、部屋の中はしずまりかえっています。
「ああ、もしもし、大利根博士!」
 三たび大尉は、扉の前で叫びました。さっき電話をかけたとき、[#「電話をかけたとき、」は底本では「電話をかけたとき、、」]話はよく聞きとれなかったが、博士か誰かわからぬが低い声で返事をした者がありましたので、大尉の声を、せめてその者でも聞きつけて出て来そうなものだとおもったのです。
 ちょうどそのときでした。扉の向こうから怪しい声がきこえてきたのは。――

     5

 扉の向こうで、はじめて人の声がきこえました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 博士は嗄《しわが》れ声でどなるようにいいました。
 塩田大尉と一彦とは、顔をみあわせました。
「博士はいるのですね」
 と一彦は小さい声で塩田大尉にささやきました。
「うむ、博士はやっぱりこの中に居られたね、ふふむ」
 と大尉はなにか意外な面持《おももち》で、ひとりで感心していました。大尉は博士が留守のようにおもっていたらしくおもわれます。
「塩田大尉が来たということが、はっきり博士の耳に通じないのですよ。もう一度、よんでみてはどうです」
「そうだね。じゃもう一度、声をかけよう」
 塩田大尉は、また声をはりあげて扉にむかって博士の名をよびました。
 すると、室内からは返事がありました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 一彦はそれを聞いて、この調子ではとても博士は会ってくれないだろうとおもいました。
 塩田大尉はと見ますと、どうしたものか顔を真赤にしています。
「大尉、どうしたのです」
 大尉はこれに答えようともせず、何をおもったものか、ポケットから手帳と鉛筆とをとりだしました。そして扉の方をにらみすえるようにして、三たび博士の名をよびました。
 すると室内からの返事が、きこえてきました。
「ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ」
 一彦が見ると、大尉は一生けんめいになにか筆記をしています。


   意外な仕掛《しかけ》



     1

「塩田大尉、そんなところで、なにを書いているんですか」
 一彦は、いぶかってたずねました。
「おう、これだ。うーむ」
 と、大尉は大利根博士の居間の扉をにらんで、呻《うな》るようにいいました。
「ど、どうしたんです、塩田大尉」
 大尉はなにごとに気をいらだたせているのでしょうか。
「おお一彦君、ちょっとここへおいで」
 大尉はこのとき、われにかえったように目をぱちぱちさせて、一彦をよびました。
「はい、な、なんですか」
「これをよんでごらん」
 といって、大尉はさっきから何か書きこんでいた手帳を、一彦の方へさしだしました。
 一彦がその手帳をうけとって、大尉の走書《はしりがき》をよんでみますと、次のようなことが書いてあります。
“ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ”
 それから、一行おいてその次に、また書きつけてある文句がありました。それは、
“ああ、ああ、うるさい。わしは研究中だ。誰がきても会わんぞ。今日はだめだめ。帰ってくれ”
 という文句です。前の文句も後の文句も全く同じことが書いてあります。
「塩田大尉は変だなあ、同じことを二度も書いてありますよ。気分でも悪いのですか」
 と一彦がききますと大尉は首をふり、
「体もなにも変りはないよ。変なのは、この扉のうちで返事をした博士の言葉が、いつも同じ文句だということだ。まるでゴム判をおしたように、“ああ、ああ、うるさい”などと、同じことをいっているのだ」
「それがどうしたのです」
「一彦君、おどろいてはいけない。博士は留守なのだ。博士はこの部屋の中にはいないのだよ」

     2

 博士は留守だ――と、塩田大尉は、意外なことをいいだしました。
「だって、それは変ですね」と一彦は腑《ふ》におちぬ顔です。
「だって、この扉の中で、大利根博士が“今日はだめだめ、帰ってくれ”などと、いまさっきも喋ったではありませんか」
 一彦には、塩田大尉の言葉がどうしても信じられません。
 塩田大尉は、ますます顔を赤くして、心臓のわくわくするのをじっとおさえつけている様子です。
「一彦君。私の考えはきっとあたっているよ。大利根博士は留守なんだ。この私の言葉にまちがいのないということを、これから見せてあげよう」
 塩田大尉は、この扉のなかに、大利根博士がいないということを一彦に見せてやろうというのです。一彦はたいへん不思議におもいました。彼はあくまで、それは塩田大尉のおもいちがいだと思っていました。
 塩田大尉は、ポケットのな
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