―それは後に至って、一種の瓦斯《ガス》マスクが懸けられていたので、臭気を感じなかったことが判った――このパッと差し込んだ明るさと、パチパチと物の焼け裂けるような音響とは、八十助に絶望を宣告したも同様だった。彼の脳裏には、始めてこの不思議な場所についての一切が判明した。
「ううッ。これは火葬炉の中だッ。もう火がついて、棺が焼けはじめたのだッ。ああ、俺はどうなる!」
 彼は、上下の歯をギリギリと噛み合わせた。


   思いあたる怪夢


 所もあろうに八十助は、自分自身を、焼場の火葬炉の中に発見したのだった。
(生きながらに焼き殺される!)
 ああ、何という恐ろしいことだ。生きていると気がついて悦んだのも束の間、次の瞬間、身に迫って来たものは、生きながらの焦熱地獄だった。死んで焼かれるのなら兎《と》に角《かく》、生きながら焼き殺されるなんて、そんなむごいことがあろうか。八十助は焔が手足をいぶらせ焔が毛髪にメラメラ燃え移る場面を想像した。――彼は当てのない呪いの言葉を口走った。
「ククククッ――」
 どこからか忍び笑いが聞えて来た。その声には充分――聞き覚えがあった。彼奴《あいつ》だ! 鼠谷仙四郎奴が笑っているのだ。それを合図のように、火は一きわ激しくドンドンと燃えさかった。
「うぬ、悪魔奴《あくまめ》! 悪魔奴!」
 彼は動けぬ身体を、自暴《やけ》に動かした。そのために、身体を堅く縛っている麻縄が、われとわが肉体に、ひどく喰い込んだ。もうこうなっては、麻縄のために、手首がちぎれて落ちようと、太股がひき切られようと、そんなことは問題外だった。身体の一部分でもよいから、自由になりたい。そして火のつこうとしているこの棺桶の板をうち破りたい……。
「ううーッ……うぬッ」
 八十助は血と汗とにまみれながら、獣のように咆哮し、そして藻掻《もが》いた。
 そのときだった。実にそのときだった。
 なんだか一つの異変が、横合から流れこんで来た。それは有り得べからざる奇蹟の様に思われた。一陣の涼風が、どこからともなくスーッと流れこんで来たのだった。
「……?」
 八十助は藻掻《もが》くのを、ちょっと止めた。
(どうしたのだろう?)
 何事か起ったらしい。
 焼けつきそうだった皮膚の表が急に涼しくなった。
 そして、焦げつきそうな痛みがすこしずつ取れてゆくように思った。
(罐《かん》の火が消えたかナ!)
 と思ったが、しかし罐の火はいよいよ明るく燃えさかっているらしいことが、棺の蓋《ふた》の隙間から望見された。罐は盛んに燃えている。それだのに、棺の中にいるわが身は急に楽になったのだ。
 ポツーン。
 そのとき何か冷いものが、胸のあたりに落ちてきた。
「おや。――」
 と彼は叫んだ。その声のすむかすまないうちに、つづいてポツリポツリと冷いものが上から降って来た。
「ああ、水だ。――水が洩れてくる」
 彼の元気は瞬間のうちに回復した。気が落着いて来た。助かるらしい。八十助は両眼をグルグル廻して何物か見当るものはないかと探した。有った、有った。棺の隙間から見える真赤な火の幕、その火の幕すこし手前の、おそらく棺桶のすぐ外と思われるところに、空間を斜に硝子管が走っているのを認めた。そしてその硝子管の中には、小さい水泡を交ぜた透明な液体が、たいへんな勢いで流れているのだった。それは水に違いなかった。さっきポツンと胸の上に落ちて来た水と同じところから、供給されている水に違いなかった。
(ああ、なんたる不思議! 火葬炉の中に、冷水装置がある!)
 人体を焼こうとするところに、逆に冷やす仕掛けがあるというのは、何と奇妙なことではないか。このとき彼はゆくりなく、あの変な夢のことを思い出した。
「硝子の金魚鉢の水の中に、金魚が泳いでいて、――それで水の表面には火焔の幕があった。――ああ、あれだッ」
 火焔の天井を持った水中の金魚のように、いま彼の身体も、冷水装置でもってうまく火気から保護されているのだった。
「これア一体、俺をどうしようというのだッ」
 八十助は、あまりにも不審な謎をどう解いてよいかに苦しんだ。
 そのとき、ギギーッという物音が聞えはじめたと思うと、彼の横たわっている棺桶は、しずかに揺れながら、どうしたのか、下の方へ下りだした。


   棺桶は飛ぶ


 火葬炉の中で、不思議に焼けもせず、八十助の入っている棺桶は、しずしずと下へおり出した。
(これは?)
 と面喰っているうちに、棺桶は下へおりきったものと見え、ゴトンという音とともに動かなくなった。そのうちにゴロゴロという音が聞え、棺桶は横に滑り出した。トロッコのようなものに載せられて、引張りだされているという感じであった。これらはすべて、暗黒の中で取行われたが、そのうちにまた、仄明《ほのあか》るい光りが
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