「しかし、折角《せっかく》こっちがつかまえておいたものを、むざむざ逃がすとは、なっていない」
「それよりも、僕はあの怪物がきっとこれから禍《わざわい》をなすと思うね。この鉱山に働いている者は気をつけなければならない」
「あんな七人組なんかよばないで、帆村さんにまかせておけばよかったんだ」
「そうだとも、帆村荘六のいうことの方が、はるかにしっかりしている。彼は『あの怪物は宇宙線を食って生きている奴だ』と、謎のような言葉をはいたが、宇宙線てなんだろうね。食えるものかしらん」
誰もそれについて、はっきり答えられる者がなかった。
「宇宙線というと、光線の一種かね」
「そうじゃないだろう。まさか光線を食う奴はいないだろう」
「それではいよいよわけが分からない」そういっているとき、帆村荘六が、例のとおり青白い顔をして、部屋へはいってきた。彼は皆につかまってしまった。そして宇宙線が食えるかどうかについて、矢のような質問をうけたのであった。
「宇宙線というのは、X線や、ラジウムなどの出す放射線よりも、もっとつよい放射線のことだ」と、帆村は、皆にかこまれて説明を始めた。
「X線が人間の体をつきとおるのは、誰でも知っている。胸部をX線写真にうつして、肺に病気のところがあるかどうかをしらべることはご存じですね。宇宙線はX線よりももっと強い力で通りぬける。X線の約三千倍の力があるのです。X線はクーリッジ管から出るものだが、宇宙線は何から出てくるか。これは今のところ謎のまま残されています。しかし地球以外のはるかの天空からやってくる放射線であることだけは分かっています。だから宇宙線といわれるのです。その宇宙線は、まるで機関銃弾のように、いつもわれわれ人間の体をつきぬけている。しかしわれわれは、宇宙線にさしとおされていることに、気がつかないのです。この宇宙線は、空高くのぼっていくほど数がふえます。それから宇宙線は、更に大きな力を引出す働きをします。火薬を入れた函《はこ》にマッチで火をつけると大爆発をしますが、宇宙線はこの場合のマッチのような役目をするのです。この働きに、僕たちは注意していなければなりません」
聞いていた皆は、何だか急に寒気がしてきたように感じた。
「ふかい地の底には、宇宙線はとどきません。そこに暮していると、宇宙線につきさされないですみます。そうなると、人間――いや生物はどんな発育をするでしょうか。またそれと反対に、人間が成層圏機や宇宙艇にのり、地球を後にして、天空はるかに飛び上っていくときには、ますます強いたくさんの宇宙線のために体をさしとおされるわけですから、そんなときには体にどんな変化をうけるか、これも興味ある問題ですねえ」
「その問題はどうなるのかね」
と、若月次長がきいた。すると帆村は首を左右にふって、
「まだ分かっていません。今後の研究にまつしかありません」
「宇宙線というやつは、気味のわるいものだな」
「そういろいろと気味のわるいものがふえては困るねえ。あの青いとかげのような怪物といい、宇宙線といい……」
「帆村さん、あの青い怪物と宇宙線との間には、どんな関係があるのですか」
と、また一人がたずねた。
「さあ、そのことですがね。あの怪物は宇宙線を食って生きている奴じゃないかと思うのです。つまり地底七百メートルの坑道の底には、宇宙線がとどかない。そのとき彼奴《あいつ》は死んでいた。それを地上へもってあがると生きかえった。地上には宇宙線がどんどん降っているのです。ちょうど川から岸にはねあがって、死にそうになっていた鯉《こい》を、再び川の中に入れてやると、元気になって泳ぎ出すようなものです」
「なるほど、それであの怪物は生きかえったのですか」
「そうだろうと思うのですよ。これは想像です。たしかにそうであるといい切るためには、われわれは、もっとりっぱな証拠を探し出さねばなりません」
「すると、帆村君は、その証拠をまだ探しあてていないのかね」
「そうです。今一生けんめい探しているのです」
「しかし、そんな証拠は、見つからない方がいいね」
「えっ、なぜですか」
「だって、そうじゃないか。その証拠が見つかれば、僕たちは今まで知らなかったそういうものすごい怪物と、おつきあいしなければならなくなる。それは思っただけでも、心臓がどきどきしてくるよ」
「しかし、ねえ次長さん。あの青い怪物とのおつきあいは、あの坑道の底で死骸を発見したときから、もう既に始っているのですよ」
「えっ、おどかさないでくれ」
「おどかすわけではありませんが、あの怪物の方が進んでわれわれ地球人類にたいし、つきあいを求めてきているのですよ」
帆村の言葉に、聞いていた一同は、ぶるぶるとなって、たがいの顔を見合わせた。
「これからあんな怪物とつきあうのはたまらないな。なにしろ相手の方がすぐれているんだからね。うかうかすると、僕たちはいつ殺されてしまうか分からない。帆村君、一体どうすればいいんだ、今後の処置は……」
若月次長は帆村の腕をつかまえゆすぶった。帆村はしばらく黙っていた。そして遂にこういった。
「戦争の準備をすることです。宇宙戦争の準備をね」
聞いている者は、おどろいた。
「えっ、宇宙戦争。そんな夢みたいなことが始るとは思われない」
「その準備は一刻も早く始めるのがいいのです」と、帆村は相手の言葉にかまわず、強くいい切った。
「まあ見ていてごらんなさい。これから先、次から次へと奇妙な出来事が起るですよ。そうなれば、僕の今いったことが、思いあたるでしょう」
村道の奇現象《きげんしょう》
帆村荘六がいったことは、あまりにも突飛《とっぴ》すぎるという評判だった。あんなことをいい出したので、それまでこの鉱山でかなり信用されていた彼も、俄《にわ》かに評判がおちた。しかし、帆村は別にそれを気にする風にも見えず、皆に別れると、ただひとりで、例の坑道の底へはいりこんでしまった。
ところが、帆村の予言したことが、間もなく事実となってあらわれた。これには、鉱山の人々も、びっくりしてしまった。その事実とは、一体何事であったろうか。それは隣村で起ったことであった。
隣村を白根《しらね》村という。この白根村は、雑穀《ざっこく》のできる農村であった。
事件が鉱山事務所に伝わったのは、その夜のことであった。が、その事件が起ったのは、もっと早い時刻だった。正しくいうと、その日の午前十一時ごろのことだった。
白根駅から一本の村道が、山の麓《ふもと》へ向かってのびていた。両側は、ひろびろとした芋畠であった。この村道は畠よりもすこしばかり高くなっていた。
喜作《きさく》というお百姓さんの一家五人が、そのとき山の麓の方から、この村道を下りてきた。農家の人たちは、いつも午前十一時ごろには、昼飯をたべることになっている。そしてそれは、畠で弁当を開くのが例であった。ところがこの喜作一家は、その日のお昼すぎに、娘の縁談について客が来ることになっていたので、その時刻に畠の用事をすまして、家の方へ戻ってきたのであった。
すると、ちょうど村長さんの畠の井戸があるところまで来たとき、五人の先頭に立って歩いていた喜作が、へんな声を出して、道の上に立ちどまった。
「あれえ、これはどうしたんだろう」
喜作の家内のお浜《はま》は、二三歩うしろにいたが、喜作の声におどろいて駆けつけた。喜作は、顔をまっ赤にして、よたよた足踏みをしている。お浜は、喜作が中風《ちゅうぶう》になって、これから前にたおれるところだと思った。
「どうしたんだね、お前さん。しっかりおしよ」と、お浜は胸がわくわく、目がくらみそうなのをこらえて、亭主の前にまわった。いや、前にまわろうとしたのだ。
「あ、いたいっ」
お浜は急に体を引いた。誰かに前からつきとばされたように感じたからだ。だが、お浜の前には、誰もいなかった。喜作が自分をつきとばしたのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。喜作はあいかわらず、すこし前のめりになって、よたよたと足踏みをつづけている。お浜は狐に化かされたような気がした。そこでお浜は、もう一度喜作の前へまわろうとした。
「あれっ、まただよ」
お浜は、前からつきとばされたように感じた。しかしいくら目をこすってみても、自分をつきとばした者の姿は見えない。お浜は、自分で気が変になったのだと思った。そのうちに、三人の娘が追いついた。お父さんとお母さんは、なにをしているのだろうと、ふしぎに思いながら近づいて行くと、急に足が前に進まなくなった。
「あれえ、どうしたことじゃろ」
「前へ体が進まんがのう」
「わしもそうだよ。狐が化かしとるんじゃろか。早う眉毛《まゆげ》につばをつけてみよ」
こんどは三人の娘がさわぎだした。
こうして五人の者は、道の真中に一列に並んだまま、一歩も前へ進まず、うろたえていた。それは奇妙な光景だった。知らない人が見れば、たしかにこの五人の家族は、狐に化かされているとしか見えなかった。しかし狐が化かすなどという、ばかばかしいことがあるものではない。
ちょうどこの時、列車を下りて、駅から出て来た人たちが五六人、喜作の一家とは反対の方向から、なにも知らず、この村道を歩いて行った。
一番前を歩いていた農業会の田中さんという中年の人が、喜作たちのふしぎな挙動に気がついた。一町ほど向こうであるが、道はまっ直《すぐ》であるので、よく見える。
「あれ。喜作どんたちは何をしとるのかい。教練をば、しとるのじゃろか」
一列横隊で五人が足踏みをしている有様は、なるほど教練をしているように見られないこともなかった。
が、その田中さんも、それから十歩と歩かないうちに、喜作たちと同じように、道の真中で足をばたばた始めてしまった。
「ああれ。なんちゅうことじゃ、体が前へ進まんが……」
田中さんはがんばり屋であったから、一生けんめいがんばって前へ進もうと努力した。しかしそれはだめであった。何者ともしれず、前から自分を押しかえしている者があった。もちろんその者の姿は見えない。前へ進もうと力を入れれば入れるほど、強く押しかえされる。顔がおしつぶされて、呼吸をするのが苦しくなるし、胸板が今にも折れそうだ。脚は膝《ひざ》から下がよく動くが、それから上は塀《へい》につきあたっているようだ。
この田中さんのあとに続いて来たのは、三人の工業学校の生徒、それからすこしおくれて、海軍の若い士官が一人と、兵曹長が一人。この二人もやがて、目に見えない力のために、前進することができなくなった。この六人も一列横隊でうんうんいっているし、それから半町ほど向こうには喜作の一家五人がこっちを向いてうんうんいっている。まことにふしぎな光景であった。
皆初めはさわぎ、あとは恐怖のために口がきけなくなってしまうのだった。
ただ二人の海軍さんだけは、さすがにしっかりしていて、そうあわてもせず、互《たがい》の顔を見合わせている。
透明壁《とうめいへき》か
「竜造寺《りゅうぞうじ》兵曹長。これはへんだな」と、山岸中尉がいった。この若い士官は、鉱山の山岸少年の兄だった。
「山岸中尉も、歩けなくなりましたか。どうしたんでしょうか」
竜造寺兵曹長は、陽やけした黒い顔の中から、大きな目をむく。
「へんだなあ。まるで飛行機で急上昇飛行を始めると、G(万有引力のこと)が下向きにかかるが、あれと同じようだな」
「そうですなあ。あれとよく似ていますねえ。おや、前へ出ようとすると、Gが強くなりますよ」
「そうか。なるほど、その通りだ。どうしたんだろう。おや、前に何かあるぞ。手にさわるものがある。柔らかいものだ。しかしさっぱり目に見えない」
山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。何物ともしれず、ぐにゃりとしたものが手にさわるのであるが、それはさっぱり見えない。透《す》かして見ても、つかんでみても、何も見えないのであった。それは透明な柔らかい壁――、ふしぎなものであるが、そうとでも思うしかなかった。
このふしぎな透明壁が、もし次の
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