帆村荘六も、このマスクを怪塔王の寝所《しんじょ》の傍《かたわら》に発見したときは生首《なまくび》が落ちている! と思って、どきっと心臓がとまりそうになったほどである。しかもその生首は、外ならぬ怪塔王の首であったではないか。おどろきは二倍になった。
だがよくおちついて視察[#「視察」はママ]すると、生首とおもったのは、じつに巧妙なゴム製マスクであるとわかった。そのマスクも、普通のマスクやお面のように顔の前面をかくすばかりのものでなく、耳も、首も、頭部もすっかり隠してしまうし、頭髪さえちゃんと生えているものだった。ちょうど、人間の手をすっかり隠してしまう手袋のような式に、喉《のど》のあたりから上をすっぽり包んでしまう別製マスクであった。それは質のいい生ゴムでつくられてあり、例の汐《しお》ふきのような顔になっており、そして生ゴムの表面は渋色に染めてあった。マスクの合わせ目は、耳のうしろの頭髪の中にあって、このごろよく見かける噛《か》みあわせ式の金具の、特に小さくこしらえたものでかんたんに縫ったり裂いたりできるのであった。
2
怪塔王の巧妙なマスクを、三階の寝所で発見したときの帆村のおどろきは近頃にないものだったが、では生きている怪塔王の体はどこにあるのかと思って、あたりをみまわしたところ、その寝台の上からすうすうという寝息が聞えるので三度びっくりしました。
寝台を見ると、寝具はたしかに人間の体のかたちにふくれていた。しかし彼は頭を毛布の中にすっぽりうずめていました。
「さては、――」
と、帆村ははやくもぴーんと感じて、勇気をふるって寝台に近づくと、その下にある人の顔をのぞきこもうとして、そっと毛布をもちあげました。
「いまのが怪塔王のマスクであるとすれば、ほんとうの怪塔王はどんな顔をしているのであろうか」
はやく見たいという気持と、おそろしい気持とがごっちゃになって、帆村の胸をゆすぶった。――が遂に彼は見ました!
彼は見ました! 彼は溜息をつきました。
その寝台の上に寝ていた怪塔王は、顔を下にむけて寝ていたのである。帆村の目にうつったのは、赭茶《あかちゃ》けた毛と白髪とが交っている、中老人らしい後頭部を見ただけでありました。
叩きおこして、顔を見てやろうか。
そうおもった帆村だったが、ついにそのことは思いとどまった。ここで怪塔王に目をさまされ、いろいろとおそろしい武器をつかって暴れられてはたまらない。それよりもここは、怪塔王の気づかないうちに、怪塔王が困るようなことをやっておこう。そういう考え方で、帆村はマスクをにぎったまま、その辺にあるいろいろな仕掛などを、できるだけ壊したり外したりしておいたのです。そしてマスクをもって階下におり、鏡の前で怪塔王のマスクをかぶりました。
帆村はすっかり自分を怪塔王に変えてしまったこの巧妙なマスクに、改めておどろきの声を出しました。
3
さても巧妙にできているマスク! 首全体をつつむようにできている最新式の怪マスク!
そのマスクの顔は、世にもおそるべき破壊力の持ちぬしである怪塔王の顔だ!
さていま、帆村探偵は、その怪マスクを手にして覆面《ふくめん》の怪塔王とむかいあっているのです。その怪塔王は、あわれにも帆村のため、両手をうしろにしばられ、手をつかうことができなくなっています。
「さあ、このマスクは一たん貴様にかえしてやるぞ。その代り、こんどは僕のいいつけをきいて、怪塔を横須賀方面へとばせるのだ。いいか」
と、帆村探偵が勝ちほこっていえば、覆面の怪塔王は力なくうなだれ、
「よろしゅうございます。こうなってはあなたさまのおっしゃるとおり、なんでもいたします。私としては、この海底から一刻もはやくのがれたいのです。私の一番こわいのは、海面にうきあがる以前に、この塔ロケットが爆発しやしないかということです」
「水中に永くいると、なぜ爆発するのかね」
ロケットが海中に永くつかっていると爆発すると怪塔王はおそれていますが、帆村はなぜ爆発がおこるのかわけをしらないので、ただ不思議でありました。
「それは、ロケットをうごかす噴出ガスの原料であるところの薬品に、塩からい海水がしみこむと、だんだん熱してきて、おそろしい爆発がおこるのです」
「じゃあ、海水のはいらないようにしておけばいいのに」
「そうはいきません。どうしても金属壁の隙間《すきま》から浸みこんで来ます。さあ、帆村さん、はやくマスクをかえしてください」
「うん、マスクはここにある」
といって、帆村はようやく怪塔王のマスクをさしだしました。
「ああ、私は手をしばられているから、マスクをかぶれやしません。紐《ひも》をほどいてください。ああ、手がいたい」
4
怪塔王にマスクをかえしてやったのはいいが、怪塔王は両手を帆村のためうしろにしばられているためマスクがかぶれないから、紐をほどいてくれというのです。
帆村はそれをきいて、つよくかぶりをふりました。
「いや、だめだ。しばってある貴様の手をほどいたりすれば、貴様はどんなにおそろしいことをやるかしれない」
「ああいた、いたい」
と、怪塔王はしきりに身もだえをします。そんなに両手が紐にくいしめられていたいのでしょうか。
「それほどいたくもないくせに、いたいいたいなどとおどかすなよ」
「いえ、ほんとにいたいのだ。ああいたい」
「いくらいたくても、僕はけっしてほどいてやらないぞ。じゃあマスクは、ぼくが貴様の顔にはめてやろう」
「えっ、あなたさまがマスクを私の顔にはめてくださるというのですか」
怪塔王は、わざとらしくながいため息をついた。
「なにをそんなに、ため息などをつくのだ」
「いえ、ため息というほどのものではありません。さあ、では一刻もはやく、私にマスクをかぶせてください」
「うむ、いまやってやる」
と、帆村はマスクを手にして、風呂敷で覆面している怪塔王の前に近づきました。
「そうだ。まずその覆面をとらなくては。――」
と、帆村はマスクを下におき、両手をのばして怪塔王の覆面に手をかけました。
ああ、いまこそ怪塔王の覆面がひきむかれるのです。その覆面の下には、はたしてどんな顔があるのでしょうか。胸はおどる! 帆村の胸は、どきどきとおどります。
それを早くも察したものとみえ、怪塔王は覆面の下からおどかすような調子で叫びました。
「さあ、はやく覆面をとってください。しかし帆村探偵よ。この覆面の下にある我《わ》が輩《はい》の素顔を見て、腰をぬかさぬように!」
5
怪塔王が、いまや覆面をはぎとられようとして、その刹那《せつな》に――覆面をとるのはいいが、その覆面の下にある我が輩の素顔をみて腰をぬかすな! と叫んだ捨てぜりふ――
「うむ。――」
と帆村は、怪塔王が放ったいたい言葉に、思わず呻《うめ》きました。
ああなんという奇襲のおどかし文句でしょう。たしかに怪塔王の一言は、帆村の心臓をぷすりとさしとおしたようです。
怪塔王の首全体をつつんだ風呂敷の下には、一体どんなおそろしい顔があるのでしょうか。帆村でなくても誰でも、覆面の下をみることはおそろしい気持がするではありませんか。
殊《こと》にここは、隣家というものもないふかい海底に、横だおしになっている怪塔ロケットの中です。鬼気はひしひしと迫り、毛孔は粟《あわ》のつぶのようにたちます。
「なあに、そんなおどかし文句に、誰がのるものか」
と帆村は、ふりはらうように言いかえしました。
「それなら、マスクをはやく。――」
と怪塔王は、せきたてます。
帆村は、ついに変な気持にとらわれながら、なにほどのことがあろうかと気をふるいおこし、両手を怪塔王の首のうしろにまわして、風呂敷の結び目をときにかかりました。そのとき、さすがの帆村も、この覆面の下の怪塔王の顔を見るのをおそろしく感じたものか、怪塔王の首のうしろにまわした両手が思わずぶるぶるとふるえました。
怪塔王は、そうなるのを、さっきから熱心に待っていたようです。
「やっ!」
大喝一声《だいかついっせい》、怪塔王の膝頭《ひざがしら》は、帆村の下腹をひどいいきおいでつきあげました。腹の皮がやぶれたろうと思ったくらいです。何条《なんじょう》もってたまりましょう。
「う、ううん。――」
苦しそうなうめき声とともに、帆村の体は棒のようになってたおれました。
6
怪塔王の覆面をとるのにすっかり気をとられていて、怪塔王の足がとんで来るのを用心しそこなったのです。
名探偵として、たいへんはずかしいことだと、帆村はのちのちまでそれをくやしがっていましたが、なにしろ大問題の怪塔王の覆面の下から、本当の顔があらわれようという息づまるような場合だったものですから、ごんな失敗をしたのです。
「う、ふふふふ、ざまを見ろ」
怪塔王は、さきほどのおろおろ声もどこへやら、またいつものにくにくしい怪塔王のしゃがれ声にかえって、床の上にたおれている帆村を見下しました。
「……」
帆村は、うなり声さえ立てないで、床の上にまるで死人のようによこたわっていました。さあたいへん。帆村の息はそのままたえはててしまうのではないでしょうか。
「う、ふふふふ。口ほどにもないやつだ。しかし間もなく息をふきかえすだろうから、そうだ、いまのうちに大切なマスクをかぶっておこう」
と、怪塔王は、あわてて床の上にしゃがむと、帆村の手から例の汐ふきの顔をしたマスクをひったくりました。そしてそのマスクを目の前にさしあげ、さも感心したという風に、
「ふうん、実にうまく出来ているマスクだわい。こんないいマスクはないねえ。なにしろ顔にぴたりとあう。そして笑えばこのマスクも一しょに笑う。また怒れば怒ったで、このマスクもまた一しょに怒る。これをつけていれば、マスクをつけているとは誰もおもわないほどうまくできている」
と言って、マスクをあげて頭からすっぽりかぶりました。そのとき怪塔王は、自分で覆面をさらりと脱いだので、その下から大問題の素顔があらわれたはずですが。――
7
怪塔王は、自分の顔をつつんでいた風呂敷をぱらりと解きましたから、そのときたしかに下から怪塔王の素顔があらわれたはずです。
ですが、たいへん残念ながら、このとき折角の怪塔王の素顔を、誰も見たものがありません。なぜって、帆村探偵は気絶して床の上にたおれていますし、三人の黒人は鉄の円筒のなかに小さくなってふるえていました。そのほか誰もその場のありさまを見ているものがなかったのです。
作者の私の方に怪塔王がむいていればよかったのですが、あいにくと怪塔王はこっちにお尻をむけていましたので、はなはだ残念ですけれど、今回は怪塔王の素顔を見ることができませんでした。
そう申しても、みなさんはがっかりなさるにはあたりません。なぜなら、この勇ましい帆村探偵や、えらい塩田大尉や、また小さいながらなかなかかしこい一彦少年やミチ子などが、がんばっているかぎり、いつかはマスクの下の怪塔王の素顔をひんむくときが来ることでしょう。それは一体いつのことでしょうか、あばれまわる怪塔王の秘密は、一つの事件ごとに、だんだんと身のまわりをせばめていくではありませんか。すると、怪塔王の正体がわかるのもあまり長い先のことではありますまい。
さて、怪塔王はマスクをかぶって、すっかり元の怪塔王になりました。
帆村探偵がこれを知ったら、おどりかかっていくでしょうに、彼はまだ夢心地で床の上にたおれています。
「う、ふふふふ」と怪塔王はあざ笑い、「すぐ殺してもいいのだけれど、今はなりよりもこの塔ロケットを海中からうきあがらせる方が大事だから、殺しているひまはない。そうだ、また一時こいつを縛《しば》ってうごけないようにしておこう」
怪塔王は長い綱をとり出すと、すばやく帆村の体をぐるぐると巻いてしまいました。
危い怪塔
1
怪塔王のため、ついに帆村探偵は、体を荒縄でもってぐるぐるまきに
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