を買うと、もうあとを買いに歩くのがいやになった。品物の方は早速もう諦め、あとはポケットをふくらませている紙幣束《さつたば》をいかにして今夜のうちに費《つか》い果《は》たすかについて頭をひねることとなった。
「そうだ、同業の魚戸《うおと》氏に挨拶していってやろう」
 魚戸氏は、僕と同じく報道員である。だが彼と僕とは、所属の会社を異《こと》にしているので、はっきりいえば競争者であり、もっとはっきりいうと敵手である。僕はまだ二十五歳だが、彼は僕より十四五歳も上の先輩だ。しかし仕事の上では同じことをやっているので、君僕の間柄だ。これまでに随分ぬいたりぬかれたりしていがみ合った仲だが、それもいよいよ今夜でおしまいだ。そう考えると、いささか感傷が起る。そこで一つ今夜は罪ほろぼしに、先生に奢《おご》ってやろうと考えたのだ。彼も近頃ますます懐中《ふところ》がぴいぴいであることは僕同然であって、同情にたえないものがある。
 僕は一町ほど先の町角に在る公衆電話までいって、そこから魚戸氏を呼び出そうと思った。
 そう思いながら、その方へ歩いていくと、ばったり魚戸氏に行き逢ってしまったではないか。
「いよう、魚戸。今夜は奢るから、一緒につきあえ」
 と、私はいきなり声をかけた。すると魚戸は立ち停って、苦笑いをしながら、
「でかい声を出すなよ、みっともない。君が奢ってくれるとは珍らしい話だが、今夜はよすよ」
「駄目だよ、今夜じゃなければ……」
「折角だが断る。このとおり連《つ》れもあるしねえ」
 初めから気はついていたが、僕も知らない顔ではないイレネを魚戸氏は連れている。
「やあ今日は、イレネさん」と帽子をとって挨拶《あいさつ》をしてから、魚戸氏に「金はちゃんと持っているんだ。君たち二人ぐらい奢っても痛痒《つうよう》は感じないんだ。だから一緒に……」
「駄目だよ、岸。ちと気をきかせやい、こっちは二人連れだというのに」
 ふん、二人連れか。勝手にしやがれだ。魚戸の奴、恥をかかせやがった。僕は吾儘《わがまま》な向っ腹を立てて歩きだした。するとうしろから魚戸の声が追駈《おいか》けてきた。
「君には、またゆっくり奢って貰う機会があるよ。それから、悪いことはいわない、今夜はあまり自暴酒《やけざけ》を呑みなさんな」
 大きなお世話だ。僕はぷんぷん腹を立てながらも、さすがに寂しさを払い落とすことができなか
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