マンが、懐中電灯をてらして、ハルクにさしつけたときには彼は、くちびるを紫色にし、死人のようなかおをしていた。
「うむ、さては」
「船長。あの蛇は、毒蛇だったんだな」
ハルクは、ぎりぎりと歯をかみあわせた。
船長ノルマンは、無言だ。おもいがけないことになって、彼は善後処置をかんがえているらしい。
「おれは知らなかった。あの男を殺す役目をいいつかっていたとは知らなかったんだ。だが、そのばつがあたったんだ、おれは、毒蛇に足を咬まれてしまった。ああ、あいた……」
巨人ハルクは、どさっと、地上にうちたおれた。
「こら、ハルク。しっかりしろ。お前が、どじをふんだもんだから、だれをうらむこともないぞ」
「なにを、船長ノルマン。お前は、ず太いが、卑怯者《ひきょうもの》だ。なぜ、正直者のおれに人ごろしをさせた。しかもおれには、わけもなんにも知らせないで……。おれをペテンにかけやがった。正直者のおれを……」
巨人ハルクは、傷口の上を両手でけんめいにおさえて、うらみのことばをノルマンになげつけた。
そのとき、雑草園の本館の方から、がやがやと、人のさわぐこえが、きこえてきた。
船長ノルマンは、ここで人に見つかってはあとが面倒だとおもったので、ハルクのかたを叩き、
「おい、ここじゃ、具合がわるい。かたをかしてやるから、つかまれ。あっちで、医者に診《み》せてやるから」
「うーん、いたい」
ハルクは、口で、自分のシャツを、ペリペリと引き破《やぶ》った。それから、片手をつかって、ギリギリと巻き、それで右脚を、ふくら脛《はぎ》のうえで、かたく縛った。その間も、彼はたえず、獣のようにうなったり、はあはあと、あらいいきをはいたりした。
雑草園の中は、ますますさわがしくなった。ノルマンたちのことに気がついたのか、それとも酔《よ》っぱらいがさわいでいるのか、はっきりしなかったが、とにかく、はやくむこうへいかないと、とがめられる恐れがあった。
「さあ、しっかりつかまれ」
船長は、そういって、ハルクにかたをかした。そしてかけるように、速歩《そくほ》で歩きだした。
「うっ、くるしい。もっと、しずかに……」
「ちぇっ、なんだ、ふだんは巨人ハルクといわれていばっているあらくれ男のくせに。これくらいのことで音《ね》をあげるたあ、死《し》に損《ぞこな》いの女の子みたいじゃないか」
「ま、まって……」
「しっかりしろ。ぐずぐずしてりゃ、二人ともつかまっちまう」
船長ノルマンは、有名な強力《ごうりき》だったから、巨人ハルクのうでをかたにかけ、彼の巨体を、ひきずるようにして、どんどん埠頭《ふとう》の方へいそいだ。
やがて二人が近よったのはぷーんと異様な臭気のただよっている倉庫だった。その倉庫の入口は明いて、しきりに物をはこびこんでいる。そこはつまり、平靖号の積荷をはこびこんでいる例の倉庫だったのである。
「あっ、船長」
ノーマ号の火夫《かふ》の一人が、目ざとく、二人をみつけた。
「おう、だれにもいうな。こいつ、意気地《いくじ》がないから、やられちまったんだ。おくへ入るから、だれにもだまっているんだぞ、いいか」
「へい、へい」
火夫は、ぺこぺこあたまをさげた。彼も、船長ノルマンのおそろしいことは、知りすぎるほど知っていた。ノルマンは、肩にしていたハルクを、倉庫の一等おくまったすみへ、たわらでもなげつけるように、ころがした。
「ううッ……」
といったきり、ハルクは、死人のようにぶったおれ、そのままうごかない。
船長は、足をあげて、ハルクのかたをけった。ハルクは、上むきになった。ひどい形相《ぎょうそう》であった。
「ふん、此奴《こいつ》は、もうだめらしい」
鬼船長
そこへ飛びこんできたのは、竹見水夫だった。
彼は、船長ノルマンの姿をみるや、
「ハルクが、やられちまったそうですね。何処にいますか、ハルクは? 一たい、どの野郎と喧嘩をしたんですか」
と、あたりをきょろきょろとうかがう。ノルマンは、無言で、竹見の間に、通《とお》せんぼうをして立つ。
そのとき、ハルクが、一声うなった。
「あっ、ハルク。お前、どこにいるんだい」
竹見は、ようやくハルクが、貨物のかげにたおれているのに気がついたようであった。彼が、ノルマンの間をすりぬけて、後へとびこもうとすると、奇怪にも、ノルマンは竹見の肩を力まかせに、どんとつきとばした。
「あっ、……」
竹見は、不意《ふい》を食《くら》って、その場によろよろ、しりもちをついた。
「船長、な、なにをするッ」
竹見は、あわててとび起きると、すさまじい形相で、みがまえた。
「さわぐな。お前には関係のないことだ。むこうへいけ――」
「いやだ、仲間のくるしんでいるのを知って、放っておけるものですか」
「なに、反抗するか。竹、船長の命令だ。おもてへいって、お前は仕事をつづけろ」
「いくら命令でも……」
「うるさい野郎だ。じゃあ、早いところ、はなしをつけるぞ。これでも、おれの命令にしたがわぬというか」
船長ノルマンの手には、きらりとピストルが光った。
「やっ」竹見は、いきを、はっととめた。「それほど――いや、向うへいきますよ」
手元へ飛びこんで組打《くみうち》とも考えたが、船長と格闘することよりも、自分に親切にしてくれたハルクの安否《あんぴ》をはやく見てやりたいとおもったので、歯をくいしばって我慢した。そして倉庫の出口へ出ていった。
船長ノルマンは、ぴゅーと、唾をはくと、やはりハルクのことが気になると見え、彼の様子をのぞきにいった。
「あっ、船長。手をかしてくれ」
ハルクは、こえをふりしぼってさけぶ。
「なんだ、ハルク」
「ここんところを……」といって、ハルクはひざがしらをさし、
「ここんところを、船長の力一ぱいにしばってくれ。毒が……毒が……」
さっき彼のふくらはぎのところを自分で縛《しば》ったが、それがゆるんで、蛇毒《じゃどく》が上へまわるのをおそれてのたのみだったらしい。
だが船長ノルマンは、ぬッと立ったまま、あわい電灯の光の下に、冷やかにハルクを見下《みお》ろすばかりだった。
「船長。は、はやく……」
「おい、ハルク」
「ええッ」
「くたばるものなら、はやくくたばってしまえ」
「な、なんと……」
「そうじゃないか。お前の不注意で、蛇にかまれたんだ。そのおかげで、おれにまで、つまらない心配と、無駄な時間とをついやさせやがった。お前がはやく死んで呉《く》れれば、おれはたすかるのだ。おればかりではない、全乗組員も、ポーニン委員も、皆たすかるんだ」
「ううーッ」
「お前も、そのくらいのことは、察しがつくだろうがな。お前を医者にかけてみろ。お前が雑草園で、なにをしたかということが、すぐ世間へばれてしまうじゃないか。ノーマ号と平靖号とが、特別の積荷をそろえて、無事このサイゴン港を出航できるまでは、お前のその身体は、だれにも見せたかないんだ」
「うう、この悪魔め!」
「こういうわけだと、そのわけを聞かせてやるのも、あの世《よ》へたび立つお前への手土産のつもりだ。もっとも、医者にみせたって、この有様じゃ、所詮《しょせん》たすかる見こみはないにきまっていらあ」
「ち、畜生! お、おれは死なないぞ!」
「これ、しずかにしろ」
「お、おれの死ぬときゃ、き、貴様たちも、地獄へ引《ひっ》ぱっていくんだ。は、うん、くるしい」
「まだ、喋《しゃべ》るか」
「だれが、き、貴様たちの計画どおりに――」
「だまれ!」
鬼のような船長ノルマンは、足をあげて、ハルクの顔を、下からうんと力まかせに蹴上《けあ》げた。
ハルクの顔からは、たらたらと赤い血がながれだした。
二度目に蹴上げたとき、ハルクは、うんとうなって、その場に悶絶《もんぜつ》してしまった。
彼等の秘密計画がばれるのを、ひどくおそれているからのこの暴行ではあったが、それにしても、面倒を見てやらなければならない部下にたいして、このひどい仕打は、船長ノルマン――いやノルスキーの脈管にながれている残虐性のあらわれであるとおもえた。
友情
船長ノルマンは、ハルクが、気をうしなってしずかになったのを見すますと、倉庫の出入口へ現れた。
「おい、この倉庫は、閉めるから、出る者は今のうちに皆出てこい」
倉庫の中は、もうほとんど一杯だったので、皆は、他の倉庫へ、陸揚の貨物をはこんでいた。残っていたのは、後片附けと見張りのノーマ号の船員数名だけだった。
船長ノルマンは、倉庫の入口を自《みずか》らぴたりととじると、大きな錠《じょう》をかけた。その鍵は、彼のポケットへ――。
「なにを、ぼんやりしとる。ぐずぐずしていると、もうすぐ夜明けになるじゃないか。はやくむこうへいって、手伝え」
ノルマンに、口汚《くちぎたな》くしかられて、船員たちはあわてて、別の倉庫の方へかけ出していった。
瀕死《ひんし》のハルクは、ただ一人、とうとうこの倉庫のおくに、とじこめられてしまった。まったく同情に値《あたい》することだった。このうえは、サイゴン警視庁の活動をまつよりほかないが、まだむこうでは、モロ警部の遭難さえ気がつかない様子だ。
それから、小一時間ほどたってから後のことだった。巨人ハルクのとじこめられた倉庫の、通風窓《つうふうまど》にはめられてあった鉄格子《てつごうし》が、きいきいとおとをたてはじめた。
きいきいという音は、しばらくすると、ぱたりと止み、それからまたしばらくすると、きいきいと高いおとを立てはじめる。窓からは、セメントが、ばらばらと下へおちる。誰か、通風窓の鉄格子を、ひき切っている者があるのだった。
二十分ばかりたつと、その通風窓から、ぬっと、一つの顔が現れた。
「おい、ハルク」
あたりを忍《しの》ぶようなこえで、倉庫の中へよびかけたが、返事はなかった。
「どうしたのかな。もう一本切れば、なんとか入れるだろう」
ふたたび、きいきいと鉄格子をひき切る音がはじまった。どこから持ってきたか、高速度鋼《こうそくどこう》のはまった鋸《のこぎり》を、一生けんめいにつかっているのは、外ならぬ水夫の竹見だった。彼は、ハルクの身の上をあんじて、この無理な仕事をつづけているのだった。
やがて竹見は、ついに目的を達して、通風窓から、倉庫の中に、ずるずるどすんと、入った。
「おい、ハルク。どこにいる」
竹見は、マッチをすって、あたりを探しまわった。
「あ、こんなところに……」
とうとうハルクの倒れている隅っこを見つけた。
ハルクは、虫の息《いき》だった。体は、火のようにあつい。竹見は、おどろいて、空《あ》き瓶《びん》の中に入れて持ってきた水で、彼のくちびるをうるおしてやった。
ハルクは、やっと気がついたようであった。
「お、おのれ!」
「おい、ハルク、おれだ、竹だ。お前の仲よしの竹だよ、ほら、よく見ろ」
竹見は、マッチをすって、自分の顔を照《て》らした。だがハルクは、目を開かなかった。まぶたをあける力もないのであろう。でも竹見のこえはわかったと見え、かすかにうなずき、
「うん、た、竹か。よ、よく……」
よく来てくれた――といいたいのであろう。
「一体どうしたのだ。ハルク。おや、脚をしばったり……。おお。脚が紫色に腫《は》れあがっているぞ」
「へ、蛇だ。ど、毒蛇だ……」
「なに、毒蛇にやられたのか、そいつは災難だなあ」
「いや、ノルマン……」
といいかけて、ハルクは、苦しさのあまり、また昏倒《こんとう》してしまった。
竹見は、おどろいた。何もかも、一ぺんにやりたくて、焦《じ》れったかった。
彼は、ノーマ号へ乗り込んだときからの、この親切な巨人のため、おんがえしのいみで、できるだけのことをした。傷口を、持って来た洋酒で洗ったり、新たに膝のうえで縛り直したり、それからハルクの口を割って気つけ薬を入れてやったりした。
その手篤《てあつ》い看護が効《こう》を奏《そう》したのか、それとも竹見の友情が天に通じたのか、ハルクはすこし元気を取り戻したようであった。
「た、竹
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