は時節をまっているんだね」
「どうも、いまいましいあのノーマ号だ」
 さだめし、ポーニンとノルマンは、小艇をノーマ号の方へ走らせながら、たびたびくさめを催したことであろう。
 そのポーニンとノルマンは、小艇のうえで、ぴったりよりそって、ぼそぼそと、秘密の会話をつづけている。
「とにかく、私の失策だ。どうも、すこし功をいそぎすぎた恰好《かっこう》だ」
 そういったのは、ポーニンだった。
「どうもよくのみこめませんが、一体どういうわけで……」
「さあ、それだがねえ、ノルスキー」と、ポーニンは、船長ノルマンのことを、ノルスキーと呼んで、「ちょっと頭脳《あたま》がきくやつだとおもったから、これは金さえくれてやれば、うまくこっちの役に立つとかんがえたんだ。まさか、そのすじのものとは、おもわなかったよ。つまりあの船長ロローは、そのすじのまわし者にちがいないということが、はっきりしたんだ」
「へえ、おどろきましたな。どうもまずいことになったものだ」
 本名ノルスキーの船長ノルマンは、ちょっと、くさった様子であった。
「船員に酒をのませろとかなんとか、いいがかりをつけて、そのじつ、こっちの仕事の様子をさぐるのが彼奴《きゃつ》の目的だった。さすがは商売だけあって、はじめのうちは、至極《しごく》すらすらと、私にしゃべらせおった。近ごろにない私の大黒星だ」
 二人の話していることは、警部モロの身の上にちがいなかった。モロの追窮《ついきゅう》があまりにきびしかったので、ポーニンもようやくそれと、彼の素性《すじょう》に気がついたのであった。
「このうえは、彼奴を、なんとかしなければなりませんね」
「そうだ、そのことだ」
 とポーニンは、またさらに顔をノルマンの方に近づけ、
「さっきから、それをかんがえていたが、こういうことにしようとおもう。耳をかせ」
 ポーニンは、船長ノルマンの耳に、なにごとかをささやいた。
 すると、ノルマンは、急にはっと息をとめ、
「えっ、青斑《あおまだら》の毒蛇《どくじゃ》を……」
「これ、声が高い!」
 ポーニンは、ノルマンの口に手をあてて、あたりへ気をくばった。


   雑草園《ざっそうえん》


 サイゴンの港湾部や税関の方へは、うまくはなしをつけたものと見え、それから夜にかけて、平靖号の搭載貨物の大荷役《だいにやく》が、たいへんなさわぎのうちに行われた。
 ノーマ号の船員や水夫たちも、やむを得ず自船《じせん》に停らなければならない者のほかは、全部平靖号へ出かけ、荷役を手つだった。
 船と陸とには、おしげもなく灯火がてんぜられ、まるでみなとまつりの予行演習であるかのようにおもわれた。
 荷役は、深更《しんこう》までつづいた。
 竹見水夫も、あせみどろになって、船と陸との間を何十回となく往復した。
 巨人ハルクも、もちろん、労働の花形であった。彼は陸上の倉庫の方ではたらいていた。
 警部モロは、ポーニンの口から重大な秘密をきいたので、これを何とかして、本部へ知らしたいものと、荷役の指揮をとりながら、しきりにじれていたが、船長ノルマンやポーニンのめが、いっかなそれをゆるさず、そのために、モロは、いくたびも、海へとびこみたくなったほどである。
「どうですな、ロローさん。船長のやくわりというやつは、なかなか大したものでしょうがな」
 ポーニンは、わざとモロのそばへすりよって、そんな風にはなしかけた。
「なあに、大したことはありませんや。このあんばいじゃ、夜明けまでにかたづくでしょう」
「いや、私はもっとはやいような気がする。もう下には、いくらも貨物がのこっていませんよ。すめば、あなたの申出があったように、酒を出します」
「ああ、酒なんか、もうどっちでもいいです」
「いやいや、御遠慮はいらない。倉庫のところからすこしいったところに、あなたも知っているでしょうが、雑草園という酒場がある。あそこへ酒の用意をさせましょう」
「えっ、雑草園ですか。もう、そこへ酒をたのんだのですか」
「いえ、これからたのむところです」とポーニンはいったが「そうだ、あなた一つ雑草園へいってたのんでみてくれませんか。こっちの荷物は、もういくらもなさそうだから、あなたがいないでもいいでしょう」
「そうですね、いってみますかねえ」
 と、警部モロはこたえたが、そのじつ彼は心の中で、たいへんよろこんでいた。いよいよだれにも気づかれず、至極《しごく》自然に上陸ができることになったのだ。
 警部モロが、いそいそと舷側《げんそく》を下りて、小艇の中にすがたを消したのを見すまして、平靖号の甲板《かんぱん》のうえから、それを見おくっていたポーニンとノルマンは、してやったりと、目を見合わせてにやりとわらった。
「うまくいきそうですね」
「ふむ、やっこさん、雑草園へいけば、きっとガーデンの卓子《テーブル》の前にこしかけて、一ぱいやりたくなるにきまっている。そのとき、なんとかいった大きな男が出ていって、うしろから知れないように、うまくやるだろう」
「ああ、あれは巨人ハルクです。青斑《あおまだら》の毒蛇《どくじゃ》は、ハルクにわたしておきました」
「ハルクか。そのハルクは、きっとうまくやるだろうね。毒蛇を仕こんでおいたステッキの蓋《ふた》の明け方を、彼はよくおぼえただろうね。あれは、知らない者がやっても、決して明かないように、複雑な機構にしてあるんだ」
「あの明け方は、一度や二度きいたのでは、おぼえきれませんよ。ですから、私は、予《あらかじ》め蓋をもうすぐ明くというところまで外して、ゆるめておきました」
 と、船長ノルマンは、したりがおにいった。毒蛇は、仕掛のあるステッキの中に入れてあるらしい。一体、その毒蛇を、どのようにつかうのであろうか。
「それは危険だ!」
 と、ポーニンが、まゆをつりあげていった。
「それは危険だ。もし、ステッキの蓋が外れて、毒蛇がはい出す。そして、ハルクにかみつくと、ハルクが死んでしまう。すると肝腎《かんじん》の船長ロローをかたづける計画が、だめになってしまう」
 船長ノルマンは、しばらくだまっていたが、
「そんなに心配なら、私も上陸しましょう。そして、もしハルクが、やりそんじたら、こいつでかたづけてしまいましょう」
 と、胸のポケットの上をたたいた。そのポケットの中には、彼ら一派が愛用している万年筆の形をした消音小型ピストルが入っていた。
「それをこんなことにつかうのは、感心しないぞ」とポーニンは、くびをふった。「弾痕《だんこん》や弾丸から、われわれが何処の国籍の人間か、すぐ判断されてしまう」
「じゃ、彼奴《きゃつ》のうしろへまわってくびをしめましょう。そしてだれにも気づかれぬうちに死骸《しがい》をうまくかくしてしまいましょう。われわれの出帆までに発見されなければいいでしょうから」
 警部モロの身の上について、おそるべき相談が、怪人物ポーニンと、船長ノルマンとの間に出来た。


   荒療治《あらりょうじ》


 なにも知らない警部モロは、上陸すると、すぐその足で、酒場《さかば》雑草園へいった。それは、まず忠実にいいつけられた用事をはたし、ほかからうたがいの眼をむけられないためであった。まさか彼は、そのような細心の注意が、もはや無駄だとは知らなかった。
 警部モロは、ビールがすきであった。
 だから彼は、その夜の饗宴《きょうえん》のことをすっかりたのんでしまった後で、ボーイに、ビールを所望した。
「じゃあ、旦那さん。あっちに、すずしいしずかな席がございますから……」
 と、ボーイは、警部モロを、この酒場の名のとおりの雑草園の方へ案内し、そこにところどころに置いてある野外席の卓子へみちびいた。
 むしあつい夜だったので、そよ風吹くその卓子は、警部モロを悦《よろこ》ばせた。そして彼は、ここ暫くつづいた敵中の緊張を、一時ほぐすために、ビールの大コップをとりあげたのだった。それは、実にすばらしいビールのあじだった。モロは、生れてはじめて、ビールがこんなうまいものかと、おどろいた。そうであろう、そのビールこそ、彼の末期《まつご》の水であったのだから。
 雑草園のものかげに、巨人ハルクは、原地人のふくを着て身をしのばせていたが、船長ノルマンからいいつけられたとおり、モロの卓子に、当のモロの外、誰もいなくなったのを見すまし、例のステッキを持って、のこのこ出ていった。
「もし旦那さん。ステッキをおとどけ申します」
 警部モロは、もうすこしあかいかおになっていたが、
「ステッキ? 一体そりゃ何事だ」
 と、こわい眼で、ハルクを見た。
「さあ。わしはなんにも知りませんが、今雑草園へ入っていった旦那に、このステッキをわたしてくれと、たのまれましたのです」
「ふーん、それをたのんだのは何者か」
「さあ、わしの知らない人ですが、どうやらそのすじの人らしい……」
「よし、わかった。もう後をいうな。ステッキをこっちへよこせ」
 ハルクは、フランス語をすこししゃべる。それをノルマンが利用して、この芝居をやらせているわけだった。
 ハルクとしては、めいわくこのうえもないが、まさか相手が、土地の警部であり、そしてハルク自身が今殺人に取り懸っているなどとは知らない。一方、警部モロはモロで、ハルクのことを本部からの連絡密使であると、かんちがいをしてしまった。
 黒いステッキのあたまが、モロの方へさしだされた。ハルクは、そのステッキの根元《ねもと》をもって、さしだしたのであるが、それもノルマンからいわれたとおりにした。すると、彼の手は、釦《ボタン》をおさえたことになる。とたんに、ステッキの蓋が、ぱちりとあいた。その瞬間ステッキがにゅっと伸びたように見えた。
「あっ、あッッ!」
 それが警部モロの最後のこえだった。ステッキの中にひそんでいた青斑《あおまだら》の毒蛇《どくじゃ》が、蓋が明いたとたんに、警部モロのゆびさきに咬《か》みついたのである。
 モロは、面色《めんしょく》土のごとくになり、発条仕掛《バネじかけ》の人形のように、突立ちあがり、椅子をたおした。彼の左手が、ぶるぶる震えるなわのようなものを、右手からひきちぎった。そしてハルクめがけて、ぱっと投げつけた。それは青斑の毒蛇だった。
「あっ!」
 ハルクは、ふって湧いた意外な事件にすこしぼんやりしていたところだった。とびついて来るものが蛇だと知ったとき、ハルクは、拳《こぶし》をかためて、ぴしりと蛇を払いのけた。蛇は足元におちて、がさがさと音をたてた。
「こいつ奴《め》!」
 ハルクは、それがまさかおそるべき毒蛇だとまでは気づかず、こんどは、足をあげて、うむと、蛇をふみつけた。
「おう、うまくいった。ハルク、その先生をこっちへ抱いてこい」
 突然ハルクに呼びかけたのは、船長ノルマンだった。
「あっ、船長」
「余計な口をきくな。はやくやれ、はやく。その先生をかかえて、こっちへ来い」
 警部モロは、酒をのんでいたところへ、毒蛇に咬まれたので、たちまち毒が全身にまわって一命をおとしてしまったのである。
 ノルマンは、ハルクに手つだわせ、彼が怪訝《けげん》なかおをしているのをしかりつけながら、警部モロの死骸を、下水管の中へ放りこんで、しまつをしてしまった。
「まず、これでいい」
「船長、ひどいことをするじゃないか。わしには何にもいわないで……」
「れいをする。だから喋《しゃべ》るな」
「毒蛇をわしにあずけておいて、用心しろ、咬まれるとお前の生命があやういぞともいってくれなかったのは、いくらなんでも……」
 といっているうちに、どうしたわけか、ハルクは、急にあわてだした。


   蛇毒《じゃどく》は廻る


「船長、ま、まってくだせえ」
 ハルクは、くるしそうにあえぎながら、ふりしぼるようなこえでいった。
「なんだ、ハルク」
 と、船長ノルマンは、うしろをふりかえったが、ハルクは、やけつくようないきをはっはっと、はいている。
「おや、お前どうした、ハルク」
「あ、いけねえ……」
「なに、いけない。なにが、いけないというのか」
 船長ノル
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