規の御奉公したいと、急にそういう気にかわったのである。すると、中国船平靖号の一員として、そのままいることが厭《いや》になった。そこへ虎船長には、こっぴどくおこられる。どうにでもしろと、こっちも中《ちゅう》ッ腹《ぱら》になっているところへ、ボートがノーマ号に出かけることになったが、こいつがまた虎船長から、はっきり停《と》められてしまったので、どうせ怒られ序《ついで》だとおもって、脱船をしてしまったのである。
そういうことはよくない事だった。船長の命令をまもらないのは、わるいことだと、竹見は百も二百も承知していた。しかしながら、彼はわかかった。海へ出て来たのは、生命《いのち》をまとに、おもいきり冒険をするためだった。若い者は、なんでもはやいところむさぼり食《く》いたい。冒険味だってそうだ。平靖号乗組員として参加したのもそうなら、水兵さんになりたいとおもったのもそうである。三転して、ノーマ号へいって、外人のかおを見ないではいられない衝動にかられたのも、やっぱりそれだった。若い者は、気もみじかい。ことに竹見にいたっては、非常に気がみじかい。
気がみじかいことは、一めんから見れば、たいへんよろしくない。しかし他の一めんから見れば、それほど心が目的物にむかってもえている証拠であって、若い者なればこその特長である。
気がみじかいという性質を、悪いところへ用いてはよくない。我儘《わがまま》と混同せられるからである。しかし、気がみじかいという性質を、良いところへ用いれば、ずいぶんといい仕事が出来る。今の世に、仕事をしない人間は、無駄であり、邪魔でさえある。気みじかを善用して、どんどん仕事をはこんでいい若い者は、大いにほめてやっていい。そういう気みじかい若者が、少ければ、国家は亡びるのじゃないかと思う。
とにかく、竹見は、気がみじかく、冒険を慕ってどんどんうごいているうちに、秘密の火薬船ノーマ号のうえに、ただ一人取りのこされてしまったというわけである。
“死《し》に神《がみ》”船長
ノーマ号を火薬船だと、観察した竹見の眼力《がんりき》は、なかなかえらいものだった。
煙草《たばこ》を甲板《かんぱん》で吸うと、船員たちが顔色《かおいろ》をかえた。――たったそれだけのことで、竹見は万事をさとったのである。
(火薬船とは、こいつは有難《ありがた》い!)
竹見は、思い
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