中で焼かれ、灰になってしまった筈だった。尤《もっと》も稀には死人がお葬《とむらい》の最中に甦《よみがえ》って大騒ぎをすることもないではないが、それは極《きわ》めて珍らしいことで、もしそんなことがあれば、鵜《う》の目|鷹《たか》の目で珍ダネを探している新聞記者が逸《いっ》する筈はなかった。しかし最近の新聞記事にはそんな朗かな報道がなかったことから推して、かれ鼠谷の死体は順調に焼場の煙突から煙になって飛散したに違いあるまい。すると……?
すると八十助は、今しがた其処の夜店街の人込みの中で、旧友鼠谷仙四郎の、幽霊を見たことになる。
「ううッ――」
彼はガタガタ慄《ふる》えだした。そして外套の襟を咽喉《のど》のまえで無暗《むやみ》に掻きあわせた。もうこうなっては小説のタネのことなどを考えている余裕はなかった。なんだか脳貧血に襲われそうな不安な気持になった。そこで彼は、通りかかった一軒の酒場の扉をグンと押して、中へ飛びこんだ。
「ブランデーを……。早くブランデーを……」
給仕の小娘を怒鳴りつけるようにして、洋酒の壜を催促した。彼の前にリキュール杯が並ぶまでの僅かな時間さえ、数時間経ったように永く感ぜられた。ブランデーの栓を抜こうとする小娘の手を払いのけて、彼は自《みずか》らグラスに注いだ。ドロドロと盛りあがってくる液体をグッグッと、立てつづけに四五杯もあおった。腸の中がカッと熱くなってきて、やがて全身に火のような熱い流れが拡がっていった。
「ふーッ」
と彼は溜息をついた。
(ああ、助かった!)
と彼は心の中で叫んだ。そしてまたしてもグラスを手に取上げた。気が次第に落着いて来て、始めてあたりの閑寂《かんじゃく》な空気に気がついた。
八十助の座席の隣では、二人の男が物静かな会話をつづけていたそれを聞くともなしに、彼は聴いた。
「……というわけでネ」と紋付羽織の男が言った。「どうも変なのだ一宮大将ともあろうものがサ、まさか株に手を出しやしまいし、死の直前に不動産を全部金に換え、しかもそいつを全部使途不明にしてしまい、遺族は生活費の外に一文も余裕がないというのだからネ」
「それに変だといえば、大将の急死がおかしい。いくらなんでも、あんなに早く逝くものかネ」
「僕は大将の邸で、変な男を見かけたことがある。肺病やみのカマキリみたいなヒョロ長く、そして足をひいている男さ。あいつが何か一役やっているに違いない」
「でもあいつは其後死んじゃったという話じゃないか……」
二人の話をここまで聴いていた八十助は、そこから先をもう聞くに堪えなかった。話題に上っているカマキリのような男というのは、あの鼠谷仙四郎のことに相違ない。この二人も彼奴《あいつ》が死んじまったといっているではないか。
八十助は何がしかの銀貨を卓子《テーブル》の上に置くと、酒場から飛び出したのだった。
幽霊男
酒場を出てみると、そこは賑《にぎや》かな夜店街の切れ目だった。そこから先は夜店がなくなって、急に日が暮れた様な寂しい通りだった。彼は当てもなく、足を早めた。
そのときだった。丁度そのとき、彼の背後から声を懸けたものがあった。
「モシモシ、甲野君……」
突然わが名を呼ばれて八十助はギョッとその場に立ち竦《すく》んだ。背後を見てはならない――誰かが警告しているように感じた。といって呼ばれて振り向かずに居られようか。
「モシモシ、甲野君じゃないか……」
「あ――」
彼は思い切って、満身の力を込めて、背後を振りかえった。
「呀《あ》ッ」
そこには背のヒョロ高い、眼の下に黒い隈の濃いカマキリのような男――あの鼠谷仙四郎の幽霊が突っ立っていた。
「やア甲野君」
とその怪物はニヤニヤ笑いながら声をかけた。
「キ、キミは誰ですウ――」
「誰だとは、弱ったネ」と怪物は一向弱っていなそうな顔で云った[#「顔で云った」は底本では「顔を云った」]。「僕は君と中学校で机を並べていた鼠谷……」
「鼠谷君なら、もう死んだ筈だッ」
「そいつを知っていりゃ、これからの話がしよいというものさ。はッはッはッ」と彼は妙なことを云った。「なぜ死んだ人間が、生き返って君達に逢うことができるのか――そいつは暫《しば》らく預かっておくとして、もしそんなことが出来るとしたら、君はそれがどんなに素晴らしい思いつきだと考えないか」
「くだらんことを云うな。幽霊なら、ちと幽霊らしくしたらどうだ」
と八十助は云ったものの、自分の方が随分下らんことを云ったものだと呆《あき》れた。
「まアいい。僕が幽霊だか、それとも生きているか、それは君の認識に待つこととして、僕は一つ君に聞いてみたいことがある」
幽霊にしては非常にしっかり[#「しっかり」に傍点]したことを云うので、八十助はもう何がなんだか判らなくなっ
前へ
次へ
全11ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング