、雨が滝のようにながれています。空中生活になれた兵曹長も、こんな目にあうのははじめてです。普通の人だったら、泣きだしたかもしれません。
兵曹長は操縦桿をにぎりしめたまま、なおもぐんぐん落ちていきました。
九百メートル、七百メートル――
雲はまだ、そこら中に漂っています。
そのうちに、彼は雲をとおして、はるかの下に、くろずんだものを見つけました。
「あっ、見えた。陸地か、海面か」
ごうっと落ちていく機体の前に、下からむくむくともりあがるように上って来たのは、白い波頭をふりたてて怒っている大海原でありました。まるでガラスの棒のような雨は、海面をめちゃくちゃに叩きつけています。
「これはたいへん。ものすごい荒天だ」
飛行機は、水の中を飛んでいるように見えます。視界ははなはだせまい。怪塔ロケットを追うどころではありません。
2
「ずいぶん海上生活もしたが、こんな荒天にあったのははじめてだ」
小浜兵曹長は、篠《しの》つく雨の中に愛機を操縦して、海上すれすれに飛びつづけます。
「はて、ここは一たいどこの海面かしら」
太平洋であることはわかっていますが、太平洋といってもたいへんひろいですからねえ、コンパスを見ても、方角はわかりますが、自分が今いる場所まではわかりかねます。こういうときには、無線ビーコンというものを受信すると、ちゃんと今いる場所がわかるのです。無線ビーコンは、無電灯台というところから、その灯台の名を無電で送っているものなのです。
小浜兵曹長は、うしろの座席にある受信機のスイッチをいれました。そして受話器を、耳にあててみました。
ところが、いつまでたっても、受話器からはなんの音もはいって来ません。
「これは変だなあ。スイッチはちゃんとはいっているのに、なぜ聞えないのだろう」
いろいろとやってみましたが、どうしても聞えません。ざんねんながら、受信機は故障になっていることがわかりました。
「さあ弱った。今どこを飛んでいるんだか、さっぱりわからなくなったぜ」
送信機の方はどうかと思いこの方にスイッチをいれてみましたが、やはり働きません。無電機械は、送受とも利かなくなってしまったのです。
そのうちにも、あたりは夜のようにくらくなり、視界は五十メートル先がもう見えないようになりました。あぶないあぶない。遭難する一歩手前のあぶなさです。
怪塔ロケットを追うどころか、こうして飛んでいることがあぶなくなりました。小浜兵曹長は、荒れくるう暴風雨を相手に、腕も折れよと操縦桿をにぎり、両足[#「両足」は底本では「雨足」]をふんばって、この危機をぬけようと必死の努力をしています。が、雨と風とにたたかれ、いまは海面に車輪がすれすれの低空飛行です。ああ!
3
たのみにおもう無電はきかず、愛機は雨と風とにたたきつけられ、ともすれば車輪がざざーっと怒濤《どとう》に洗われます。一たびは空中にいのちをひろいながらも、ついに今ここに小浜兵曹長の運命もおわるかとおもわれました。
「敵陣に自爆するのなら帝国軍人の本懐であるが、あれ狂う海中につっこんで、死んで何になるのだ。よし、俺はどうしてもこの暴風雨と海とを征服してやるぞ」
兵曹長は、機上でこう叫びました。
飛行眼鏡もすっかり曇って、もう駄目です。翼はいくたびか波浪にばっさりと呑《の》まれそうです。人力ではどうすることもできない自然力の猛威です。
それでもわが小浜兵曹長は、飛びつづけました。それは二時間半というながい時間の後でありました。どこをどう飛んだか、ちっとも油断のならない二時間半の飛行に、さすがの勇士も、気力も体力もくたくたになってしまいました。いよいよ翼を波にぱくりと呑まれる時がやってきた、と思いました。
「ざんねんだ。青江のかたきをとらないうちに死ぬなんて、じつにざんねんだ」
兵曹長は、歯をくいしばり、眼をしばたたいて、眼下の真白な波浪をにらみつけました。そのときです。彼は、ふと前方に、まっくろな鯨《くじら》のようなものがよこたわっているのに気がつきました。
「あっ、あれは何だ。鯨か?」
眼をしきりにぱちぱちやって、この黒影を見ていた兵曹長の頬に、さっと血の色がわきました。
「あっ、あれゃ島だ! 島だ!」
島が見つかったのです。死の一歩前に、島影が見えるなんて、何という天佑《てんゆう》でしょう。
小浜兵曹長の元気は百倍しました。
「何としても、あの島まで辿《たど》りつかなければ――」
それから先は、夢中でありました。どこをどう飛んだのか、気のついたときは、飛行機のエンジンはぴたりととまっていました。
4
小浜兵曹長は、夢のようにあたりを見まわしました。
嵐は、あいかわらずごうごうと吹きまくっていますが、飛行機の下にあるのは、例の波のたかい荒海ではなく、真白な砂浜でありました。飛行機は、片車輪を砂のなかにふかくつきこみ、斜にかしいでとまっているのでありました。
一体ここは、どこなのでしょう。
とにかく、すんでのことに飛行機もろとも怒濤にのまれ去るところでしたが、それだけは助ったようです。
たぶん小浜兵曹長は、嵐のなかに全身は綿のようにつかれ、目はかすみ、耳はがーんと鳴りつつも、あくまで軍人精神で、
(なに、これしきのことで、へたばってたまるものか!)
とみずから気をひきたて、無我夢中に着陸をしたものと思われます。
そこは砂浜とはいえ、やはり大地のことですから機体が砂丘のかげにどんとうちあたるなり、兵曹長はそのはげしい反動でもって、はっとわれにかえったらしいのです。
だが、危かった勇士の一命が助って、たいへん幸《さいわい》なことでありました。
小浜兵曹長は、雨にたたかれながら、座席のバンドをはずして立ちあがりました。
(一体、ここはどこだろう)
頭の中には、鳥がさえずっているように、ぴーんと高い音がしています。思うようにまわらぬ首を無理やりにうごかして、あたりをながめていた兵曹長の眼底に、変なかたちをした木がうつりました。
「ああ、あれは椰子《やし》の木に見えるが、こんなところにどうして椰子の木が生えているのかなあ」
兵曹長には、何が何だかわからなくなりました。
「うーむ――」
と一こえ叫んだまま、彼はそのまま崩れるように座席にへたばってしまいました。
椰子の木のある海辺は、どこだったでしょうか。
大利根博士邸
1
ここで話はすこし前にさかのぼります。
場所は、大利根博士の邸内です。
みなさんおなじみの塩田大尉と、それから元気のいい一彦少年とがしきりと、怪しい博士の室内をさがしまわっています。
二人とも、帆村探偵がわざわざ注意して来た言葉にしたがい、博士邸の謎を早く解かねばならぬとおもっています。
一体大利根博士と怪塔王との間には、どんな関係があるのでしょうか。そしてあの天馬|空《くう》を行くような怪塔ロケットは、なぜあのようなおそろしい新科学兵器を持っているのでしょうか。そしてこれから何をしようと言うのでしょうか。この重大な秘密はいつになれば解けるのでしょうか。
われわれはいましばらくこのままに、塩田大尉や一彦少年や、それから今怪塔中におしこめられている帆村探偵や、それからまた例のふしぎな海辺に気をうしなっている勇士小浜兵曹長の活動を見まもることにいたしましょう。
「どうも私には、人の持っているものをさがすのは不得手《ふえて》だ。これはやはり帆村探偵の専門だよ」
と、艦隊の智慧ぶくろといわれる塩田大尉も、なれない室内さがしにややまいったようです。
「ねえ、塩田大尉、大利根博士は悪人なんでしょうか」
一彦少年は、戸棚の中に首をつっこんでいる大尉のうしろから、声をかけました。
この質問に、大尉はおどろいて、戸棚から顔をだしました。
「悪人? さあ、それが拙者《せっしゃ》にはどうもわからなくなったんだ。もともと博士は、じつに尊敬すべき学者だとおもって[#「学者だとおもって」は底本では「学者だともおもって」]いたんだけれど、こうして家さがしをしているうちに、だんだん変な気持になって来る。そう言えば、いつか博士が軍艦に来られたときも、言葉づかいやたち居ふるまいが、どうも変だったね。変り者の博士とは言え、むかしはあれほどそわそわしていなかった」
2
塩田大尉と一彦少年との話は、この家の主人大利根博士の上にくらい影をなげかけたことになりました。
ずいぶん家さがしをしてやりましたが、どこをひっくりかえしても博士の熱心な研究材料が山とつまれているばかりで、別に怪しい手紙もありません。
また、なんだかわけのわからぬ機械などが、たくさん並んでいましたが、これもまた別に怪塔ロケットに備っているほどの大仕掛のものではありませんでした。
これで見ると、大利根博士は、やっぱり尊敬すべき熱心な科学者としかうけとれませんでした。
塩田大尉は、ついに室のまん中にある丸い腰掛に腰をおろし、戦帽をぬいで丸刈頭に風を入れました。
「ざんねんながら、なんにも怪しいものが見つからん。一彦君、君もそこへ掛けたまえ。そうだ、いいものがある。これは軍艦の中で売っている別製のキャラメルだ。これを食べると、疲れもなおるし、それからまた、すばらしい考《かんがえ》がうかぶはずなんだ。さあたくさんお取り」
そう言って大尉は、青い函《はこ》にはいった、キャラメルを、一彦にすすめました。
「はあ、ありがとう。ずいぶん重宝なキャラメルがあるんですね」
一彦も、大尉と並んで、同じ形の腰掛に腰をおろし、そのみどりいろのキャラメルを頬ばってみましたが、なるほどたいへんおいしく、そして口の中がすうっとしました。
「どうだ一彦君、海軍のキャラメルも、なかなかおいしいだろう」
「ええ、僕、大すきだな」
二人がうまそうにキャラメルをしゃぶっているうちに、この室には、すでに変なことが起っていました。二人が円い腰掛に腰をおろしたときに、それが始ったのですが、まずそれに気がついたのは、一彦です。
「あっ、塩田大尉、変ですね。この部屋はうごいていますよ」
3
「この部屋が、うごいているって。――なるほどこいつはたしかにうごているぞ」
塩田大尉はおどろいて、椅子から立ちあがり、一彦少年の顔を見ました。
一彦は、目をくるくるまわしていました。
「ああ、この部屋はずんずん下っていく――」
「うん、なるほど下っていく」
一彦少年は、このまえ怪塔の中に帆村と忍びこんでいたとき、やはり自分のいた部屋が、床ごと下へ下っていったときのあのおどろきを、またあたらしく思いだしました。それを大尉にはなしますと、大尉は剣をひきよせたまま、うんうんとうなずいてみせました。
部屋は一体どこまで下っていくのであろうと、二人はそればかり考えています。
ごとん。
かすかに床がゆれて、うごいていた部屋はぴたりととまりました。
「ああ、とまった」
「うむ、とまったね」
二人は、目を見あわせ、ほっと溜息《ためいき》をつきました。なんという思いがけないからくりが仕掛けてあったことでしょう。
「こんなエレベーターみたいな仕掛が、はやっているのでしょうかねえ」
少年は、ふしぎでたまりません。
「さあ、どうだか、それは――」
とまごついた大尉は、そのときになに思ったものか息をのみ、
「おう、あんなものがうごきだした。一彦君、君のうしろの、機械戸棚がうごいているよ」
「えっ」
一彦がふりかえってみると、おどろきました。顕微鏡や気圧計などいろいろの理化学機械のはいった戸棚が、しずかに横にすべりつつ、壁の中にはいっていくのでした。
二人は息をころして、ひとりでにうごいていく戸棚を見つめていました。
戸棚のうごいていった後には、意外にも、一つの扉があらわれました。地下室の怪!
4
大利根博士邸の実験室が、塩田大尉と一彦少年とをのせて、まるでエレベーターがさがるように、すうっと下におちていったのさ
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