日までここに残っていたら、帆村荘六もそこへ出かけて、きっと、くわしく調べたことだろうと思う。ところが、それから間もなく――時間にして三四分後に、透明壁は急になくなってしまった。そして喜作たちも、また反対の側にいた田中さんや山岸中尉たちも、あたり前に歩きだすことができたのであった。そしてこの事件は、ふしぎな話として、この白根村にひろがっていった。それはやがて鉱山事務所へも伝わったのである。
「昨日《きのう》白根村でなあ、まっ昼間、十二三人の衆が揃いも揃って狐に化かされてなあ、その中には海軍さんまでも居なすったそうじゃが、こんこんさんもたちのわるいわるさをなさるものじゃ。この頃、ちっとも油揚《あぶらあげ》をあげなんだからじゃろ……」
という具合に、この奇怪な噂は、附近の村々へひろがっていったのである。
翌朝、鉱山事務所の中にある建物の中で、目をさました例の特別刑事調査隊の七人組にも、この奇怪な話が伝わった。
「どういうわけですかなあ」
と、鉱山の人々からたずねられたが、七人組の博士たちは、ただ苦笑するだけで、何の返事もしなかった。
この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。その日彼は早朝から研究室にこもったきりであって、お昼の食事のために外に出たとき、始めてこの奇怪な話を耳にしたのであった。
帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。それから彼は若月次長を探し出すと、彼を引張《ひっぱ》って行くようにして、室戸博士の一行を訪ねたのであった。
「白根村で村道を歩いていた十二三人の者が、急に歩けなくなった話をお聞きになりましたか」と、帆村は室戸博士をはじめ、七人組の顔をずらりと見まわしていった。
「ああ聞いたよ。どうもおかしいね」
室戸博士は、落ちついて答えた。
「そうですか。重大な事件だと思いますが、あなたがたはあれをどうお考えになりますか」
帆村は熱心な口調でたずねた。室戸博士はしずかに首を左右に振って、
「まったく気の毒だと思う。この村は、例の青い怪物の出現以来かなりおびえているらしいね。神経衰弱症だねえ」
博士はしずかにいった。帆村はそれを聞いて、不満の色をうかべた。
「室戸博士は、そうお考えですか。それはちとお考えすぎではないでしょうか。十二人の歩行者が、揃いも揃って神経衰弱になるとは思われませんが……」
「ほほう。君は狐つきの説を信ずる組かね。はははは」
「いやそうじゃありません。第一、あの十二人のうちには海軍軍人が二人いるのですよ。列車から下りたばかりの海軍軍人は、青い怪物事件のあったことも知らないのですし、また話を聞いたとしても、あんなことで海軍軍人ともあろう者が、神経衰弱になろうとは思われません」
「それはそうだ」と室戸博士はいった。しかし熱のない返事であった。そこで帆村はまたいった。
「それに、青い怪物事件のあったのは、この町です。白根村は隣村です。この町の者が神経衰弱にならないのに、白根村の者が神経衰弱になるのは変ではありませんか」
「じゃ君は、あれをどう解釈しているのか」
室戸博士の質問に、帆村は黙って下をむいた。やがて呻《うめ》くような帆村の声が聞えた。
「……あれこそわれわれ地球人類に対して、恐るべき第二の警報だと思うのです。われわれはすぐ立ち上らねばなりません」
新しい手懸《てがか》り
「はははは。帆村君。君もすこし体をやすめてはどうかね。この間から、ずいぶん心身を疲らせているようだから、君まで神経衰弱になっては困るよ」
特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭《ひげ》をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。帆村が「白根村事件こそは、恐るべき怪物が、われわれにたいして発した第二の警報だ」という意味のことをいったので、そういう突拍子《とっぴょうし》もないことをいうのは、帆村荘六自身がもう神経衰弱になっているのではないかと思ったのだ。
帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。彼はていねいに礼をのべた。それからポケットへ手を入れると、何か紙に包んだものを取出した。それを開けると、中には緑色がかったねじの頭のようなものが、三つ四つはいっていた。それを帆村は、博士たちの前に出して見せた。
「話は、例の緑色の怪物の方へとびますが、今日私は坑道でこんなものを拾ったのです。これまでにごらんになったことがありますか」
帆村が差出すのを、博士は紙のまま受取って、机の上に置いた。調査隊の七人組が、そのまわりに集った。
「これは何処《どこ》で拾ったのかね」
室戸博士は、鉛筆の尻で、そのねじの頭のようなものを突きまわす。
「今申したように、鉱山の坑道の下です。例の緑色の怪物が落ちこんだ穴の底を探しているうちに、ついに見つけたのです」
「何かね、これは……」
「さあ、わかりません」
「相当重いね」
博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌《てのひら》の上にのせて重さをためしてみたのだ。手袋をはめたのは、その品物の上に指紋がついていた場合、それを乱さない心づかいであった。
「はい、重いです。金属らしいですね。これは、分析してみないとわかりませんが、例の緑色の怪物の体から、もぎとられた一部分のように思うのです」
「さあ、どうかなあ。坑道に前から落ちていたものじゃないかな。銅が錆《さ》びると、こんな風に緑色になるよ」
「それは緑青《ろくしょう》のことです。しかしこれは緑青ではありません。それに、鉱山でつかっているもので、こんな色をした、こんな形のものはありません」
帆村は自信をもっていった。
「すると君は、これがたしかに例の怪物の体の一部だというのかね」
「分析してみた上でないとわかりません」
「そうか、とにかくこれはこっちへ預っておこう。大した証拠物件ではないが、また何かの参考になるかもしれん」
そういって室戸博士は、それを紙に包んで、自分のポケットに入れようとした。
「待って下さい。たいした物件でないというお考えなら、私のところへおかえし願いたいのです」
博士は、いやな顔をして、紙包を帆村の方へ放り出した。
「君にいっておくが、われわれの許可なくして、事件に関係のあるものを私有することはやめてもらいたい」
「はあ」
博士は児玉法学士の方へふりかえって、
「分署の者に命じて、坑道の入口から底に至るまで、もう一度よく探させるように。そして変った物があったら、一つところへ集めておかせるんだ。せっかくの証拠物などを他の者に荒されたんでは、わたしたちは大迷惑だからな。場合によっては、職権妨害罪をあてはめることも出来るんだが、そんなことはあまりしたくないし……」
室戸博士の言葉には、帆村に対して意地わるい響を持っていた。鉱山の者や、調査隊の者には、それがよく響いたが、当の帆村荘六はいっこう響かないらしく、彼はそのとおりだという風に軽く肯《うなず》いていた。
「そうそう、君に聞いておきたいことがあった。帆村君、君は例の怪漢のことを、人間と思っていないという話だが、本当かね」
と訊く室戸博士は、ある昂奮を圧《お》し隠《かく》しているように見えた。
「は。それはまだはっきりといいきれませんが、私は地球人類ではないと思っています」
「ほほう。地球人類ではないというと、それは何かね。人間でないものというと、常識では解けないじゃないか」
「それがはっきり解けると、この事件もたちどころに解決するのですが、まだわかりません。しかし人間でないということだけは言い切れます」
「なぜ」
「そうではありませんか。心臓のとまっていたのが、やがて地上へ移すと動きだした。これは人間にはないことです。目が三つある。これも人間ではない。岩の上を走っていって、竹蜻蛉《たけとんぼ》のようにきりきり廻った。と、その姿が急に見えなくなった。これは児玉法学士が見たのですから間違いなしです。これも人間業《にんげんわざ》ではありません」
「そうは思わないね。まず心臓の件だが、あれは始め診察したとき心臓のまだ微《かす》かに動いているのを聴きおとしたのだ。第二に、竹蜻蛉のように廻ることは、舞踊でもやることで、ふしぎなことではない。第三に、見ているうちに姿を消したというが、あれは児玉法学士の目のあやまりだよ」
室戸博士は、三つとも否定した。
「いや博士。僕は見誤りなんかしませんです。たしかに怪物の姿が、まるで水蒸気が消えるように消えてしまったのです」
いつの間にか、そこへ帰って来ていた児玉法学士が弁明した。
「児玉君。まあ、君は黙っていたまえ。とにかく帆村君、君が変なことをいいふらすものだから、この村の善良な人たちは非常におびえているよ。注意したまえ」
室戸博士は、叩きつけるようにいうと、席を立って向うへ行ってしまった。
宇宙戦争の共鳴者
帆村荘六に対するよくない評判が、だんだんとこの村にも、隣村にも強くなっていった。室戸博士は、その旗頭《はたがしら》のようなものであった。鉱山でも、帆村をよくいわない人達がふえた。
だが、それと反対に、帆村荘六に非常に親しみを持ち始めた者もあった。少数ではあったが……。その一人は児玉法学士であった。あとの一人は、山岸少年の兄の山岸中尉であった。
児玉法学士は、例の怪物が水蒸気のように消え去るところを目撃した、貴重な人物であるが、室戸博士はそれを信じてくれない。しかるに帆村荘六だけは、たいへんに真面目《まじめ》に、その話を聞いてくれ、そしてそれは貴重な資料だとほめてくれるのである。そこで児玉法学士は、帆村荘六が好きになったが、その他《ほか》見ていると、帆村の熱心なこと、普通の人が考えていないようなことを考えていることなどに、だんだん尊敬の念を抱くようになった。
山岸中尉は、帆村の訪問を受け、例の白根村事件について話してくださいと頼まれた。もちろん中尉は承諾《しょうだく》して、竜造寺兵曹長と、かわるがわる例の歩行困難事件について説明した。それから始って、中尉は帆村と、宇宙線問題や、成層圏飛行や、それから宇宙に棲《す》んでいる地球以外の生物の話などについて、三時間あまりも熱心に語りあった。そして中尉は、帆村荘六の宇宙戦争観に、非常な共鳴をおぼえたのであった。
「たしかに、そうだ」
と、山岸中尉は軍服の膝を、はたとうっていった。
「十数億光年の広さをもったこの宇宙には、何百万、何千万とも知れない無数の星があって、それがいずれもわが太陽と同じように、光と熱とを出しているのだ。したがってそのまわりには、わが地球同様の遊星が、これまた何百万、何千万と無数にあって、自分で太陽のまわりを廻《まわ》っているのだ。そういうおびただしい遊星の中で、地球のわれわれが最も科学知識にすぐれているとは、いくらうぬぼれ者だって、そうは思わないだろう。われわれが、そういう他の遊星生物を知らないのは、お互いの距離がまだ遠すぎて、まだ飛行機で交通も出来ず、電波通信も届かず、たとえ届いても、その意味がわからない。だからまだ知らないのだ。やがて交通や通信の距離がひろがると、きっとそういう他の遊星生物とぶつからなければならない。そのとき、すぐ友達となって手が握れるか、それともすぐ戦争になるか、いったいどっちだろう。それは今はっきりわからない。しかし帆村君のいうように、われわれとしては、宇宙戦争の用意を、今から十分にしておかねばならないと思う。その時になって騒いではもう間に合わないのだ。ことに、相手が、われわれよりもずっと力も強いし、科学知識にもすぐれていた場合には、こっちに用意ができていないと、たちまち彼等の奴隷《どれい》になってしまうか、それとも皆殺しになってしまわなければならない。宇宙戦争だ。そうだ、帆村君のいうとおり、宇宙戦争は必ず起るぞ。これは油断できん」
山岸中尉は、すっかり帆村荘六の説に共鳴したのであった。
「まったくこれは大変ですなあ」
と、傍《そば》で茶をのみながら、二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長が、感きわまって、嘆声をあげた。
「分隊士、そ
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