う重大事情をもっとはっきり僕らに理解させてもらいたいということだ。いちいち貴女を通してでなく、刻々僕らの感覚によって、その事情を知りたいのだ。展望のきくところへ僕たちを案内してほしい。僕は、事実をこの眼によっても見たいのだ」
「賛成ですわ」
 ミミが賛意を表《ひょう》した。
 イレネは唇をちょっと曲げて、自尊心を傷つけられたような顔をしたが、
「そのことも艇長に伝えて置きましょう。しかし貴方がたは、艇外が真暗で、なんにも見えないということを御存知なんでしょうね」
 僕は、はっと思ったが、こうなったら引込むわけにもいかないので、
「真暗でも、外が見たいのだ。僕の祖国にはいつも暗黒の夜空を仰いでは、詩作に耽《ふけ》っていた文学者があった。僕がその人でないまでも生き、こんなに遥々来た宇宙を、まだ一度も展望してないなんて、おかしなことだ」
「何がおかしいと仰有るの」
「こんな静かな密閉された中に生活していたのでは、宇宙を飛んでいるのか、それとも地下の一室で暮しているのか、はっきりしない。せめて展望台に立って、大きな月でも見たら、宇宙を飛んでいるのだと分るだろう」
「艇長は艇内に出来るだけ狂気の類をつくりたくないというので、出発以来、一般の展望を禁止しているのですわ。地球上の奇観《きかん》とちがって、宇宙の風景はあまりに悽愴《せいそう》で、見つけない者が見ると、一目見ただけで発狂する虞《おそ》れがあるのですわ。ですから、ここでよくお考えになって、さっきの申出を撤回せられてもあたしは構いませんわ」
「いや、展望をぜひ申入れます。発狂などするものですか。自分で責任をとります」
「あたくしも」
 ミミもやっぱり同じ考えであることを明らかにした。これに刺戟《しげき》されたのか、記者倶楽部の部員六名中、ベラン氏の外はみんな艇外展望を希望した。ベラン氏は非常に不機嫌で、部屋の隅に頭を抱《かか》え込んで、誰が声をかけても返事一つしなかった。あわれにも、氏は神経衰弱症になったのであろう。
 ところがベラン夫人ミミは、それをいたわるでもなく、平気な顔をしている。夫人も記者だそうで、仕事の上ではベラン氏とは別な一つの立場を持っているせいであるかもしれない。それにしても、僕には解せない奇妙な夫婦だ。


   展望室


 申入れが通じて、僕たちは本艇の頂部の一部に設けられたる展望室に出入することを許されるようになった。
 それにしても、艇長リーマン博士がよくこれを許したものだと思う。もちろんイレネが僕たち記者連の鼻息の荒さを艇長に伝えて艇長を動かしたせいもあろう。
 ベラン氏だけは、ついに仲間外《なかまはず》れになった。そして残りの五名の記者は、イレネに伴《ともな》われて、はじめて展望室に足を踏み入れたのであった。
 宇宙展望室。それは暗い水族館の中を想像してもらえば幾分感じが分るであろう。
 通路は環状になっていて、手前に欄干《らんかん》があり、前が厚い硝子張《ガラスばり》の横に長い窓になっていた。通路を一巡《いちじゅん》すれば、上下相当の視角にわたって四方八方が見渡せるのであった。
 部屋の中央部は、大きな円筒型の壁になっていて、その中には何があるのか分らなかった。床はリノリューム張りであった。天井は金属板が張ってあったが、約四分の一は硝子張りになっていて、それを通して上の部屋が見えた。その硝子天井は相当厚いものであるが、展望窓のそれにくらべると比較にならないほど薄かったが、それでも一メートルはあったろう。上の部屋は、汽船でいうと船橋《ブリッジ》に相当するところであって、発令室と呼ばれ、複雑な通信機がやっぱり環状にならんで据えつけられ、艇長リーマン博士のほか、数名の高級艇員が執務していた。
 だが展望室との間は、完全な防音ができているので、発令室の話声は、少しもこっちへ聞えて来なかった。ただリーマン博士らが、僕の想像もしていなかったほどの熱心さをもって勤務を続けているのが、硝子天井を通して、はっきり見られた。僕は今まで考えちがいをしていたようだ。博士にすまない気がした。
 欄干につかまって、展望窓から外を見たが、こっちの姿がうつっているだけで、何にも見えなかった。
 しかしこれはまだ用意ができていなかったわけである。イレネは、ズドという名の見張員を僕たちに紹介してくれた。日焦《ひや》けした彫像《ちょうぞう》のように立派な体躯を持った若者だった。そのズドが、
「それでは窓を開きます」
 といって、まず中央の円筒型の壁の一部を開き、その中に取付けてある配電盤に向って何かしているうちに、がらがらと音がして硝子天井から洩れていた光が消え、室内の灯火も急に暗くなり、その代りに展望窓の方から、青味を帯びた光がさっとさし込んできた。
「ああ、月だ。月世界《げっせかい》だ」
 魚戸の声だ。
 僕はそのとき呀《あ》っと息をのんだ。展望窓の上の方から、大きな丸い光る籠《かご》がぶらさがっているように見えたが、それこそ月世界であった。ようやく極く一部分が見えているのである。考えていたより何百倍か大きいものであった。月面は青白く輝き、くっきり黒い影でふちをとられた山岳《さんがく》や谿谷《けいこく》が手にとるようにありありと見えた。殊に放射状の深い溝《みぞ》を周囲に走らせている巨大な噴火口《ふんかこう》のようなものは、非常に恐ろしく見えた。
 月世界の外の空間は全く暗黒であったが、その中に無数の星が寒そうな光を放って輝いていた。
 僕は背中に氷がはり始めたような寒さを覚えた。そしてまた、僕たちの乗っているロケットが縹渺《ひょうびょう》たる大宇宙の中にぽつんと浮んでいる心細さに胸を衝《つ》かれた。なるほど、こんな光景を永い間眺めていたら、誰でも頭が変になるであろう。僕は初めの意気込みにも似ず、この上展望室に立っていられなくなり、大急ぎでそこを出た。そして階段づたいにあたふたと記者倶楽部へ逃げもどってきた。
 そのとき室内には、居る筈と思ったベラン氏の姿もなく、誰もいなかった。僕は長椅子のうえに身を投げ出した。破裂しそうな大きな動悸《どうき》、なんとかしてそれが早く鎮《しず》まってくれることを祈った。
 それから暫くすると、ワグナーが、部屋の中へ転《ころ》げこんできた。彼の顔は死人のように蒼ざめていた。それに続いてフランケが戻ってきた。彼もふうふうと肩を波打たせていた。展望室にいた連中は、均《ひと》しく誰も彼も大宇宙の悽愴なる光景に大きな衝動をうけたのであろう。
 だが、魚戸とミミとは、いつまでたっても部屋へ戻ってこなかった。
 僕は魚戸を呼び戻してやらねばならぬような気がしたが、立っていく元気はなかった。
 そのうちに、どういうわけか、天井の電灯が急に燭力を落とした。そして妙な息づかいを始めた。と同時に、部屋全体が振動を起した。それはだんだん烈しくなっていった。
 僕たちは皆立ち上って、部屋の真中に集った。
「なんだろう、これは……」
「なにか椿事《ちんじ》が起ったのだ。こんなことは今までに一度もなかった」
 だが、誰もその理由を説明できる者もなかったし、真相を糺《ただ》しに行こうとする元気のある者もなかった。
 ちょうどそのとき、入口の扉が荒々しくあいて、十名ばかりの艇員がどやどやと踏み込んできた。彼らは顔から胸へ、水の中を潜ってきたような汗をかいていた。
「皆さん、ごめんなさい。艇長の命令によって、卓子《テーブル》と椅子を外して持ち出します」
「えっ、なんだって」
 応《こた》える代りに、彼等はスパナーと鉄棒とを使って、床《ゆか》にとりつけてあったナットを外し、卓子をもぎとり、椅子を引きはいだ。
「何をするのかね」
 僕は尋ねた。しかし艇員は応《こた》えなかった。口をきくと、行動が鈍くなると思っているらしい。それほど彼らは忙《いそ》いでいた。そして扉を開くと、それを担《かつ》いでどんどん外へ搬び出した。僕たちは只《ただ》目を瞠《みは》るばかりだった。
 そのとき、戸棚の中から、魚戸の声がとびだした。その声は、腸《はらわた》を絞《しぼ》るような響きを持っていた。
「おい、岸はいないか。いたら、すぐ展望室へ来い。艇の外に、すさまじい光景が見える。本艇は宇宙墓地のすぐ傍に近づいたのだ。早く来い。これを見なければ……」
 とまでいったが、そのあとはどうしたものか、声が消えてしまった。
 僕は、魚戸の声に、元気をとり直した。そして同室の二人を促《うなが》して、ふたたび展望室へ駈けあがっていったのである。


   難航


 展望室には、魚戸がいるだけだった。
 ミミの姿も見えなかったし、その夫たるベラン氏も見えなかった。
 魚戸は、僕たちの駈けあがってきたのを見ると、きつい顔付のまま満足げに肯《うなず》いて、窓の外を指し、
「いま、本艇は大作業を始めている。この作業が成功しなかったら、本艇はわれわれを乗せたまま、永遠に宇宙墓地の墓石となり果てるのだ」
 と、演説しているような口調でいった。
「もっと詳《くわ》しく説明してくれ」
 僕は魚戸の腕を抱えて、ゆすぶった。
「あれを見ろ」と魚戸は僕の身体を前方へ引摺《ひきず》るようにして、斜め上方を指し「探照灯は本艇が出しているのだが、あの青白い光の中に黒い小山のようなものが並んでしずかに動いているのが見えるだろう。おい見えるか、見えないか」
「うん、見える、見える」
 僕はようやく魚戸の指すものを探し当てた。ふしぎな島の行列だった。暗黒の宇宙に、なぜこのような多島群《たとうぐん》があるのであろうか。
「見えたか。おい岸。あれを何だと思う」
「何だかなあ」
「あれが宇宙墓地なんだ。宇宙をとんでいる隕石などが、地球と月との引力の平衡点に吸込まれて、あのように堆積《たいせき》するのだ。あのようになると、地球と月とに釘付けされたまま、もう自力では宇宙を飛ぶことはできなくなるのだ。引力の場が、あすこに渦巻《うずまき》をなして巻き込んでいるのだ」
「ふうん」
 僕は言葉も出なかった。
「ところで本艇は今、ずるずると宇宙墓地のなかに引込まれつつある。これはリーマン艇長の予期しなかった出来事なのだ。艇長は、そういうことなしに安全に平衡圏を突破できるものと考えていたのだ。どこかに計算のまちがいがあったわけだ。しかし艇長は、こういう場合に処する用意を考えて置いた。今それが始まっている。見たまえ、下の方を。本艇から、いろいろな物を外へ放り出しているのが見えるだろう」
 と、魚戸は指を下の方に指した。
 僕は欄干《らんかん》につかまって、下方を覗きこんだ。曲面を持った凹《おう》レンズ式の展望窓は、本艇の尾部の方を残りなく見ることが出来るようになっていた。尾部には強力なる照明灯が点《つ》いていて、昼間のように明るい。見ていると、艇側《ていそく》から、ぽいぽいと函のようなものが放り出される。その函は、マッチ箱ぐらい小さいようにも見えるし、また見ようによっては蜜柑箱よりも、もっと大きいようにも思われる。
「あの函はなんだろう」
「あれは屍体の入った棺桶だ」
「えっ、棺桶。ずいぶん数があるようだが、どうしてあんなに……」
「地球を出発して以来、本艇内には死者が十九名できた。その棺桶だ」
「なぜ放り出すのか。宇宙墓地へ埋葬するためかね」
「それは偶然の出来事だ。本当の意味は、この際、本艇の持っている不要の物品をできるだけ多く外へ投げ出し、引力の場を攪乱《かくらん》して、本艇が平衡点に吸込まれるのを懸命に阻止することにある。分るかね」
「よく分らない」
「じゃあこう思えばいいのだ。舟が渦巻のなかに吸込まれそうになっている。そのとき舟から大きな丸太を渦巻の中心へ向って投げ込むのだ。すると渦巻はその丸太を嚥《の》みに懸《かか》るが、嚥んでいる間は渦巻の形が変る。ね、そうだろう。その機を外《はず》さず、舟は力漕して渦巻から遁《のが》れるのだ。それと同じように、いま本艇から出来るだけ沢山の物品を投げ出して、平衡点から遁れようとしているのだ。これで分ったろう」
「まあ
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