い間の経験を持った、老弁護士の集団から選び出された人たちで、当局からも十分信頼されて居り、係官と同じ検察権が特に与えられていた。
 この七人組は、「奇妙な死骸」事件の話を聞くと、特に志願して、この事件の解決にあたることになったのである。当局としては、戦時下非常にいそがしい折柄でもあるので、七人組の申し出をたいへん喜び、それに事件をまかせることにしたのである。
 この特別刑事調査隊長を室戸博士《むろとはくし》といい、残りの六人も全部博士であった。殊《こと》に甲斐《かい》博士という人は、法学博士と医学博士との、二つの肩書を持っている人で、法医学には特にくわしい知識をもち、一行の中で一番年齢が若かった。それでも氏は、五十五歳であった。
 このようにすぐれた博士組が、この鉱山へ来てくれたので、事務所はもちろん、東京本社でも大喜びだったし、この怪事件にふるえあがっていた土地の人々も、大安心をしたのであった。
 調査隊の取調べが始った。さすがにその道の老練家たちだけあって、やることがきびきびしていた。
 坑道のあらゆる底が調べあげられた。そして石膏《せっこう》で模型が作りあげられた。その結果、この怪物は土中から出てきたのではないことがあきらかとなった。
 現場の写真が何十枚となくうつされた。竪坑の寸法が測られた。径が六メートルあった。
 竪坑のあらゆる壁が調べられた。そして三箇所において、この怪物がぶつかったと思われる痕《あと》が発見された。怪物が竪坑を下へと落ちてきたことは、いよいよあきらかとなった。
 怪物の死骸は、現場で立体写真におさめられ、実物と寸分ちがわない模型を作りあげる仕事が進められた。それからこの怪物のからだに附着《ふちゃく》していた土が小さく区分されて、いちいち別の容器におさめられた。
 坑道内の土も、全部集められた。
 七人の博士について来た助手たちは、ほとんど一睡もとらないで、この仕事を続けた。この怪物の頭部の後に、第三の眼らしきものがついているのが発見されたのも、この時であった。身体の要所要所の寸法も、くわしく測って記録された。
 あらゆる記録が、これで揃った。隊長の室戸博士は、この報告を受取って、たいへん満足した。
「それでは、あとを甲斐博士にお願いするかな」
 と、隊長は、甲斐博士の方に目くばせをした。
「はい。ようやくお許しが出ましたよ。それでは私が解剖をお引受けいたしましょう」
 甲斐博士は、にっこりと笑った。
 解剖が最後に残されたのであった。
 きれいに水で洗われた怪物の死骸が、白い担架《たんか》の上から、解剖台の上にのせられた。
「おい。甲斐博士。ここで執刀《しっとう》するのかね」と、隊長が聞いた。
「はい。ここの方がよろしゅうございます。静かでもありますし、このとおり照明も十分できていますから……」と、甲斐博士が答えた。
「地上へ持って行こうじゃないか。解剖している途中で、臭気が発散すると、ここでは困るぞ」
「賛成ですな。くさくて息がつまるかもしれない。すでにこの死骸は十数日たっていますからな」と、隊員の一人がいった。
「では、そうしましょう」
 甲斐博士は、すなおに隊長室戸博士の説に従った。怪物の死骸は、地上へ運ばれることとなった。それを聞いていた次長は、はっと顔色を変えた。今日はあいにく帆村荘六がこの席にいないが、彼はこの怪物をここから出すことをかたく戒《いまし》めて行ったのだ。そこで次長は前へ進み出て、そのことを注意した。
 すると室戸博士は首を左右にふった。
「根拠がないね、この死骸を動かしてはいかんというのは……。われわれの診断によると、これはもう死んでいるのだ。心臓の音を顕微音聴診器できいても、全く無音だ。死んでしまっているものを、どこへ持っていこうと心配はないじゃないか」
 この七人組の博士たちは、なかなか偉い人たちの集りで、少しも欠点がなかったが、しいて欠点をあげると、少しばかり頑固《がんこ》なところがあった。他人の言うことを、あまり取上げないのであった。それは刑事事件に対する自分たちの永い経験と、強い自信からきているようであった。次長はもう黙っているほかなかった。
 怪物の死骸は、滑車《かっしゃ》にとおした長い綱によって、簡単に地上へ運ばれた。そこにはすでに、解剖に便利なように、天幕《テント》が張られてあった。
 怪物の死骸は、白い解剖台の上に載《の》せられた。そのころ地底へ持っていってあった甲斐博士の解剖用道具が、つぎつぎに竪坑の下からあがって来た。
 甲斐博士はすっかり白装束《しろしょうぞく》の支度をしていた。背中には、いつでも役に立つようにと、防毒面がくくりつけてあった。用意はすっかり整ったのだ。
 甲斐博士が、電気メスを右手に握って、怪物の死骸に近づいた。その時だった。死骸をおさえつけていた助手の一人が、
「あっ」と叫ぶと、
「先生、この死骸は生きているのじゃないでしょうか。心臓の鼓動らしいものを感じます」と、早口でいった。
「ばかなことをいうな。私は何度も聴診したが、心臓の鼓動なんて一度も聞えなかった。それに、ほら、こんなに冷《ひ》え切っている……」
 と、甲斐博士は、怪物の死骸に手をふれて助手を叱りつけようとしたが、そのとき博士の顔色は、なぜかさっと変って、紙のように白くなった。

   消え行く怪物

 甲斐博士が、恐しそうに身を後に引くのと、怪物の死骸がぴょんと跳《は》ね上がるのとが同時であった。
「あっ」
 解剖に立会っていた者で、青くならない者はなかった。
 怪物の死骸――いや、死んだものとばかり思っていた、その怪物の身体は、解剖台の上に突立った。あまりのすごさに、人々は思わず下にひれ伏した。
 と、怪物の身体は、台の上で独楽《こま》のようにきりきりと舞いだした。それが見るまに台から上にとびあがったと思うと、天幕《テント》を頭でつきあげた。ばりばりぷつんと、天幕の紐《ひも》が切れる音が聞えた。すると天幕がばさりと下に崩れ落ち、次にその天幕は地上を滑って走りだした。その後で、解剖台が大きな音をたててひっくりかえったので、人々はびっくりして目をとじた。
 やがて人々が目を開いたときには、天幕はもう百メートルも向こうの山腹を走っていくのが見えた。なんといっていいか、その奇怪な光景は、文章にも絵にも書きあらわせない。
「追え。あれを追え」
 そう叫んだのは、隊長の室戸博士の声だった。若い助手たちは、隊長の声に、ようやく我にかえった。そして青い顔のままで、逃げて行く天幕のあとを追いかけた。
「追いつけないようだったら、ピストルで撃ってもいいぞ」
 隊長室戸博士は、金切声《かなきりごえ》で、助手たちの後から叫んだ。
 駆けだす天幕の足は早かった。助手たちは息切れがしてきた。そして天幕との距離はだんだん大きくなっていく。
「撃とう。仕方がない。撃っちまえ」
「よし」
 助手は立木に身体をもたせて、逃げる天幕めがけて、どかんどかんとピストルをぶっ放した。銃声はものすごく木霊《こだま》した。だが天幕は、あいかわらず走りつづけるのであった。
「あれっ、たしかに命中したはずだが……」
 天幕はそれでもなお走った。そして山腹の途中の坂を下った。助手はピストルを撃つのをやめて、また追いかけた。
 その坂が見下せるところまで、時間でいってわずか五分ばかりのところだった。そこへまっ先にのぼりついたのは、助手の児玉という法学士だった。彼は坂の下に、天幕が立ち停っているのを発見した。それを見たとき、彼の足はすくんで動かなくなった。怪しい天幕が、彼に戦《たたかい》をいどんでいるように見えたからである。
 ようやく後から来た助手たちも追いついた。そこで若い連中は勢《いきおい》をもりかえし、
「それ行け。今のうちだ」
 と、大勢で突撃して行った。
 天幕は、一本の松の木にひっかかり、風に吹かれてゆらゆら動いていた。だが、目ざす緑色の怪物の姿は、どこにもなかった。
「どこへ行った。あの青とかげの化物は……」
 皆はそこら中を探しまわった。しかし緑色の怪物は、どこにも見えなかった。
「見えないね。どこへ行ったろう」
 ふしぎなことである。たしかに天幕をかぶったままで走って、ここまで来たに違いないのに……。
「あっ、あそこだ。あそこにいる」
 児玉法学士が、するどい声で叫んで、右手を前方へのばした。
「えっ、いたか。どこだ」
「あの岩の上だ。あっ、見えなくなった。ふしぎだなあ」
「ええっ、ほんとうか。どこだい」
 児玉法学士の指さす方に、たしかに裸岩が一つあった。しかし怪物の姿は見えなかった。後からかけつけた連中は、児玉がほんとうに岩の上に怪物の姿を見たのかどうかを疑って、質問の矢をあびせかけた。
 これにたいして児玉は、すこし腹を立てているらしく、頬をふくらませて答えた。
「……怪物めは、あの岩の上に、立ち上ったのだ。さっき解剖台の上で立ち上ったのと同じだ。それから身体を軸としてぐるぐる廻《まわ》りだした。すると怪物の身体がふわっと宙に浮いて、足が岩の上を放れた。竹蜻蛉《たけとんぼ》のようにね。とたんに怪物の姿は見えなくなったのだ。それで僕のいうことはおしまいだ」
「へえっ、ほんとうなら、ふしぎという外はない」
「君たちは、僕のいうことを信用しないのかね」
「いや、そういうわけじゃないが、とにかく君だけしか見ていないのでね」
 緑色の怪物を最後に見た者は、この児玉法学士だけであった。それ以後には、誰も見た者がなかった。そして緑色の怪物にたいする手がかりは、これでまったく終りとなった。
 いったいあの怪物はどこへ行ってしまったのであろうか。そして、どうしたのであろうか。
 失望したのは特別刑事調査隊の七人組の博士たちや若い助手達だけではなかった。集ってきた鉱山の社員や村の人々も、皆失望してしまった。
「やっぱり帆村荘六が言った注意を守っていた方がよかったね。そうすれば、あの怪物は逃げられなかったんだ」
「たしかに、そうだと思う。惜しいことをしたな。しかしあの怪物は、死んだふりをしていたのだろうか」
「そこがわからないのだ。解剖台の上から飛び出す前には、心臓は動いているような音が聞えたそうだが、怪物の身体は、やはり氷のように冷えていたそうだよ」
「それはへんだねえ。生きかえったものなら、体温が上って温《あたたか》くなるはずだ」
「そこが妖怪変化《ようかいへんげ》だ。あとで我々に祟《たた》りをしなければいいが」
 と、鉱山事務所の人々がかたまって噂《うわさ》をしていると、後から別の声がした。
「いや、あれは妖怪変化の類《たぐい》ではない。たしかに生ある者だ」
 この声に、皆はびっくりして、後をふりむいた。するとそこには帆村荘六が立っていた。
「ああ帆村君か。君は今まで何をしていた……。しかし君の注意はあたっていたね」
「そうだ。不幸にして、私の予言はあたった。坑道の底では死んでいた怪物が、地上に出ると生きかえったのだ。あれは宇宙線を食って生きている奴にちがいない」
 帆村は謎のような言葉を吐いた。これでみると、帆村だけは、あの怪物の正体について、いくらか心当りがあるらしい。いったいあれは何者だろうか。そして何をしようとしているのだろうか。

   宇宙線の威力《いりょく》

 青いとかげの化物みたいな怪死骸に逃げられ、皆がっかりだった。はるばる東京からやってきた特別刑事調査隊の七人組も、どうやら面目をつぶしてしまったかたちで、室戸博士以下くやしがること一通りではなかった。
 この上、現場にうろうろして、怪物のとび去った空をながめていても仕方がないので、鉱山の若月次長のすすめるままに、一同は鉱山事務所へ行って休息することとなった。
 青とかげの怪物がにげてしまったことは、すでに事務所にもひろがっていた。皆おちつきを失って、あっちに一かたまり、こっちに一かたまりとなり、今入ってきた七人組を横目でにらみながら、怪物の噂に花がさいている。
「あの七人組の先生がたも、こんどはすっかり手を焼いたらしいね」
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