中を歩きまわった。
「こいつはたいへんだぞ」
 何十分間、歩き続けたか、僕は憶えていない。とうとう腰が痛くなって、椅子にどっかと腰を下ろしたとき、僕はようやく頗《すこぶ》る恵まれたる自分の使命に目が覚めた想いがした。
「そうだ。この艇内に十五ヶ年起き伏しすることは、そう悪くないことだぞ」
 僕はそれ以来、人が変ったように朗《ほがら》かな気持で生活することが出来るようになった。そのときは、その足で、記者|倶楽部《クラブ》へ出かけていったものである。
 倶楽部は、僕の外の全員が集って、盛んに大きな声で喋《しゃべ》っていた。喋るというよりは、喚《わめ》き合っているといった方が適当であろう。
「……火星人の外の生物なんて、絶対に考えることが出来ない。艇長にもう一度警告しないでは居られぬ。警告することは、僕らの権利だからねえ」
 ベラン氏が、両手を頭の上までさし上げ、真赤《まっか》になって喚いている。その相手だと見えて、氏の前にいたフランケ青年が、端正《たんせい》な顔をあげていった。
「警告なさるのは自由だが、しかし艇長の信念を曲げさせることは出来ませんよ」
「何でもいい。僕は警告するといったら、警告するのだ。それで聴かれなければ、僕たちはこの旅行から脱退する」
「ちょいとベラン氏。あたしは脱退を決定したわけじゃありませんから、へんなこと言いっこなしよ」
 ベラン夫人ミミが、横から抗議した。それを聞いてベラン氏はまた一層|赭《あか》くなって、
「愛するミミよ。間違った信念を持つ艇長に、僕たちの尊い青春を形なしにされてしまうなんて莫迦莫迦《ばかばか》しいじゃないか。今のうちなら、地球へ戻ってくれといえば、艇長も承知してくれるよ」
「今更地球へ戻ってから又出直すなんて、そんなことは出来ませんよ。あの艇長が、かねて決定しておいた航程を貴方ひとりのために変更することはあり得ませんよ」
「そんなわからん話はない。とにかく僕は掛合《かけあ》わないじゃいられない」
「ねえベラン氏、みっともないことは、もうよしたらどう。それに今更地球へ戻ってみても、あたしたちは高利貸と執達吏とに追駆《おいか》けられるばかりよ」
 ミミに痛いところを突込まれ、ベランは茹《ゆ》で蛸《だこ》のようになって、只《ただ》呻《うな》るばかりだった。
 僕が青春問題を片附けたと思ったら、こんどはベランが青春問題に煩《わずら》いだした。妙なことである。
「ミミよ。お前にちょっと話がある。部屋へ一緒にいってくれ」
 まだ諦められないらしく、ベランは愛妻ミミ女史を引立てるようにして、倶楽部を出ていった。あとでは爆笑が起った。
 爆笑の余韻が消えてしまってから、僕は一座を見廻したあとで、仲間のうちでの最強者と思われるフランケに顔を向け直した。
「ねえ、フランケ。君はリーマン博士のいったことをどの程度に信じているのかね」
「全面的に信じている。僕たちは宇宙尖兵《うちゅうせんぺい》だ。人類最高の任務についていると信じているよ」
 フランケらしい率直な返答だった。
「ふうん、そうかね。ところで君は、さっき、博士の話に出てきたX宇宙族とわれわれとが、どの地点――というか、それともどこの空間といった方がいいかもしれないが、一体どこで彼らと交渉が始まるものと予測しているのかね」
 フランケなら、きっと既に考えていると思ったので、僕はそれを訊《き》いた。フランケは両手を揉《も》みながら、一旦口をへの字に曲げて、
「火星においてだろうね」
 といったが、そういった後で、彼は自分の亢奮《こうふん》してくるのを殊更《ことさら》に抑えようと努めている風に見えた。
「火星においてか。われらが火星に到着するのは、今から何年後かね」
「多分二年はかかるだろうね」
「ふうん、二年後か。大分先が永いね。それまでに、われわれは、何もしないのか」
「いや、しないことはない。まず最近、月世界へ着陸するだろう」
「月世界へ着陸するって。月世界には空気がないから、僕たちは下りられないだろうね」
「それは心配ない。空気タンクを背負い、保温衣を着て下りていけばいい」
「なるほど、しかしわれらの究極の目的地は火星よりももっと遠方の空間に有るわけなんだろう。月世界へ寄って道草を喰うのはつまらんじゃないか」
「そうじゃないよ、岸君。月世界は地球に一等近い星だ。地球にとってはいわゆる隣組さ。月世界の役割は今後ますます重要になる。つまり月世界をまずわれら地球人類の手で固めておかなければ、今後の宇宙進攻はうまくいかない」
「月世界をわれら地球人類の前進基地として確保しなければならぬというのだね」
「そうだ。これは誰にも分る話さ。只、ぼんやりしていたのでは、それを思いつかないだけのことだ」
「なるほど」
 僕はフランケの言葉に同意しないわけにいかな
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