た。さすがに日頃元気な彼女も、ものうそうに、通路や部屋の壁を伝い歩いている。そしてそのうしろには、いつも魚戸の緊張した顔が見られる。
ベラン氏は、幸いにして捨てられずにすんだ。それは従来、夫に対して冷淡に見えた夫人ミミが、あの機会にひどく夫想いになって、艇長に歎願したせいであろう。
そのベラン氏は、あれ以来永いこと病室に保護されていた。そして倶楽部へ顔を出すようになったのは、ようやく昨日からであった。ベラン氏の顔はすっかり悄沈して頬骨が高くあらわれている。頭髪は雀の巣のようにくしゃくしゃとなり、その中に白毛《しらが》がかなり目立つようになった。ミミはベラン氏をおかしいほど大切にしているが、氏の方は、それと反対にすこぶる冷淡で、付添いぐらいにしか扱っていない。
そのベラン氏が、なにか話したげに、僕の傍へやって来た。
いうのを忘れたが、この室備付けの卓子《テーブル》と長椅子を平衡圏で放り出してしまったものだから、今はまるで場末《ばすえ》のバアのように、どこからか集めてきた不揃いの椅子を前のように壁を背にして並べ、卓子の代りに食糧品の入っていた木箱を集めて代用卓子をこしらえ、その上に
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