のか」
「いや、もうあとに、なにもありません」
「そうか。ではすこしかんがえたうえで、買うか買わないかを、はっきり決めよう。そのうちに、僕の方から電話をするからね」
「へい、どうもありがとうございます。どうぞよろしく」
 警部モロは、ポーニンに別れると、すぐその足で、警備庁へかけつけた。
「おい、どうだったか、モロ警部」
「ああ、長官。ポーニンの奴は、はなはだ奇怪なところへ、あの多量のセメントを売りこむようですよ」
「ふん、そうか。それで……」
「第一に、そこは太陽の照《て》っていない場所です。第二に、そこは、塩分がある場所なんです。どうです、お分りになりますか」
 アンドレ大佐は、首を横にかしげて、怪訝《けげん》なかおをした。
「なんだ、それは。まるで謎々《パズル》のだいみたいではないか。このいそがしいのに、そんな遊戯はよそうではないか」
「はははは。長官閣下、これは、遊戯的な謎々ではありません。現下の国際情勢の複怪奇性《ふくかいきせい》を解く重大な鍵の一つでありますぞ」
「ほう、モロ警部。はやく結論をいったがいい」
 長官アンドレ大佐は、自分の長い髭《ひげ》を指先で、ちょいとおしあげた。
「つまり、長官閣下、これはポーニンの買いこんだセメントが、海底でつかわれることを物語っているのです」
「なんじゃ、海底でセメントを使う?」
「そうです。そのセメントは太陽光線で風化するぞと、私はポーニンにいったんですが、そんなことは平気だ、というのです。これはつまり風化をおそれないのではなくて、そこには太陽光線がとどかないから、だからおそれないという意味なんです。太陽光線のとどかないところといえば、地底か海底か、そのいずれかです」
「なるほど、手のこんだ推理だ」
 長官は、別の髭の方に、指先をうつした。
「それから私は、潮風や塩分によって、そのセメントはすぐくろくなるぞといったのです。ポーニンは、これをきいて、くろくなるということは、セメントが分解して変質でもするという意味かと、聞きかえしました。私は、そうではない。黒ずんで見た目がわるいだけのことで、品質にはかわりないといったところ、ポーニンは、それなら自分の使い途にはさしつかえないというので、近日はっきり注文すると約束をしてくれました」
「うん」
「つまり、これで判断すると、ポーニンがこれからそのセメントをつかおうとする所は、塩気があるのです。――さきに申上げた第一で、地底か海底かのどっちかときまり、次の第二で、塩分の多いという条件が入れば、結局その答は、ポーニンのやつ、海底でそのセメントをつかうのだということになるではありませんか」
「なるほど、なるほど。それでよく分った。たった二つの質問でもって、そのような重大事実をつきとめたとは、最近モロ警部はなかなか凄腕になったものだ」
 長官からしきりにほめちぎられて、警部モロは、少々はなの先がむずがゆくなった。
「ところで、そのおくを洞察することが、肝要《かんよう》だて」
 アンドレ長官は、モロをほめるのはいい加減にして、急に方向転換した。
「えッ」
「セメントを海底へもっていって、一体何をするつもりかという問題じゃ」
「はあ、なるほど」
「なんだ、モロ警部。君が感心していては、こまるじゃないか。そのところが、事件の核心をつくものだとおもうが、君はまだその方をしらべきっていないのかね」
「はあ、まだですが……」
 といったきり警部モロは、ぼうのように固くなった。なるほど、あのセメントを海底へもっていって何をするつもりか。これはたいへんな大問題である。


   サイゴン近し


 謎のポーニン氏から、極東セメント商会の外交員を装う警部モロのところへ電話がかかってきた。
 当時モロは、店にいなかった。
 でも、モロがいなくてもポーニンからの電話には、すぐ出てくれるようにとの言伝《ことづて》が、官憲の名によってきびしく命令されていたので、その電話は、すぐさま警部モロと声音のにた秘書課のラームという社員の机上電話につながれた。
「ラームさん」と商会の交換手がいった。
「例のフランス氏こと実はポーニン氏から、モロ警部さんあてにお電話よ。しっかりして、応対してくださいね」
「わーっ、とうとう来たか。よし、おちつくぞ。――つないでもいいぞ」
 間もなく、くりッとおとがして、ポーニン氏の声がはいってきた。
「ああ、もしもし。フランスですがね。あなたはこの間私のところへ来られた……」
「ああ、そうです、そうです。えッへん」
 と、ラーム社員は、警部モロをまねて、わざとへんなせきばらいをした。
「ああ、わかりました」とポーニン氏は、へんなことに感心して、
「ところで、例の話のことですがね、すぐお出《い》でをねがいたい。場所はモンパリという料理店です。私の名をいっていただけば、すぐわかります」
「ははア、承知いたしました。す、すぐにうかがいますでございます。えッへん」
 といって、受話器をおいたが、彼の額には、玉のようなあせが行列をつくっていた。
「おいおい皆、きいてくれ。フランス氏がモロ警部に会いたいというんだが、すぐ警部に電話で連絡をつけなきゃならない。一体警部は、今どこにいっとるのか、知っているやつはいないか」
 社員ラームは、まわりの同僚のかおを、ずっと見廻《みまわ》した。
「ああ僕が知っているよ。さっき御当人から知らせがあったよ。料理店のモンパリにいるといってたよ」
「えっ、モンパリ、なんだ、同じ店じゃないか。あらためて出かけるまでもなく、モロ警部は、モンパリにいるのか。なんだかはなしがへんだね」
「すこしも、へんじゃないよ。モロ警部は、実は昨日から、ずっとフランス氏のあとをつけてまわっているんだよ。今の電話も、当人のモロ警部が、机の下かなんかにはいこんだまま、お先へ聞いてしまったかもしれないよ」
「うむ、なんでもいいから、すぐモンパリへ連絡しなきゃ、あとで大へんなおしかりに会うぞ」
 ラーム社員は、また電話器をとりあげて、料理店モンパリへの連絡をたのんだ。
 ところが、電話が話中で、なかなか相手が出て来ない。ラーム社員は、髪の毛をむしって、じれた。
 丁度そのころ、このサイゴンの港から三十キロの海上を、問題のノーマ号と平靖号とが、おしどりのようにつながって、西に航行していた。もう夕刻に近かった。
「おいおい、竹!」
 呼んだのは、船長ノルマンであった。
 竹とよばれた水夫の竹見は、巨人のハルクと繋索《けいさく》の手入れをしているところであったが、うしろを向くと、そこに船長ノルマンが立っているので、また例の皮肉な用事かと、舌うちをしながら立ち上った。
「なにか御用ですかい。こんどは、トップスルまで、十五秒半でのぼって御覧に入れますかい」
「だまって、わしについてこい。面白いものを見せる」
「面白いもの?」
 どうせ、真直に面白いものではなかろうが、そういわれると、見ないではいられない。水夫の竹見は、ハルクの方へ、それと眼くばせしてから、船長のうしろにしたがった。
「まあ、入れ」
「はあ。ここは船長室ですか」
「ふん、それがどうした」
「いやに綺麗ですね。へえ、今夜はなにか始まるんですか。これは小型映画の機械じゃないですか」
 竹見は、卓上にのっている小型映画の映写機をさした。
「ははあ、おまえ、なかなかインテリだな」
「いえ、わしは活動の小屋で、ボーイをしていたことがあるんで」
「なんでもいい。面白いものを見せるといったのは、サイゴンに入港する前、お前にぜひ見せておきたいフィルムがあるんだ。今うつすから、まあそこで見ていろ」
「えっ。船長さん、おどかしっこなしですよ」
 竹見が、椅子のうえにこしをおろすと、室内がぱっとくらくなって、スクリーンに映画がうつりだした。海の映画だ。
「あっ、あの船は!」
 竹見は、おもわず、大きなこえを出した。


   おお平靖号《へいせいごう》


「あっ、あの船は!」
 と、竹見がさけんだのも道理であった。スクリーンのうえに、とつぜん現れた汽船は、これぞ竹見が先に乗組んでいた仮装中国貨物船の平靖号であったではないか。
 そのとき、竹見の背後で、船長ノルマンの、ふふふふと、うすわらいをするこえが聞えた。
「船長さん。いまうつっているのは平靖号だが、いつ撮影したんですか」
 と竹見は、たずねた。
「まあ、しずかにして、もっと先を見ているがいい」
 船長のこえは意地悪い調子をおびていた。
 映写機はことこととおとをたて、フィルムをくりだす。竹見は、だんだん目を大きく見開いて、画面にすいつけられたようになっている。
 画面の平靖号は、かなり大きくうつっていた。船長が、ほとんど画面の全部をうずめているくらいの大きさだ。どうやら、これは倍率の大きい望遠レンズのついた器械でうつしたものらしい。
 そのとき、竹見がふと気がついたのは、平靖号の船腹に、一隻のボートが、大きくゆれながら、繋留《けいりゅう》していることだった。そのボートには、不似合いな大きなはたが、はためいていた。
(おお、あれは軍艦旗のようだ!)
 竹見は、どきんとした。いやなところを、船長ノルマンはうつしたものだ。これはどうやら、平靖号が、岸少尉の指揮する臨検隊を迎えたときの光景ではあるまいか。なぜノルマンは、こんなところを、映画にとっておいたのか、ふしぎでならない。
 すると、画面は一変して、甲板《かんぱん》の大うつしとなった。また更に倍率の大きいレンズを、つぎ足したものとみえる。
 甲板に整列している乗組員は、いずれも見覚えのある同志ばかりだった。両脚のない虎船長が、船員にかかえられて甲板に姿をあらわした。すると、画面に岸少尉が出てきた。つかつかと虎船長のところへ寄ると、しっかと握手をして、つよくふった。感激に虎船長の顔が歪《ゆが》んだようになるところまでが、いやにはっきり画面に出てきた。
 画面は、それから下方に動いて、岸少尉一行がボートへ乗りうつるところがうつり、それから画面はまた甲板にもどって、虎船長の感激のなみだにぬれた顔やら、幹部の万歳をとなえて手をあげるところや、はては水夫竹見のすがたまでがうつったものであるから、竹見はもうびっくりしてしまった。
「ふふふふ、どうだ、この映画は、さぞ貴様の気に入ったろう」
「うむ――」
 船長ノルマンの皮肉な台詞にたいして、竹見は目を白黒するより外なかった。なぜ船長ノルマンは、こんな映画をとったのであろう。そしてまた今、わざわざ竹見をよんで、強制的に見せたのであろう。これは油断がならないぞと思った瞬間、竹見の腹の中は、熱湯が通ったようにあつくなった。
「わしには、よく分らないが、平靖号を映画にとるなんて、フィルムの方が勿体《もったい》ないじゃないですか」
「ふふふふ。相手は平靖号だから、こうして貴重なフィルムをついやすだけの値打があるわけさ」
「ふん、ばかばかしい。きつい道楽というものですよ。とび魚のとんでいるところや、甲板を怒濤があらうところなどをとっておいた方が、よほど値打がありますよ」
「あはははは。そう狼狽《ろうばい》しないでもいいじゃないか。この映画を見れば、平靖号の乗組員が、本当の中国人か、それとも偽せの中国人だか、よく分るのだ。これほど値打のある映画は、そうざらにあるものか」
 そういって、船長ノルマンは、映写をとどめ、まどをあけて室内を明るくした。竹見は、ここでノルマンにとびつき、首をしめてやろうかとおもったが、むこうでも油断なく竹見の方に気をくばっていて、すぐにもピストルをつきつける用意のあるのが見えた。
(もう、これは諦《あきら》めるしかない)
 えい、竹見は嘆息《たんそく》した。たしかにこの映画をみると、一同が日本人であることは、明白であった。
「船長さん。わしにこんな映画を見せて、それでどうしようというのですか」
 竹見は、自分からお先に切り込んだ。
「ふふふふ。貴様はなかなかはなせる男だぞ。そこでこっちのたのみというのは、平靖号まで貴様に、使いにいってもらいたいのだ」
「なに
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