んぞ。死ぬなら、おれがよろしいというまで死んじゃならんぞ」
たいへんな命令をだす兵曹長です。
そのうちに彼はついに、青江三空曹の下っているところにつきました。
「おい、青江、火をけしてやるぞ」
「そんなことができますか」
「なあに、きっと消してやる」
小浜兵曹長は、水のはいった革ぶくろの底をゆわえてあった紐を口でくわえ、首をまげてぐっとひっぱりました。ふくろは逆さになり、破れ目から水が滝のようにふきだしました。
2
なんという奇抜な考えでしょう。
小浜兵曹長は、首と手首とをうまくうごかして、革ぶくろの底をゆわえてあった紐をひっぱり、ふくろの中の水を、革ぶくろの破れ目から滝のように噴出《ふきだ》させました。
「おい、青江、しばらくじっとしておれ」
小浜兵曹長は、両手で綱にぶらさがったまま、体のひねり具合で、ふくろの中から流れでる水を、青江の服の燃えている一番上のところにかけました。
多くはありませんが、しゅうしゅうとこぼれる水は赤く燃えている青江の服を上の方からべとべとにしめらせましたから、水をひきやすいきれ地はみるみる水びたしになって、火のいきおいをよわらせていきました。
「ああ、うまくいくぞ」
水が革ぶくろのなかになくなると見るや、小浜兵曹長は、まだぷすぷすとのこりの火種の光っている青江のズボンのうえを、彼の両脚でもっておさえつけ、たたきつけ、とうとう火をのこりなくたたき消してしまいました。
火だるまの種となった鉄製のナイフは、青江三空曹の焼けぬけたポケットから、ぽこりと下におちていきました。怪塔王にたいして、なによりも用心しなければならぬのは、金具です。
小浜兵曹長はどこまでも、沈着な大勇士でありました。どこまでも注意ぶかく、そしておもいきって大胆に、この火消仕事をやりましたので、火だるまと化し、もうすでに危かった部下の一命をすくうことができました。
急に身のらくになった青江三空曹は、うれしなきによろこびました。なんという尊敬すべき上官でしょう。
「ああ、上官、私は――」
と言ったが、あとは胸せまって、つづけることができません。
「ばか、敵前でなにを女々《めめ》しく泣くか」
とつぜん兵曹長の怒声《どせい》が爆発しました。
3
青江三空曹は、もうすこしで火達磨《ひだるま》になるところでありましたが、小浜兵曹長の勇ましいはたらきにより、その一歩手前で服についた火は消されたのであります。
これが空中に綱がぶらさがっているだけのことなら、まだやりやすかったかも知れませんが、なにしろその綱が、怪塔ロケットと青江機との間にはりわたされてある綱で、ぶんぶん、しゅうしゅうと空中をとんでいながらの離れ業ですから、よくまあそんなことができたものだとおどろかされます。
火は消されましたが、青江三空曹は、さすがにすこし元気をうしないました。服についた火で、じりじり体をやかれ、どんなにか苦しかったことでしょう。
小浜兵曹長は、はやくもこれを見てとって心配になりました。なにしろおそろしい風が、こうして綱にさがっている二人の体をもぎとりそうに吹きつけるのですから、その苦しさったらありません。
「青江、しっかりしろ。怪塔王は、こっちをにらんでいるぞ」
小浜兵曹長は、しきりに青江をはげましています。
ところが、もう一つ心配なことが、いよいよ心配になって来ました。それは、怪塔ロケットの舵《かじ》のうえをしばっているこの綱の輪になっているところです。これはしきりに風にあおられ、炎々と燃えていましたが、その火を消そうにも、手がとどきません。
小浜兵曹長は、綱にぶらさがったまま、歯をくいしばって残念がっています。
「うふふ、ざまをみろ!」
と、怪塔王は、いい気持そうに窓から指さししてわらっています。なんというにくらしい奴でしょう。
ごくん! 綱がすこしゆるんで、変なひびきが、その上をつたわって来ました。――と思うまもなく怪塔ロケットと青江機とをつないでいたこの綱は、ついにぷつんと焼けきれてしまいました。ああ!
4
さあたいへん! 怪塔ロケットと青江機とをつないでいた綱が、とうとう焼けきれたのです。
「あっ、綱が切れた!」
「ああっ、しまった!」
と、さけぶ小浜兵曹長と青江三空曹。
と、綱の端は怪塔から離れ、二人の軍人をぶらさげたまま、空中を大きくゆれて下へ。――
なんという恐しいことでしょう。
二人の軍人をぶらさげた長い綱は、まるで掛時計のふりこのように、ぶうんと反対の方へふりつけられます。
あっ、あぶない。
――と思う間もなく、飛行機は上に、綱は一たび垂直にさがりましたが、いきおいあまって、ひゅうっと綱がもちあがった。
「あっ、いたいいたい。腕が折れる!」
青江三空曹の悲痛なさけびです。
これはいけないと思った小浜兵曹長は、いそぎこれをたすけようと空中で自由にならない両脚をば、歯をくいしばって青江三空曹の方にむけて開き、彼の胴中をその両脚ではさんでやろうとしました。
「ああっ、いけない!」
と、青江が叫んだときには、もうすでにおそく、彼の両手は綱の上をすべっていきます。小浜兵曹長の両脚は、かいもなく、なんにもない虚空《こくう》をはさみました。
その声が、青江の耳にはいったころには、青江の両手は、綱のはしからするりとぬけていました。
(あっ、青江が綱をはなした!)
小浜兵曹長の目の前は、急にくらくなった思です。
「青江、青江、青江!」
兵曹長は、のどもはりさけるような声で、こんかぎりに青江の名をよびつづけました。しかし青江は。――
もうこの先を書く勇気がありません。
がんばりやだった青江三空曹の最期!
墜落
1
あれほどがんばりやだった青江三空曹も、鬼神ではなかったので、力も根《こん》もつきはて、ついに尊《たっと》い犠牲《ぎせい》となりました。
「ざんねん、ざんねん」
と、部下の気の毒な運命を思って、小浜兵曹長の胸はつぶれる思です。
しかし彼は、ゆっくり涙を出しているひまもありません。なぜならば、綱にぶらさがっている彼も、やがて青江のような運命を迎えねばならぬことがよくわかっているからです。腕はぬけそう、体は風にもぎとられそうです。怪塔王のにくい顔が、こっちをのぞいて笑っているのが見えるようです。
「おのれ怪塔王、おれまで、ふりおとそうというのか。冗談いうな、おれは小浜兵曹長だ。だれが貴様をよろこばせるためにふりおとされてやるものか。なにくそ!」
帝国軍人がこんなことで二人ともふりおとされてどうするものか、わが海軍の名誉のためにも、死んでもこの綱ばかりは放さないぞと、兵曹長はいきばっています。
兵曹長がつりさがっている綱は、さかんにぴゅうんぴゅうんとふれています。飛行機は綱よりも上空にありますが、今は誰も操縦していませんから、ぐるぐるまわりながら、綱もろともしだいにおちていきます。
「うむ、誰がふりおとされるものか」
そのうちに綱のふれ方がゆるやかになりました。綱と飛行機がもろともに下におちだしたので、ふれ方がゆるくなったのです。兵曹長の腕は、すこし楽になりました。
しかしこうしていれば、飛行機も兵曹長も、だんだんスピードを増して下におち、やがては地上にはげしくぶつかるでしょう。
兵曹長も、前からそれに気がついていました。綱のゆるくなったのを幸いと、兵曹長は今だとばかり満身の力を腕にあつめて、綱をよじのぼりはじめました。
2
部下をうしなったかなしみと、はげしい風力とにたえながら、わが勇士小浜兵曹長は満身の力をこめ、えいえいと綱をのぼってゆきます。
幸いと、こういう綱のぼりは、艦上でうんときたえてある兵曹長です。彼はみるみる上にのぼっていきました。飛行機の腹が、もうすぐそこに見えます。
そのころまで水平をたもっていた飛行機は、急に翼をかたむけました。やがてまっさかさまになっておちるものと思われます。そうなると、墜落のスピードはたいへんはげしくなるでしょう。
(はやくのぼりきらないといかん!)
兵曹長は、いまはこれまでと、ありったけの力を出して、うんうんと綱をのぼっていきました。
うれしや、兵曹長の頭が、飛行機の腹にごつんとあたりました。
(しめた。もう一いきだ!)
小浜兵曹長の勇気は百倍しました。
飛行機の座席に、手がとどきました。
(さあ、ついに戻って来たぞ!)
こうなれば、兵曹長万歳です。彼はお得意の器械体操のやりかたで、
「えーい」
と、操縦席におどりこみました。そこは青江三空曹の乗っていた席です。
もちろん青江の姿は見えません。小浜兵曹長の胸に、また熱いものがぐっとこみあげて来ましたが、いまは生死のさかいです。それをふりはらうようにして、すばやく青江ののこしていったバンドで自分の腰をしばりつけました。
(さあ、これでいい。こんどは操縦だ)
兵曹長は、そのとき、機体が機首を下にして、きりもみになっておちているのに気がつきました。このままでは、地上にはげしくぶつかるばかりです。いそいで水平舵を力一ぱいひくと、うれしや、機首がぐっとあがりました。
もう大丈夫! 兵曹長は命をひろいました。
3
ひとり機上にかえった小浜航空兵曹長の胸の中は今は亡き青江三空曹のことで、はりさけるようです。
さっきまで、この機上に一しょにのっていたのでした。そして、たがいにはげましあいながら、怪塔ロケットを追いかけ、怪塔王とたたかって来たのでした。その勇しい戦友のすがたは、もはや機上に見られないのでありました。
「八つざきにしてもあきたりないあの怪塔王だ」
小浜航空兵曹長は、墜落していく愛機を、やっと水平にもどすことができると、目をあげて怪塔ロケットの姿を空中にさがしました。ところが、頭の上は雲ばかりで、もとめる怪塔ロケットの機影はどこにも見あたらないではありませんか。
「ちぇっ、うまく逃げられてしまったか。いや、青江のかたきをとらないうちは、どんなことがあっても逃しはせんぞ」
兵曹長は、飛行の邪魔になっている麻綱を、くるくると機内にひっぱりこみました。そして、勇敢にもぐっと上舵《あげかじ》をとり、エンジンを全開にして、猛然と急上昇をはじめました。エンジンは幸いにも、たいへん調子がよろしいので、兵曹長は安心しました。
雲の中をぬいつつ、兵曹長の目は、あちらこちらにうごきました。雲が視界を邪魔していましたが、雲の切れ目に、もしや怪塔ロケットの姿が見えはしないだろうかと思ったのです。
しかし、敵の姿は、どこにも見あたりません。そのうえに、雲はいよいよ濃く渦をまいて来て、どこを飛んでいるのかわけがわからなくなりました。暴風雨のしらせさえ感じられます。
「ざんねんだなあ。こうしていては、雲にまかれてガソリンを損するばかりだ、しかたがない、雲の外に出よう」
雲の外に出ようといっても、いつの間にか、古綿のような密雲はすっかり小浜機をつつんでしまい、どこが雲の切れ目か見当がつきません。兵曹長の心は、はやるばかりです。
死力
1
せっかく急上昇したのに、密雲に邪魔をされ、ふたたび下降しなければならなくなった小浜機は、いまぐんぐんと雲を切って下っていきます。
「あっ、五千メートルだ。四千八百メートルだ。もっといそいで下りよう」
小浜兵曹長は、さらに水平舵をひいて機首を下げましたから、機は弾丸のように下におちていきます。
「三千九百、三千七百。――まだ雲が切れない。執念ぶかい雲だなあ、まるで怪塔王の親類みたいだ」
それでも雲は、なかなか切れません。
三千メートル、二千八百――
「これは変だなあ。そんな厚ぼったい雲があるだろうか」
兵曹長は、あまりに厚い雲に対して不平をいいながら、愛機を操縦して、なおもぐんぐん下りていきました。
あたりはますます暗くなる一方で、まるで壁の中にぬりこめられたような感じです。いつの間にか飛行服の上を
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