の船内をはしりまわって、なかなかつかまえられませんぜ」
「ふーん、それはお前のいうとおりだな」
 と、事務長はうらめしそうなかおになって、本船の方をふりかえった。本船の甲板では、虎船長が、椅子のうえにどっかとすわって、こっちをにらんでいた。


   投《な》げナイフ


「おい、こまったな。お前一つ、骨をおってくれないか」
「えっ」
「お前は竹と仲よしなんだろう。だからお前がむかえば、竹は反抗しないでつかまるだろう」
「ごめんこうむりましょう。そんなことをすれば、わしゃ、ねざめがわるいや。とらえられりゃ、どうせ竹の野郎は、死刑にならないまでも、船底に重禁錮《じゅうきんこ》七日間ぐらいはたしかでしょう」
 丸本は、なかなか承知をしない。
 事務長も、これにはかえす言葉もなかったが、さりとてこんなところにぐずぐずしているわけにもいかない。
「竹の刑罰のことは、おれが保証して、かるくしてやるから、お前《まえ》一つつかまえろ」
「困ったなあ。重禁錮にしない約束、くい物と酒はたっぷり竹にやってくれる約束、それなら引受けますぜ。わしゃ計略《けいりゃく》をもって、竹のやつを縛っちまいまさあ」
「くうものはくい、のむものはのむ囚人なんて聞いたことがないが……仕方がない、おれが虎船長にとりなすから、はやくお前はかかってくれ。おれたちはこっちで、おとなしく控《ひか》えている、しかし加勢をしろと合図《あいず》をすれば、すぐとびかかるから」
「ようがす。じゃあ、いまの約束は、男と男との約束ですぜ。まちがいなしですぜ」
「うん、くどくいわなくてもいい。まちがいなしだ」
 ノルマン船長を前にして、二人は気がねをしながらも、早口の相談一決!
 そこで丸本は、ノーマ号のとも[#「とも」に傍点]の方へ、のこのことでかけていった。それと入れかえに、事務長は、部下を彼のかたわらへよびよせて、いつでも丸本に加勢のできるように用意をした。
 丸本は、どんな計略をもっているのであろうか。彼の歩いていく後から見ると、いつの間にか麻紐《あさひも》で輪をこしらえて、かくし持っている。
「おい竹……おい、竹」
 丸本に呼ばれて、竹見は知らぬが仏で、安心しきってノーマ号の船員の間をかきわけ、前へ出てくる。
「おい竹よ。いま事務長さんから特別手当が出た。ほら、わたすよ。手を出せ」
「なんだ。特別手当だって、いくらくれるのか知らないが、はて、あの事務長め、いつからこんなに気がきくようになったか」
 と、ひょいと手を出すところを、丸本がまっていましたとばかり、麻紐の輪をかけてしまった。
「あっ、おれをどうするのか」
「わるくおもうな、おとなしくしろい。お前を縛ってつれもどれと、虎船長の命令だ」
 竹見は、しばらく目をぱちぱちしていたが、
「いやだい。あんな船へ、だれがかえるものか。お前、おれを売ったな」
「売ったなどと、人聞きのわるいことをいうな。これもお前のためだ。わしは飯《めし》も酒も……」
「いうな、うら切りお爺《じい》め! お前なんぞにふんづかまってたまるかい」
 といってはねのけようとする。そのときばたばたとかけてきたのは、待機中の事務長をはじめ派遣隊の連中だった。この連中にそうがかりになっては、大力の竹見といえどもどうにもならない。
「おーい、ハルク、だまってみていないで、おれをたすけてくれ。おれが捕って本船へつれもどられると、死刑になっちまうんだ」
 それを聞くと、ハルクはウィンチの下からのっそり前に出てきた。彼は、太い筋の入った両腕を、ゆみのようにはって、竹見の加勢をすると見せた。
「よせよせ、ハルク」
 他の船員たちが忠告した。しかしハルクは缶詰をもらったおれいの分だけ、力を出すつもりであった。
 平靖号の船員対ハルクの乱闘のまくは、今にもノーマ号の甲板の上に切っておとされそうになった。
 そのとき竹見は、ハルクの後へ退《さが》っていたが、睨《にら》み合いの相手丸本をいつになくきたない言葉でののしり、
「やい、うら切り者よ。これが受けられるなら受けてみろ」
 というなり、竹見の掌《てのひら》からぴゅーんといきおいよく、一挺のナイフが丸本の方へとんでいった。竹見のなげナイフ。丸本のとめナイフ――といえば、平靖号の名物の一つだ。どっちも神技というべきわざをもっている。だが今は曲技《きょくぎ》くらべではない。丸本は、竹見が自分に殺意を持っていると見て、大立腹《だいりっぷく》だ。ぴゅーととんでくるナイフを、ぴたりと片手でうけとめ、ただちに竹見の心臓をねらってなげかえそうとしたが、そのとき妙な手触《てざわ》りを感じた。見ると、ナイフの柄《え》に、シャツをひきちぎったような布ぎれがむすんであった。
「おや!」
 と叫んだ、丸本はその布ぎれに、なにか字が書いてあるのに気がついた。


   火薬船


 丸本は、はっとおもった。
 どうも、さっきから、竹見のそぶりという奴が、一向《いっこう》腑《ふ》におちない。あれほどの仲良しの竹見から、ナイフを、なげつけられようなどとはまったく想像もしなかったのである。でも、とんでくるナイフは、ぜひ受けとめねばいのちにかかわる。そこで、こっちも手練の早業《はやわざ》で、やっとナイフを受けとめてみると、そのナイフの柄に、布《ぬの》ぎれがついていたのであった。それにはおどろいた。
 いや、愕《おどろ》きは、そればかりではない。その布ぎれには文字がしたためてあった。彼は、すばやくその文字を拾いよみした。
“火ヤク船ダ。オレハノコルヨ”
 彼は、たてつづけに二三度、それをよみかえした。しかし、そのいみを諒解《りょうかい》するには、まだその上、五六|度《ど》もよみかえさねばならなかった。そして、その真意がわかったとき、丸木のからだは、昂奮《こうふん》でぶるぶるふるえだした。
「うむ、“火薬船だ、俺は残るよ”そうか、このノーマ号は火薬をつんだ船なのか、それで、竹見のやつが、この船にのこるというのか」
 丸本は、ちらと、竹見の方に、すばやい眼をはしらせた。
“どうだナイフにつけてやった手紙の文句のいみが分るか”
 と、いいたげな竹見の目附であった。
「竹見の奴、このノーマ号が火薬船だから残るというが、火薬船なら、なぜ残らなければならないのか」
 こいつは、ちょっとばかり謎がむずかしい。丸本には、竹見の意中が、どうもよく分らなかった。が、それが分らないといって、ぐずぐずしていられないこの場であった。
 そのとき、丸本のかたをたたいたものがある。それは事務長だった。
「おい、丸よ。なにをぐずぐずしているんだ。はやく、その麻紐《あさひも》を、手元へ引《ひっ》ぱれ」
 そうだ、麻紐の一端が、脱船水夫の竹見の片手を、しっかりと捉えているのだ。竹見はこの船に居残るという。しからば、この紐をはなしてやらなければなるまい。といって、この場合、下手なはなしようをすれば、ノーマ号の船員どもにさとられるから、竹見の後のためによろしくあるまい。日ごろ、和尚《おしょ》さんのようにおちついている丸本水夫も、こうなっては、煙突のうえで、きゅうに目かくしされたように、狼狽《ろうばい》しないではいられない。
 でも、ぐずぐずしてはいられなかった。すすむにしろ、しりぞくにしろ、ここで一秒たりともためらっていることはゆるされないのだ。彼は、ついに決心した。
「こらッ、竹の野郎! もう誰がなんといっても、おれがゆるしちゃおかないぞ。手前《てめえ》の生命は、おれがもらった!」
 すさまじく憤怒《ふんど》の色をあらわし、なかなか芝居に骨がおれる丸本は、竹見の手首を縛った麻紐を、ぐっと手元へ二度三度|手繰《たぐ》った。
 すると竹見の身体は、とんとんと前へとびだして、つんのめりそうになった。
「うん、野郎!」
 ハルクが、たくましい腕をのばして、横合《よこあい》から麻紐をぐっと引いた。
 とたんに、麻紐が、ぷつんと切れた。
「あっ」
「うーむ」
 丸本も竹見も、前と後《うしろ》のちがいはあるが、ともにどっと尻餅をついて、ひっくりかえった。巨人ハルクさえが、あやうく足をさらわれそうになった。――麻紐は、なぜ切れたのか。それは丸本の早業だった。手ぐるとみせて、彼は手にしでいたナイフで、麻紐をぷつんと切断したのであった。
 巨人ハルクは、ゴリラの如く、いかった。
「な、生意気な! もう勘弁がならないぞ!」
 と、大木のような両腕をまくりあげて、じりじりと前へ出てくる。
 これを見て、おどろいたのは、丸本よりも平靖号の事務長だった。いや、事務長ばかりでない。その後につきしたがう平靖号の乗組員たちであった。いよいよこれは、ものすごい乱闘になるぞ、そうなると、最早《もはや》生きて本船へかえれないかもしれないと、顔色がかわった。
 丸本も、立ち上って、今はこれまでと、みがまえた。
 巨人ハルク、その後に水夫竹見、そのまた後に、ノーマ号のあらくれ船員どもがずらりと、一くせ二くせもある赤面《あかづら》が並んで、前へおしだしてくる。ノーマ号の甲板《かんぱん》上に、今や乱闘の幕は切っておとされようとしている。
 甲板のうえは、たちまち鼻血で真赤に染まろうとしている。こうなっては、どっちも引くに引かれぬ男の意地、さてもものすごい光景とはなった。


   俺は若い!


「みんな、停《や》めろッ!」
 とつぜん、晴天の雷鳴《らいめい》のように、どなった者がある。
 船長だ。ノーマ号の船長、ノルマンだ。いつの間にか、船長ノルマンは、双方《そうほう》の間へとびだしていた。
「おお」
「うむ、いけねえ」
 双方とも、ぎくりとして、にぎりこぶしのやり場に当惑《とうわく》した。
「こらッ、喧嘩《けんか》したいやつは、こうして呉れるぞ」
 ノルマン船長の足が、つつと前に出たかと思うと、彼の両腕が、さっとうごいた。と思うとたんに、彼の両腕には、すぐ傍にいた平靖号の水夫一名と、ノーマ号の水夫一名とが、同じく襟《えり》がみをとられて、猫の子のように、ばたばたはじめた。このほそっこい船長には、見かけによらない力があった。そのまま船長は、つつッと甲板をはしって、
「えいッ。」
 というと、二人の水夫を、舷からつきおとした。おそるべき力だ。船長は、或る術を心得ているのかもしれない。
 どどーンと、大きな水音《すいおん》がした。
「どうだ。後の奴も、海水の塩辛《しおから》いところを嘗《な》めて来たいか。希望者は、すぐ申出ろ」
 と、威風堂々と、あたりを見まわしたが、そのいきおいのはげしいことといったら、見かけによらぬノルマン船長の怪力を知らない者は、窒息《ちっそく》しそうになったくらいである。
「おい、みんな。帰船だ」
 事務長は、そういって、ノルマン船長に、型ばかりの挙手の礼をおくると、自分はいそいで、舷側に吊った縄梯子《なわばしこ》の方へ歩いていって、足をかけた。
 丸本が、その後につづいた。
 そうして、一同は、大急ぎで縄梯子をおりて、ボートにうちのった。
「漕《こ》げ!」
 事務長は、舵《かじ》をひきながら、命令した。
「竹見の奴は、あのままでいいのですか」
 と、一人の水夫が聞いた。
「うむ――」
 と、事務長は、答えにつまった。
「仕方がないじゃないか。それとも、お前に智恵でもあるか」
 これは丸本の言葉だった。
 水夫は、だまってしまった。
 ボートは、だんだんとノーマ号からはなれていく。事務長は、舵をとりながら、ノーマ号の船上に、脱走水夫竹見のすがたをもとめたが、どこにいるのか、さっぱり分らなかった。ただそこには、ノーマ号の水夫たちが、おもいおもいに、こっちを馬鹿にしきったかおで、見おくっていた。
 まったくのところ、馬鹿にされたようなこのボート派遣であった。
 さて竹見は、一体どうしたのであろうか。彼は、前から退船の意志をもっていた。その理由は、虎船長に具申《ぐしん》したたびに、後にしろとかたづけられてしまったが、彼の真意は、駆逐艦松風の臨検隊員をむかえて、ああ自分も志願して、天晴れ水兵さんになって、軍艦に乗組み、正
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