、なんにも持っていないんだ」
 虎船長は、きっぱりとそういって、ノルマンの申入れをしりぞけた。このことは、早速ヤード上の信号旗によって、船長ノルマンへ通じられた。
 すると、折かえしノルマンから、返事がおくられてきた。
「例の映画を、平靖号の行くさきざきへ配布して、寄港を妨害するがよいか」
 これに対して、平靖号からは、
「勝手にしろ、船長ノルマン」
 と、やりかえした。そして虎船長は、ノーマ号の火薬に、何とかして火をつけて撃沈させる工夫はないものかと、思った。
 すると、またもや、ノルマンからの信号がやってきた。
「では、已《や》むを得ない。貴船は、あと五分ののち、撃沈されるであろう。嘘だと思うなら、貴船の左舷前方の海面を、仔細《しさい》に観察してみるがいい」
 すこぶる気味のわるい警告であった。虎船長は、すぐさまこのことをしらべるよう、命令した。
 ところが、間もなく伝声管が鳴って、船橋から、たいへんな報告がとどいた。
「船長。潜水艦がいます。ノーマ号から注意のあったとおり、本船の左舷前方、わずか五百メートルのところに、潜望鏡が見えます」
「なに、潜水艦が、本船を狙って五百メートルの近くに……。うむ、そうか」
 虎船長は、身体をふるわせて、いきどおったが、どうすることもできない。ノールウェーの汽船だというノーマ号が、潜水艦と結んでいるなんて、へんなことだ。すると、ノーマ号はノールウェーの汽船ではないのかもしれない。
 潜水艦の襲撃をうけて、ここで沈没したのでは、せっかくここまで出かけた平靖号の使命は、それこそ文字どおりの水の泡となってきえてしまう。虎船長は、無念やる方なく、しばし黙考していたが、しばらくして、幹部を呼んで評定《ひょうじょう》を開いた。その結果、あらためてノーマ号に対して、信号を送ることとなった。
 信号旗は、三度ヤードのうえに、するするとあがった。
「貴船の申入れを大たい諒承《りょうしょう》した。くわしい返事は、水夫竹見を通じて申入れるから、しばらくまたれよ」
 事実上、平靖号は、まんまと船長ノルマンの毒牙《どくが》に、かかってしまったわけだった。南シナ海方面で大いにあばれるつもりだった仮装中国汽船の平靖号も、ついにつまらない運命におちこんだ。そして水夫竹見は、虎船長の返事を持って、再びノーマ号へ、かえっていくことになった。
 ここではなしは、サ
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