調整ハンドルを廻していたが、そのうちに手をハンドルから放すと大きなスイッチをがちゃりと入れた。その刹那《せつな》、硝子壜の中に、ぴちりっと紫色の火花がとんだ。それが見る見るうちに桃色の暈光《うんこう》となって壜内に拡ったかと思うと、やがて次第に色は薄れていった。ベラン氏は全く動かない。このとき僕はベラン氏の両の脚首が既にとけ、電極が両方の脛を押上げているのに気がついた。
 ベラン氏の身体は七八分のうちに、綺麗にとけてしまった。ベルガー夫人の嬰児の場合と同じことが行われたのだ。
 リーマン博士はやれやれというような顔をして、ゴムの手袋をぬいだ。頭に受話器をかけた一人の助手が、二枚の紙を博士に渡した。博士はそれを読んだが、その一枚を持って、硝子壜の向うにまだじっと坐っているベルガー夫人に見せて、何かいった。ベルガー夫人が、両手を胸の前にあげ、ほっとした思入れで肩をうごかした。
 僕は、さっきベラン氏がしたように、戸棚の上から、どさりと下にとび下りた。僕はそのまま尻餅《しりもち》をついた。起き上るのに大変骨が折れた。そして漸《ようや》く前を通りかかる博士に追いすがることができた。
「博士。今隣室で演ぜられたベラン氏の始末について説明していただきましょう」
 僕は辛《かろ》うじてそれだけいうことができた。そして腰ががくっとなったことは憶えているが、あとはどうなったか知らない。重なる怪奇現象に対して全身の勇気を奮って闘っていた僕は、遂に負けてしまったのである。
 その次に気がついた時は、僕は安楽椅子の中に身体を埋めていた。
「日本人には似合わず、君は気が弱いじゃないか」と声をかけられ、僕ははっとした。目の前に赤い葡萄酒の盃があった。
「これを飲んで、元気を出すさ」
 リーマン博士が、僕の手に盃を握らせた。僕は、そんなものを飲んでは恥だと思い、その厚意だけを謝《しゃ》して、盃を卓子《テーブル》の上に置いた。そして博士の顔を探した。
「博士。説明をしていただきましょう」
 僕は、前言を繰返《くりかえ》した。
 博士は、僕と一所に、同じ卓子を囲んでいた。そしていつものような峻厳《しゅんげん》な表情を続けていたが、やがて重々しく唇をひらいた。
「岸君。別に説明するほどのこともないが、君が見たとおり生物を微粒子にして空間を走らせ、やがて受信局で、元のように組立てるという器械なんだが、今日やったように長距離間で成功したのはまことに悦ばしい。ベラン氏もベルガー夫人の幼児も、無事ナウエンの受信局で元のとおり整形されたそうだ」
「えっ、あれが成功したのですか」
「そうなんだ。もう君も気がついていると思うが、宇宙旅行をするには、人間の生命はあまりに短かすぎる。そこで本艇においては、妻帯者を乗り込ませてあるばかりか、今後も艇内において出来るだけ結婚を奨励し、一代で行けなければ二代でも三代でもかかって目的を達するという信念を今から植付けて置こうと思い、それを実行しているのだ。また幼児や子供が、宇宙旅行のうちに、何か変った生長をするのではないか、それも確めたいと思っている。しかしそれにしても、もっと手取り早い旅行法が考えられなければならないと思い、かねて秘密に研究を続けていたのが、君がさっき見た微粒子解剖整形法だ」
 博士は、ここで言葉を切って、卓子の硝子板の下においてある宇宙図を指しながら、
「わしの今度の旅行の目的の第一は、前にも話したように、X宇宙族が宇宙のどのあたりまで侵入してきているかを確めることにあるが、第二には、今の微粒子解剖整形の装置の一組を月世界に、もう一組を火星に据付《すえつ》けることにあるのだ。これは非常に重大な計画であって、もしこれがうまく据付けられ、完全に働きだすとしたら、われわれはなにも年月の夥《おびただ》しくかかる宇宙艇などのお世話にならないでも、地球と月と火星の間を、数時間|乃至《ないし》数十分で旅行することが出来るわけだ。更に進んで、もっと遠い宇宙へも行くことが出来るようにもなるのだ。そういうわけだから、これは如何に重要なものであるか、君にも分るだろう」
 博士の説明をうけて、僕は感歎《かんたん》のあまり、首を前にふるばかりだった。博士は尚も言葉を継ぎ、
「ベランは火星以外に生物が棲んでおらぬなどといっていたが、宇宙は広大極まる、仲々そんなものではない。生物の棲んでいる星は、実に無数にある。その中で、わしが目をつけているのは、わが地球人類に対して既に挑戦的態度に出ていると信ぜられるところの彼のX宇宙族だ。これはわしのこれまでの研究によって推察すると、どうやら竜骨座密集星団系から出て来た非有機的生物――というと地球の学者たちは一言のもとに馬鹿なというかもしれないが、とにかく非有機的生物だと思われる。争闘はこれからだ。われわれ地球人
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