う、一語も返事をしなかった。
 ハルクを抱きおこして、その口にブランデーを注ぎこんでやろうとしたが、ハルクは歯をくいしばって、口をひらかなかった。彼の顔面は、紙のように蒼白《そうはく》になっていた。
「おい、ハルク。死ぬな。死んじゃ、いけないぞ。おれは、医者をさがして、ここへ引張ってくる。それまでは……」
 水夫竹見は、そこで声が出なくなった。そでで両眼をぎゅっとこすりあげ、
「それまでは、死んじゃならないぞ。気をしっかり持っているんだ!」
 竹見は、この世の中に、ハルクが、一等彼の愛する人間であるように思われてきた。なんとかして、ハルクを助けてやらなければならない。
 彼は、立ち上った。
(このまま、ハルクをここに残しておいて、大丈夫かしらん?)
 想《おも》いは、ハルクの一つのすういき、一つのはくいきにかかって、心配は限りない。だが、このままぐずぐずしていれば、結局ハルクは、死との距離をだんだんつめていくばかりであろう。なんにしても、早く医者をここへ引張ってきて、解毒《げどく》の注射をうってもらうとかして、正しい手当をうけさせねば駄目である。
 竹見は、ついに最後の決心をして、
「ハルク、頑張っているんだぞ」
 と、彼の耳許に叫ぶや、破ったまどをよじのぼり、外に出た。が、彼は、うしろがみをひかれる想いであった。
(なぜ、おれは、こうして、急に気がよわくなったんであろう?)
 竹見は、自分の心をしかりつけた。しかし彼は、ハルクのそばをはなれていくのが、いやでいやで仕方がなかった。
 それも、無理からぬことであった。後に、そのときのことが、思いあわされたように、竹見にとっては、これが良き仲間ハルクとの永遠のお別れであったのだ。いくたびか、悪船長ノルマンの暴力から、竹見を救い出してくれた巨人ハルク! 身体の大きいに似合わず、母親のように、親切にしてくれたハルク! そのハルクとは、このとき限り、再び手をにぎる機会を逸してしまった竹見であった。
 こっちは、船長ノルマンであった。
 ノルマンは、さんざ、巨人ハルクを、利用するだけ利用したうえ、ハルクが毒蛇のためにかまれて、もう再起する力がないと見るや、れいこくにも、ハルクを倉庫の中にすててしまった。
 彼は、倉庫の鍵をもっていたから安心しきっていた。まさか、あの倉庫の通風窓《つうふうまど》が破られることなどは、勘定に入れて
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