ズムに聴《き》き惚《ほ》れたものです。受話器を頭から外《はず》して机の上に横たえておきましても三四尺も離れた寝床に入っている僕の耳にそのシグナルは充分《じゅうぶん》はっきりと聞きとれました。エーテル波の漂う空間の声! 僕はそれを聞いていることにどんなに胸を躍らして喜んだことでしょう。いつの間にやら夜《よ》も更《ふ》け過ぎてしまった、戸外《とのも》は怖ろしい静寂の中に、時々|凩《こがらし》が雨戸の外を過ぎて行くのに気が付きまして、急に身体中が寒くなり夜着をすっぽり頭から引被《ひっかぶ》って無理に眠りを求めるなどという事も間々ありました。
年月はうつりかわっていつの間にやら我国にも放送無線電話が始まりました。エーテルの世界には毎晩のようにJOAKの音楽やらラジオドラマが其の強力な電波勢力を誇《ほこ》りがおに夜更けまでも暴れているような時勢《じせい》になりました。僕はただもう、そういう放送によってエーテルの世界が騒々《そうぞう》しく攪《か》きまわされることが厭《いや》でたまりませんでした。僕は反感的に放送を聴くことを忌避《きひ》していました。そして其の頃にはまだホンの噂話だけであった短波長《たんぱちょう》無線電信の送信《そうしん》受信《じゅしん》の実験にとりかかっていました。その電波長は五メートルとか六メートルとか言った程度の頗《すこぶ》る短い電波を出したり受けたりしようというのです。放送ラジオの波長の百分の一位に当りますから、うまい具合《ぐあい》に受信機には全然ラジオを聞かないで済みました。
しかし僕の実験は、放送が終った午前十時[#「午前十時」はママ]から夜明《よあ》け頃にかけてやるのが通例《つうれい》でした。其の時間中は短波長通信には殊に好都合の成績が得られるからこんな変な時を選んだのです。
さて送信をやってみますと、なるほど電波はうまく空中へ飛び出すことが判りましたが、僕の短波長通信に応じて呉れる相手は中々|見付《みつか》りませんでした。米国《べいこく》や英国あたりでは素人《しろうと》のラジオ研究家が大分増えて来たとのことを聞いていましたので、その応答を予期して毎晩のように実験を繰りかえしました。先ず五分間ばかりは、僕が呼出信号を空中へ打って出します。それから今度は空中線を受信機の方へ切り換え、それから五分も十分も耳を澄《す》まして何処からか応答があるだろうと聴いているのですが、いつぞや返事のあった験《ため》しがありません。僕はそれでも一向断念しませんでした。今にもどこからか「ハロー、オールド、マン」とモールス符号で呼びかけてくる僕同様の素人ラジオ研究家のあるべきを信じていました。
それどころか、時にはこんな考えさえ持ちましたことです。僕の出している短波長無線電信は、この地球を既に飛び出してしまっているから中々応答が来ないので、其の内には都合よく火星か金星かにぶつかってそこに棲《す》んでいる生物から前代未聞の怪《あや》しげな応答信号が僕に向って発せられるかも知れないと考えて、思わず声を出して嬉しがったこともありました。
しかし事実の上では、私の送信に対して一回の応答信号も入って来ませんでした。耳朶《みみたぶ》が痛くなる迄、懸けつけた受話器の底には時々ガリガリという空電《くうでん》の雑音が入って来るばかりで、信号の形を備えた電波は全く見出すことが出来ませんでした。時にはこの意味のない空電のガリ、ガリ、ガリという音響を、|●●●《トツトツトツ》というモールス符号のSという字にちがいないと思いこんだこともありました。
それはこの短い波長の無線電信の放送受信を始めてから四十日ほども経ったころには、流石|物好《ものず》きからやり出した僕と雖《いえど》も、少々この「永遠《えいえん》の梨《なし》の礫《つぶて》」には倦《あ》きて来ました。厭気《いやけ》のさしたのを自覚すると、実験をつづけることが急転直下的《きゅうてんちょっかてき》にたまらなくいやになりました。忘れもしない九月の七日の夜のことです。時計は既に次の日の方に廻って午前一時近くを指していました。僕は送信をやめて、受話器を頭に懸けたまま、シグナルを探すというよりも、この送受信を中止した明日から後は何をすることによって日々を楽しもうかと、あれやこれやの計画を思いつづけていました。その時のことです。恰度《ちょうど》その時のことです。――
不図《ふと》気のついた僕は、受話器の底に極《ご》く微《かす》か乍《なが》らヒューッという唸音《ビート》らしきものが入っているのを聞きとることが出来ました。其の唸音《ビート》は大きくなったり小さくなったりして全く聴こえなくなり、至って不安定なものでした。電波の遭難船《そうなんせん》とでも申しましょうか。それはエーテルの大海《おおうみ》に、木の
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