いじゃないか。事務長は、もっていく分量を、まちがえたんじゃあるまいな」
「そうですね」と坂谷はくびをかしげて「まさか、事務長が、分量をまちがえることはありませんよ。事務長は、林檎一つさえ、ノーマ号へやりたがらなかったんですからねえ」
「そういえば、そうだが、他人に呉れてやる物は、いやに大きくみえるのが人情なんだろうか」
 船長は、ふしぎそうに、くびを左右へふった。
 そのうちに平靖号のボートは、停船しているノーマ号の舷側についた。縄梯子《なわばしこ》は、すでに水ぎわまで下されていた。
 例のカンバスが、一度とりのぞかれたが、すぐ元のように、品物のうえに被せられた。ノーマ号の船員に、ちょっと見せただけのようであった。
 ボートからは、事務長を先頭に、三人の者が、縄梯子をするするとのぼって、ノーマ号の甲板に上った。
 ノーマ号の、高級船員らしいのが五六人、そこへ集ってきて、なにか協議をはじめた様子である。きっと、壊血病患者がたくさん出たという先方のはなしをたしかめたうえでないと、品物を売りわたすことはできないといっているらしい。
「おやッ、あれはおかしいなあ」
 とつぜん、船長が叫んだ。
「な、なんです。おかしいというのは……」
 一等運転士が船長の顔をみた。
「あれみろ」と船長は、ボートの方をゆびさして「ノーマ号の上にのぼった奴は三名、ボートには、五名のこっているじゃないか。合計して八名。どうもへんだ」
「ははア」
「ははアじゃないよ。君もぼんやりしとるじゃないか。いまボートにのって出懸《でか》けたのは、事務長と六名の漕手《こぎて》だから、みんなで七名だ。ところが今見ると、いつの間にやら八名になっている」
「ははア、するといつの間にかどっかで一名ふえたようですな。これはどうもふしぎだ」
 と、一等運転士は、口では愕《おどろ》いているが、態度では、そんなに愕いていない。彼はすでに、なにごとかをよき[#「よき」に傍点]していたようだ。
「ああッ、彼奴だ」と船長が大きなこえを出した。「竹見の奴、いつの間にか、本船をぬけだして、ノーマ号の甲板《かんぱん》に立っていやがる。あいつ、どうも仕様がないやつだなあ」
「えっ、やっぱり竹見でしたか」
「うぬ、船長の命令を聞かないで、わが隊のとうせいをみだすやつは、もうゆるしておけない。かえってきたら、おしいやつだが、ぶったぎってしまう」
 虎船長はついに激怒してしまった。
 その当人、竹見太郎八は、悠々とノーマ号の甲板をぶらぶらと歩いている。事務長が、ノーマ号の高級船員を相手に、強硬に主張をつっぱっているには、一向おかまいなしで、むこうの水夫をつかまえて、手真似ではなしをしている。
「どうだい。これは胡瓜《きゅうり》の缶詰だ。ほら、ここに胡瓜のえが描いてあるだろう。欲しけりゃ、お前たちに呉れてやらねえこともないぜ、あははは」
 集ってきたノーマ号の水夫たちは、竹見の顔色をうかがいながら、ごくりと咽喉《のど》をならした。
「われわれは、その缶詰が欲しい。そのかわり、汝《なんじ》はなにをほっするか」
 と、むこうも手真似だ。
「そうだねえ――」
 と、竹見はいって、ポケットから煙草《たばこ》を一本だして口にくわえ、ぱっと燐寸《マッチ》をつけた。
 すると、ノーマ号の船員たちは、一せいに呀《あ》っとさけんで、真青になった。
 なぜ彼等は、青くなったのであろうか。


   煙草《たばこ》をなぜ嫌う?


 ノーマ号の船員の一人が、水夫竹見のそばへとびこんできたと思うと、いきなり手をのばして、竹見の口から、火のついた煙草をもぎとった。
「あれッ、らんぼうするな。おれに、煙草をすわせないつもりか」
 竹見は、ことばもはげしく、中国語でどなりつけた。そしてすばやくみがまえた。だが、彼の眼光は、どうしたわけか、てつのように冷たくすんで、相手の顔色をじっとうかがっていた。
「いのち知らずの、黄いろい猿め! とんでもない野郎だ!」
 そういったのは、ノーマ号の船員だ。
 彼は、竹見からもぎとった火のついた煙草を、大口あいて、ぱくりと口中《こうちゅう》へ! まるで、はなしにある煙草ずきの蛙のように。
「おや、この煙草どろぼうめ。おれには、煙草をすわせないで、ひったくって食べっちまうとは、呆《あき》れたやつだ」
 水夫竹見が、一本うちこむ。
 が、このときはやく、かのときおそく、かの碧眼《へきがん》の船員は、ぷっと煙草をはきだし、
「あ、あつい!」
 と叫ぶ。そして甲板《かんぱん》へぺたりと落ちた煙草を、足下に踏みにじった。もちろんこのとき、煙草の火はきえていたけれど、
「あははは、ざま見ろ。火のついた煙草を喰って、やけどをしたんだろう。ふふふふ、いい気味だ」
 竹見は、へらず口をたたいて大いに、わらった。
 だが相手の船員たちは、真剣なかおで同僚の足元に視線をあつめる。そして煙草に、火のついていないのをたしかめると、ほっとした面持《おももち》になった。言葉を発する者さえない。
 竹見は、いじわるくにやりとわらって、ポケットに手を入れた。そしてまた新たに一本の煙草をとりだして、唇の間へ、ひょいとくわえた。
 おどろいたのは、ノーマ号の船員たちだ。わっとわめいて、一せいに水夫の竹見におどりかかった。竹見は、
「な、なにをするッ!」
 と、どなったが、もちろん多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》で、とてもかなわないと見えたし、そのうえ、じつはこのとき竹見にもいささか考えがあって、わざと相手のやりほうだいにまかせておいたのだった。
 すると相手は、ますますいい気になって、竹見のポケットに手をさし入れた。なにをするかとみていると、煙草の入った箱とマッチとを、だつりゃくした。そして、その二つの品物を、こわごわ舷側《げんそく》から海中へ、ぽーんとすてたものだ。
 それでもまだ心配だとみえて、舷側からわざわざ海面をみて、この二つの品物がたしかに水びたしになっているのを確かめている者もあった。なぜそんなに煙草とマッチが、きらいなのであろうか。
 このとき、竹見がさけんだ。
「ちえっ、おれをあまく見て、よくもまあ大勢でもって手ごめにしやがったな、それじゃこっちも、胡瓜の缶詰をかえしてもらうよ」
 どうせ相手にはわからないであろうところの中国語でしゃべって、さっき竹見が船員中のおとなしそうな一人にくれてやった胡瓜の缶詰を、すばやくうばいかえした。
 報復手段なのである。どっちもまけてはいない。
「あっ、それはおれが貰った缶詰じゃないか」
 その船員は、びっくりして竹見にとびかかってきたが、彼は相手にならないで、ひらりとからだをかわした。このことは、その相手の船員ばかりでなく、附近に立ち並んでいた彼の同僚に少からぬ失望をあたえたようである。そうでもあろう、そういう野菜ものにうえていた彼等は、あたらきゆうりのお裾分《すそわ》けを失ってしまったのだから。
 船員たちは、たがいに顔を見合わせて、なにか早口にどなり合っていたが、やがて一同は、やっぱり胡瓜の缶詰にみれんがあると見え、竹見の傍へよってきて、ぐるっと取まいた。
「こら、その缶詰を、こっちへかえせ」
「さっきおれたちがもらった缶詰だ。こっちへよこせ」
 竹見から煙草とマッチをうばいとったことなどは知らんかおで、多勢を頼んで水夫竹見に肉薄してくるそのずうずうしさには、あきれるよりほかない。
 竹見は、べつにおどろきもしない。ふふんと鼻のさきでわらうと、とびかかってくる奴の腕を、かるくふりはらって、ぐんぐん前へ出ていく大胆さ。そこで彼は、さっきからこの有象無象《うぞうむぞう》とは別行動をとり、ウィンチにもたれて、こっちをじろじろしていた一人の、たくましい水夫の前にちかづき、
「おい、お前にこれをやるよ」
 と、もんだいの缶詰をさしだした。
 すると相手は、にやりと笑って、竹見のさしだす缶詰をうけとった。


   巨人ハルク


「やい、ハルク、その缶詰は、おれたちのものだ。こっちへよこせ」
 ハルクというのは、その逞《たくま》しい巨人水夫の名のようだ。缶詰にみれんたっぷりの船員たちはハルクの前へおしかけて、うばいかえそうとする。
「……」
 巨人ハルクは、一語も発しないで、近づいてくる船員のかおをじろりじろりとながめまわす。そして缶詰をわざと顔の前でひねくりまわして、ごくりと唾をのんでみせたりする。こいつはかえって気味がわるい。
 いきおいこんだ船員たちは、猫ににらまれたねずみのように、もう一歩も前に出られなくなった。
「やい、ハルク。意地わるをすると、あとで後悔しなければならないぞ」
 ハルクは、どこを風がふくかといったかおであった。
 竹見は、ハルクが、ばかに気に入った。彼はそこでハルクの前へいって、右手をさしのばした。
「ハルクよ。お前は世界一の巨人だぞ!」
「ふふん、それほどでもないよ」
 ハルクがはじめて口をきいた、しかも片言ながら、とにかく広東《カントン》語で……。そして二人は、しっかり握手をしてしまったのである。そこで、さしものめんどうな胡瓜の缶詰事件も、一まず、かたづいた。
 こっちで缶詰事件が起っている間に、平靖号から野菜その他をもってノーマ号へ出掛けた事務長の一行は、とどこおりなく取引をすませた。ノーマ号の船長ノルマンは、金貨でその代金をはらったが、その支払いぶりは、なかなかよかった。よほど金がある船であるのか、それともよほど野菜類にこまっていたものらしい。
「貴船は、これからどこへいかれるのですか」
 平靖号の事務長は、中国人らしい発音で、ノルマンにたずねた。
「本船は、サイゴンをへて、シンガポールに出るつもりだよ」
 ノルマン船長は、たいへんおちついた紳士のように見えた。おそろしくやせぎすで、大きな両眼は、日よけの色眼鏡によって遮蔽《しゃへい》されてあった。
「貴船は貨物船らしいが、なにをつんでおられるのですか」
「鉱石である」
 鉱石である――という返事が、ばかにはやくとびだした。まるでさっきからこれをきかれることを予想して、すぐ出せるように用意しておいた返事のように聞えた。
「鉱石というと、どんな種類の鉱石ですか」
 ノルマン船長のくちびるが、ぎゅッとまがった。
「もう用事はすんだのだ。いそいで帰りたまえ」
 ノルマン船長は、はじめて叱咤《しった》するようにさけんだ。彼の語尾は、かすかにふるえおびていた。
 事務長の質問が、ノルマンの気にさわったらしい。
「ねえ、事務長」
 そのとき、事務長のうしろからこえをかけた者がある。それは一緒にノーマ号へのりつけた一行の中の一名、丸本という水夫だった。
「なんだ」
「本船からの信号でさあ。はやくかえってこいといってますぜ」
 事務長は、うむとくびをふって、
「ああ、いますぐかえると、手旗信号で返事をしてくれ」
「ねえ、事務長」
「なんだ。まだなにかあるのか」
「へえ、もう一つ、厄介《やっかい》なことをいってきました。虎船長から、じきじきの命令でさあ」
 といって、常日ごろ、ばかに年寄りじみたことをいうので、“お爺《じい》”と綽名《あだな》のある丸本水夫だが、すこし当惑《とうわく》の色が見える。
「なんだ、やっかいなことというのは」
「ほら、あの竹《たけ》のことでさあ。さっきわれわれ一行の中に紛《まぎ》れこんでいましたね。彼奴はカンバスの下に野菜と一緒になってかくれていたんですよ。ところが虎船長、大の御立腹《ごりっぷく》ですわい。いまも船からの信号で、竹の手足をしばってつれもどれとの厳命《げんめい》ですぜ。ようがすか」
「ふむ、そうか。竹見……いや竹の手足をしばってつれもどれと、船長の命令か。無理もない、船長の許可なくして船をぬけだすことは、一番の重罪だからな」
「じゃあ、やりますかね」
「なにを?」
「なにをって、竹の手足を縛《しば》ってつれてかえるかということです」
「もちろんだ。なぜそんなことをきくのか」
「だって、彼奴は大力があるうえに、猿のように、はしっこいのですからね。こっちがつかまえると感づくと、こ
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