」
「明日、あなたがですか」
「そうです。何かよくないことがありますか」
「まあ、それはおよしなさい」
「よせというのですか。なぜ……」
「行くなら、十分の用意をしてからのことです。三万メートルの高空において、優勢な敵と戦って、かならず勝つ準備が必要ですぞ」
「優勢な敵というと……。すると帆村さんは、やっぱり例の緑色の怪物のことを考えにいれているのですか」
山岸中尉は、ようやく気がついたというふうであった。
「もちろんそうです。あの怪物のことを考えずして、どうして三万メートルの高空に着陸場を持つ、魔の空間が考えられましょうか。あの怪物のことを初めに知っていなかったら、私だってちょっと信じる気になれませんよ。宇宙戦争です。もうそれは始っているのです」
帆村は宇宙戦争について、ゆるぎない信念を持っていたのだ。
「なるほどなあ」
あの怪物と魔の空間とが関係があると考えると、高空三万メートルに着陸場があるということが、今までよりもずっと有りそうに思われてくる。
「山岸さん。急いで宇宙戦研究班をおつくりなさい。そして十分の準備をしてから、魔の空間を襲撃するのです。ただし研究班をつくるには、そうとうに大仕掛のものでなくては役に立ちませんよ」
帆村は、いつになくおしつけるような口調で、このことを山岸中尉にいったのである。
宇宙戦研究班
山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。
すぐにも彼は、竜造寺兵曹長を救いだしに行きたかったけれども、帆村が、「兵曹長の一命はとうぶん大丈夫ですよ」というので、やっぱり十分に準備をしてからでかけることにした。
山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成|方《かた》をねがった。
司令は驚かれた。しかし司令は、がんらい頭の明晰《めいせき》な人であったので、山岸中尉の話の中におごそかな事実のあるのを見てとり、中尉の願いをききいれた。司令は、上の人と相談を重ね、その結果、早くも翌々日には、臨時宇宙戦研究班というものが、この航空隊の中にできた。そして班長には、有名なる戦闘機乗りの大勇士である左倉少佐が就任した。
班には班長以外に、四名の士官がつとめることになった。もちろん山岸中尉もそのひとりであった。
またその外に、班員として若干名が採用されることとなり、帆村荘六もこれに加わった。それから意外にも、熱血児の児玉法学士も志願して、その一員にしてもらった。
下士官が十名、兵員が八十名。
山岸中尉の弟の山岸少年と、その友達の川上少年の二人が、これも志願して班員となった。二人とも電信が打てるので、通信を担当することとなった。
この研究班の設立は、各方面へいろいろの反響を起した。
国内では、これを待っていましたとばかりに歓迎する者もあったが、多くはこの奇妙な部門が、なんのことだかわからず、けんとうちがいのことをのべる者が少くなかった。
一部にはつよい反対意見もあった。まだ敵アメリカを屈服させておらず、今もなおときどきアメリカ空軍が内地爆撃をやる有様である。そういう折から対アメリカ戦の結末をつけずに、宇宙戦の準備にかかるとは何事だというのであった。
しかしわが大日本帝国が世界の安全をあずかる重大使命を有するかぎり、すすんで宇宙戦の準備をしなければならぬ責任がある。だからこの研究班の編成は、時局がらたいへん必要なものである。そういう正しい意見がだんだん国内に強くなっていった。
国外では、この研究班の編成が、国内よりもずっと強くひびいたようである。各国は争って新聞にそのことを報道し、ラジオによって解説をこころみた。そして日本なればこそ、この困難なことをやりぬくであろうと信頼をよせた。
盟邦《めいほう》諸国は、それぞれ全面的に、そのことについて日本に力をあわせ、迫り来《きた》ったわれらの大危難を退《しりぞ》けたいものだと、たいへん、もののわかったことをのべた。
こうして臨時宇宙戦研究班の編成は、たちまち世界中に大きな波紋をなげたのであった。
その間にも、山岸中尉と帆村荘六とは、この研究班を最初にいいだした関係から、非常にいそがしい毎日を送った。
はじめの一週間は、夢のように過ぎた。しかしその間に研究班の形はできた。それにつづいて次の一週間、二人はあっちこっちと走りまわった。その結果、二人は宇宙偵察隊をつくることに成功した。
宇宙偵察隊だ。
五台の噴射艇が揃った。これに乗って成層圏へ飛びあがり、場合によってはさらに高空へ飛び、偵察をやろうというのであった。
そしてこの偵察隊がまっ先にやらねばならぬことは、行方不明の竜造寺兵曹長の安否をしらべることだった。
班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきた。それをまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。
「班長。いいお土産《みやげ》をお持ち下さったようですね」
「おう」
少佐はにっこり笑って、帽子と短剣を壁にかけながら、明かるい返事をした。
「まあそこへ掛けろ。いや、望月大尉も呼んできてくれ。帆村君に児玉君もな」
望月大尉は、やはりこの班員で、先任将校であった。これも戦闘機乗りの勇士で、左の頬に弾丸のあとがついている。
山岸中尉は、さっそくその三人を呼んで来た。一同は、それと感づいて、みんな、にこにこしている。
班長は集って来た一同をずらりと見渡し、
「みんなに報告する。噴射艇二|隻《せき》で、成層圏偵察の許可が下りたぞ」
それを聞くと、一同の顔はぱっと輝く。
「彗星《すいせい》一号艇には、望月大尉と児玉班員と、川上少年電信兵が乗組む。二号艇には山岸中尉と、帆村班員と、山岸少年電信兵とが乗組む。目的はもちろん竜造寺機の調査にある。指揮は望月大尉がとる」
班員は唇を深く噛《か》む。
「出発は明後日の〇五〇〇《まるごうまるまる》だ。すぐ用意にかかれ」この報告と内命に、一同は躍《おど》りあがらんばかりによろこんだ。
ついに研究班の活動が始ったのだ。彗星一号艇と二号艇とに乗って、怪しい空間にとびこむのだ。彗星号という噴射艇は、これまで秘密にせられていた成層圏飛行機――というよりも、成層圏以上の高空にまでとび出せる噴射艇であって、むしろ宇宙艇といった方がよいかもしれない、これは偵察に便利なように作られてあったが、また同時に戦闘もできる。その外、万一の場合も考えて、特殊な離脱装置も考えてある、なかなかすぐれたロケット機だ。
彗星号の形は、胴の両側に翼《よく》があり、その翼にはそれぞれ大きな噴射筒がついている。低空飛行の場合はこの形で飛ぶが、高度があがってくると、両翼は噴射筒とともにぐっと胴体の方によってきて、ちょうど爆弾のような形になるのであった。形を見ただけで、この彗星号がどんなにすごい性能を
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