うようになったのです。
 一体なにがそんなに重大なんでしょう。
 ミチ子に別れて、一彦は塩田大尉とともに海軍の自動車にのって出かけました。
 行先は、東京近郊の大利根博士の研究所でありました。
 自動車が博士の邸《やしき》に近づいたとき、塩田大尉は一彦に向かい、
「一彦君は、伝書鳩を知っているかね」
「伝書鳩ですか。知っているどころか僕は鳩の訓練も上手なんですよ」
「そうかい。それはえらい。では君に伝書鳩を二羽あずけておこう。これでもって、腰にさげておきたまえ」
 と、脚に環《わ》をはめた鳩を渡しました。

     2

「この伝書鳩は何時《いつ》放すんですか」
 と一彦は塩田大尉の顔をみあげていいました。
「放すのがいいときがくれば、きっとそれとわかるだろうよ」
 と塩田大尉は、なぞのようなことばをなげかけました。
 いよいよ自動車をおりました。ここは大利根博士邸の門前です。
 大尉は無雑作《むぞうさ》に門のところについているベルの釦《ぼたん》をおしました。
 しばらく待ちましたが、門内からは何の答もありませんでした。
「何も返事がありませんね」
「うむ返事がない。そうだ、返事がないのがあたり前かもしれない。りんりんりーんりんと特別の鳴りかたをしなければ奥へ通じない規則があったね。それをいま思い出したよ」
 そういって塩田大尉はベルの釦をおしなおしました。
 りんりんりーんりん。
 するとどうでしょう。
 りんりーん――と、返事のベルが門柱のうえで鳴りました。そして城のような高い壁にはめてあった門の扉がぎいっとうちへあきました。それは潜《くぐ》り戸ぐらいの小さな扉でありました。
「さあ入ろう」
 塩田大尉は一彦をうながして、その小さい門をくぐりました。
「大利根博士は、お邸にいるのですね。ベルが鳴りましたから」
「まあ、どうかなあ」
「だって、今のベルは特別符号をおくったのでその返事として鳴ったんでしょう、博士の耳に通じたにちがいありませんよ」
「そうかなあ」
 二人はあなぐらのようなところを、ずんずんむこうに歩いてゆきました。そのうちに玄関が見えてきました。

     3

 大利根博士の玄関には、有名な電話機があります。博士と面会することはなかなかむずかしく、まずこの電話機で用を足すよりしかたがないと言われているんです。
 塩田大尉は一彦少年に目くばせして、この電話機を取上げました。
「もしもし、私は塩田大尉ですが、博士にお目にかかりたい急な用事があってまいりました」
 と、大尉は相手に聞えているかいないかにかまわず、送話器へ声をふきこみました。
「……」
 何の返事もありません。
「もしもし」
 塩田大尉はさらに声を大きくして言いました。
「博士は留守なのですかねえ」
 と一彦は大尉をみあげて言いました。
 大尉は首をふりました。
「――なにしろ急用ですから、失礼して中にはいりますよ」
 すると向こうから電話の声で返事がありました。たいへん低い声ですから、何のことかよくわかりません。
「何ですか、よくわかりませんよ。中へはいってから、改めてお話しねがいましょう」
 と、大尉はすましたもので、玄関の扉をひらきました。
「さあ一彦君一しょに来たまえ」
 大尉はずんずん上にあがっていきました。長いくらい廊下が、奥の方までつづいていましたが、そこをずんずんはいっていくのでありました。
(人の家へことわりなしに入って悪かないかなあ)
 などと一彦は心配しましたが、大尉は平気です。もっとも家の中には誰一人姿をあらわしませんから怒る人もないのです。
「さあ、向こうのつきあたりが、博士の居間なんだ。万事あそこへいけばわかる」

     4

 大利根博士の部屋の前へ来ました。
 くらい廊下のつきあたりに、重い扉がぴったりしまっています。
 塩田大尉と一彦少年とは、その扉の前に立ちました。
「博士はいるでしょうか」
 と、一彦は、そっと塩田大尉にたずねました。
「さあ、どうだか」
 といいながら、大尉は扉をことこととノックしました。
 部屋のなかからは、なんの答もありません。
 大尉は、つづけてことことと扉を叩きました。けれども、扉の向こうからは、やはりなんの返事もありません。
「博士は留守なんですかねえ」
「ふうん、どうだかなあ」
 塩田大尉は首をちょっとかしげました。
 博士は有名な人ぎらいであることを考えてみますと、本当に留守なのかどうかわかりません。そこで大尉は決心して、扉の前で大声をはりあげました。
「ああ、もしもし、大利根博士!」
 部屋の中は、あいかわらずしんかんとしています。
 大尉は、さらに声をはげまして、
「ああもしもし、大利根博士! 私は塩田大尉です。急用ですからちょっとここをあけてください」
 それでもまだ、部屋の中はしずまりかえっています。
「ああ、もしもし、大利根博士!」
 三たび大尉は、扉の前で叫びました。さっき電話をかけたとき、[#「電話をかけたとき、」は底本では「電話をかけたとき、、」]話はよく聞きとれなかったが、博士か誰かわからぬが低い声で返事をした者がありましたので、大尉の声を、せめてその者でも聞きつけて出て来そうなものだとおもったのです。
 ちょうどそのときでした。扉の向こうから怪しい声がきこえてきたのは。――

     5

 扉の向こうで、はじめて人の声がきこえました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 博士は嗄《しわが》れ声でどなるようにいいました。
 塩田大尉と一彦とは、顔をみあわせました。
「博士はいるのですね」
 と一彦は小さい声で塩田大尉にささやきました。
「うむ、博士はやっぱりこの中に居られたね、ふふむ」
 と大尉はなにか意外な面持《おももち》で、ひとりで感心していました。大尉は博士が留守のようにおもっていたらしくおもわれます。
「塩田大尉が来たということが、はっきり博士の耳に通じないのですよ。もう一度、よんでみてはどうです」
「そうだね。じゃもう一度、声をかけよう」
 塩田大尉は、また声をはりあげて扉にむかって博士の名をよびました。
 すると、室内からは返事がありました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 一彦はそれを聞いて、この調子ではとても博士は会ってくれないだろうとおもいました。
 塩田大尉はと見ますと、どうしたものか顔を真赤にしています。
「大尉、どうしたのです」
 大尉はこれに答えようともせず、何をおもったものか、ポケットから手帳と鉛筆とをとりだしました。そして扉の方をにらみすえるようにして、三たび博士の名をよびました。
 すると室内からの返事が、きこえてきました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 一彦が見ると、大尉は一生けんめいになにか筆記をしています。


   意外な仕掛《しかけ》



     1

「塩田大尉、そんなところで、なにを書いているんですか」
 一彦は、いぶかってたずねました。
「おう、これだ。うーむ」
 と、大尉は大利根博士の居間の扉をにらんで、呻《うな》るようにいいました。
「ど、どうしたんです、塩田大尉」
 大尉はなにごとに気をいらだたせているのでしょうか。
「おお一彦君、ちょっとここへおいで」
 大尉はこのとき、われにかえったように目をぱちぱちさせて、一彦をよびました。
「はい、な、なんですか」
「これをよんでごらん」
 といって、大尉はさっきから何か書きこんでいた手帳を、一彦の方へさしだしました。
 一彦がその手帳をうけとって、大尉の走書《はしりがき》をよんでみますと、次のようなことが書いてあります。
“ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ”
 それから、一行おいてその次に、また書きつけてある文句がありました。それは、
“ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ”
 という文句です。前の文句も後の文句も全く同じことが書いてあります。
「塩田大尉は変だなあ、同じことを二度も書いてありますよ。気分でも悪いのですか」
 と一彦がききますと大尉は首をふり、
「体もなにも変りはないよ。変なのは、この扉のうちで返事をした博士の言葉が、いつも同じ文句だということだ。まるでゴム判をおしたように、“ああ、ああ、うるさい”などと、同じことをいっているのだ」
「それがどうしたのです」
「一彦君、おどろいてはいけない。博士は留守なのだ。博士はこの部屋の中にはいないのだよ」

     2

 博士は留守だ――と、塩田大尉は、意外なことをいいだしました。
「だって、それは変ですね」と一彦は腑《ふ》におちぬ顔です。
「だって、この扉の中で、大利根博士が“今日はだめだめ、帰ってくれ”などと、いまさっきも喋ったではありませんか」
 一彦には、塩田大尉の言葉がどうしても信じられません。
 塩田大尉は、ますます顔を赤くして、心臓のわくわくするのをじっとおさえつけている様子です。
「一彦君。私の考えはきっとあたっているよ。大利根博士は留守なんだ。この私の言葉にまちがいのないということを、これから見せてあげよう」
 塩田大尉は、この扉のなかに、大利根博士がいないということを一彦に見せてやろうというのです。一彦はたいへん不思議におもいました。彼はあくまで、それは塩田大尉のおもいちがいだと思っていました。
 塩田大尉は、ポケットのなかから、小さい紙包と長い電線とをひっぱりだしました。
「それはなんですか」
「これは爆薬だ。これを入口にしかけて扉をこわすのだよ」
 軍人だけに、塩田大尉のやり方は思いきったものです。これが探偵だったら、合鍵をつかったり、重い材木でつきこわしたりするでしょうに。
 開かぬ扉は、ついに轟然《ごうぜん》たる一発の爆音とともにこわされてしまいました。
 大尉と一彦は、だいぶはなれた地下道のかげに、じっと息をころして、その爆破をまっていたのです。
「さあ、もうこんどははいれるぞ」
 大尉は一彦に目くばせをして、扉のところへかけつけました。
 なるほど扉の錠まわりが、丸窓ぐらいの大きさにぽっかりと穴があいています。ですから扉をおすと、すうっとあいてしまいました。
「さあ、奥へ行ってたしかめよう。博士がいられるかどうかを――」

     3

 入口に、爆薬のけむりがまだ消えてしまわないうちに塩田大尉は室内へおどりこみました。
 一彦は、ちょっと気持がわるくなりましたが、こんなことで退却をしては、日本の少年の名折《なおれ》だと思いましたから、思いきって大尉のあとにつき、勇敢にとびこみました。
「ああ、こんなことをやっていたんだ。おい一彦君はやくこっちへ来てごらん」
 と、塩田大尉はけむりの向こうから、大声でさけびました。
「え。なんですって」
 塩田大尉がなにかかわったものを見つけたらしいので、一彦少年は、胸をわくわくしながら、そこへかけつけました。
 すると大尉は、テーブルのうえにのっている蓄音機のようなものを指さしていました。
「これ、なんでしょう」
「おお一彦君。これは蓄音機だよ。しかし普通の蓄音機とちがう。これはね、こっちから大利根博士の名をよぶと、ひとりでに音盤が回りだして、蓄音機から声が出る仕掛になっているんだ」
「えっ、なんですって」
「君にはわからないかねえ。つまりこの室内に大利根博士はいなくて、そのかわりにこの蓄音機が仕掛けてあったんだ。入口の外で博士の名を三度よぶと室内では音盤がまわりだして、“研究中だ、会わないぞ、帰れ帰れ”などと博士の声が、この蓄音機から聞えてくるのだ。だからこれを聞いた者は、室内に博士がいるのだと考える。ほんとうはこのように博士は留守なんだ。誰がこしらえたのか、たいへんな仕掛をこしらえてあったものだ。も少しで、うまくひっかかるところだ
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