頭を下げて、
「地球の方には、火星をくるしめようと思っている人はないらしいが、火星の方には、地球をくるしめようと思っている者がいます。むかしから、そういう者がいたのです。ことに今、地球がたいへんな災難にあって、くるしんでいるその足もとにつけこんで、火星の生物は、わるいことをしようとしている。火星兵団などというものが、それです。ちょっと聞くと、しんせつのようですが、ほんとうのところは地球の人間や馬、牛などを、自分のところへもっていって、それを家畜として、かずをふやし、そのうえで、ぱくぱくたべてしまうつもりである。じつにおそろしい火星の生物どもです」
と、ロロ公爵は、こえはわるいが、なかなかうまくしゃべるのであった。
64[#「64」は縦中横] 地球よ、さようなら
大空艇の宴会は、たいへん、うまくいった。
博士をはじめ、新田先生に千二、それからロロとルルの二人の火星人公爵とは、すっかり仲よしになってしまった。
『宇宙の隣組』――という考えで、ロロ公爵は、地球と火星とは、おたがいに、手をにぎりあって行きたいと言ったが、それはなかなかいいことばであった。
そう言ううちにも、大空艇は、ずんずんと宇宙を飛んで、火星に近づいて行った。
前方を行く火星兵団長丸木の乗った宇宙艇の針路は、もうちゃんとわかっていた。彼は火星へにげもどるのである。そのことは、丸木艇の針路をしらべていくことによって、蟻田博士には、もうはっきり、わかっていたのである。
丸木艇が、火星に行くものとすれば、別に、こっちも、いつも操縦席についていなくともよろしい。ジャイロスコープを利用した自動操縦器に、万事をまかせておけば、大空艇は、どんどんと宇宙を走り、火星に近づいて行くのである。
なにしろ大空艇の速力が、もっと早くなるようだと、どこかで丸木艇に追いつけたのであるが、ここへ来て、丸木艇の方が、大空艇よりもすこし速度が速いことがわかった。そういうことになれば、あとは、自動操縦器にまかせて、火星へつく日をまつより外はない。
火星へは、いつになればつくのであろう。
宴会がはてたのち、千二は、新田先生と一しょに大空艇の望遠鏡に目をあてて、丸木艇の姿をうしろから、ながめていた。
「先生、丸木艇は、あいかわらず、全速力で飛んで行くようですね」
「そうだねえ。だいぶん小さくなったような気がする。丸木艇は、なかなかスピードが出るなあ」
「先生、佐々刑事はどうしたのでしょうか」
と千二は、ふと、佐々刑事のことを思い出した。
「ああ、佐々刑事か。あの人は、どうしたろうな」
と、新田先生も、佐々刑事のことを思い出して、望遠鏡から、目を放した。
いつだか、佐々刑事あてに無電を打ったけれど、一向へんじがなかった。
「先生、あの人は火星の宇宙艇にのっているはずですが、べつに用意もしていないから、火星についても外に出られないでしょうね」
千二は、前からそのことを心配していたのだ。
「さあ、そのことだよ。火星は、空気がうすいから、そのままでは外に出られないわけだ。成層圏をとぶ時のように、酸素吸入器をつけて、下におりるより、仕方がないだろうね。そのままでは、酸素が足りなくなって、たおれてしまうだろう」
「そうなると、佐々刑事は、いよいよ気の毒ですね。きっと困っているのでしょうね」
ひょっとしたら、佐々刑事は、火星へついたはいいが、そこで一命をおとしたのではないかと、千二は、そこまで思ったけれど、それは言うのをひかえた。新田先生が、また心配をするといけないと思ったからであった。
「先生、地球はどうなったでしょうね。それから、大江山隊は、どうしたでしょうね」
「おお、そのことだよ。火星へいくことばかりに気をとられていて、地球のことは、わすれていた。大江山隊は、どうしたろうなあ」
そこへ、博士がはいって来た。
「なにを話しているのか」
「大江山隊のことを思い出して、心配していたところです」
「ああ、大江山突撃隊のことか。あれなら心配なしだ」
「はあ、心配なしですか。どうなったのか、博士は、ご存じですか」
「大江山隊は、とうとうがんばって、火星の宇宙艇群を撃退したよ。わしはちゃんと、それを見て知っている」
「博士はいつ、それをごらんになったのですか」
大江山突撃隊が、火星兵団を撃退したのを、博士が見たというので、新田先生がふしぎがった。
「わしは、そういう大切なものは、けっして見おとさないよ。君のように、いつもびくびくはらはらしていたのでは、すぐ目の前に起きていることさえ、気がつかんだろう」
博士は、先生にとって、いたいところをついた。だが博士と先生とを、一しょにして言うことは、先生がかわいそうである。博士はなにもかも知って知りぬいているし、新田先生は、知らないことばかりにぶつかるので、平気にとりすましてはいられないのである。千二となると、この少年は、なまじなんにも知らぬだけに、かえって先生よりも、ずっと楽な気持でいた。
だから、三人の中で、このところ一番やつれの見えるのは、新田先生であった。それも、やむを得ないことで、先生にたいして同情しなくてはならない。
「博士、地球とモロー彗星の関係は、そののち、どうなったでしょうか」
おお、モロー彗星のことか! 先生も千二も、ともに丸木艇を追うのにいそがしく、モロー彗星のことさえ、すっかり忘れていたのであった。さっきの晩餐会が、先生の気持をゆるめ、そうして今まで忘れていた大切なことを、一度に思い出させたのであった。
先生が、それを口にすると、千二少年も、にわかにそれに気がつき、
「ああ、そうだ。モロー彗星は、もう地球に衝突するところでしたね。ああ、たいへん。どうなったでしょうね」
と言って、先生の顔と博士の顔を、見くらべた。
「ああ、モロー彗星のことか」
と、博士は、なにごとかを考えるかのように、顔をあげて天井の隅を見つめた。
「わしの記憶に、まちがいがなければ……」
と、蟻田博士は、大きく息をして、
「モロー彗星が地球と衝突するのは、あと二十四時間後の出来事だ」
と言って、新田先生と千二との顔を見まわした。
「えっ、あと、二十四時間後ですか。もうそんなに、さしせまりましたか。もっとも我々は、丸木艇とたたかうことに夢中になっていて、時間のたつのを、すっかり忘れていました」
「多分、それにまちがいがない。なお、くわしいことは計算表を見てもいいし、望遠鏡で測って見てもいい」
すると、千二が、
「博士、我々が火星につくのと、モロー彗星が地球に衝突するのと、どっちが先ですか」
と、たずねた。
「さあ、それは、だいたい、同じ時刻になろう。いや、火星につく時刻の方が、すこし、早いかもしれない」
「ここから、地球へ引きかえすと、モロー彗星の衝突する前に、地球にもどれますか」
博士は、首を左右にふった。
「あ、もう、間に合わないのですか」
「そうじゃ。もうおそい。地球のことは、あきらめなければならない」
「えっ。もう、どうしても、地球の上にすんでいる人たちは、すくえないのですか」
「どうも、しかたがない。残念だけれど」
「ぼくだけが、大空艇に乗るんじゃなかったなあ」
千二は、そう言って、下を向いた。少年は、きっと父親のことを思い出したのであろう。
「博士」
と、新田先生は、博士の腕をつかんで、
「すると、あと二十四時間後には、生きのこった地球の人間は、わたしたち三人だけということになってしまうのでしょうか」
と、しんけんな顔で言った。
「そうだ。われわれ三人は、地球の最後の生きのこり者となるかも知れないのだ」
蟻田博士は、新田先生の問いに答えて、そう言った。
「はーあっ、そうですか」
「ふうん」
千二少年は、先生と顔を見合わせて、大きなためいきをついた。
あれほど多い地球の上の人間が、蟻田博士と新田先生と千二少年との、たった三人になってしまうとは、何というさびしいことであろうか。いや、さびしいなどということは、後まわしとすると、実に驚くべき大事件である。地球が生まれて二十億年になる。そうして人間の祖先があらわれて八十万年になる。このかがやかしい歴史をもつ地球がくだけて、たった三人の人間しか生きのこらないとすれば、一体、何と言っていいかわからないが、のこる三人の上に、たいへんな重荷を背負うことになる。そうではないか。生きているうちに、この三人は二十億年の地球の歴史を書きのこしておかねばならないのだ。三人が死んでしまえば、地球のことは、全くだれも知った者がいなくなるのである。ことごとく地球の歴史を書くなんて、そんなことは、とても三人の力で、出来そうもない。
ああ、地球はついに、空中で火花が消え去るように、消えてしまうのであろうか。
蟻田博士は、どういうものか、前からこの地球の崩壊ということについて、あまり気にかけていないが、新田先生はそうはいかなかった。先生は千二をうながすと、地球のよく見える下の部屋の窓のところへいった。
「おお、見える。あれが、地球だ。もうお月さまよりも小さくなった。ああ、こっちに、斜に金の箒《ほうき》をたおしたように見えるのが、にくいモロー彗星だ」
千二も、まっくらな空に、気味わるくにらみあっている二つの星をながめて、ぞうっとした。
「あと、二十四時間で、ふたたび、あの美しい地球が見られなくなるのか」
窓のところに、千二少年の手をひいて立つ新田先生は、そぞろに悲しかった。今まで忘れたり、がまんをしていたのが、ここで、急に先生の胸の中に、悲しいものをなげちらしたのだ。
千二も、さっきから、さびしい思いにとざされていた。
しかし、ここで新田先生のひどく悲しんでいる様子を見ると、少年は、この上自分が悲しがってはならないと思った。そうして、出来るなら先生をなぐさめてさしあげたい。もっと元気にしてあげたいと思ったのである。
「ねえ、先生。地球のことは、もう、僕たちの力でどうにもならないんですから、あきらめましょうよ。先生のお父さんやお母さんや、それから、しんるいの方もお友だちも、たくさんいらっしゃるのでしょうが、もう、こうなっては、しかたがないではありませんか」
「うむ。――千二君に慰めてもらおうとは、思っていなかったよ」
と、新田先生は、顔をあげて、のどを、ごくりと鳴らした。
「いや、もう、悲しまないよ。今、もう地球のために悲しみじまいだと思って、最後の悲しみを味わっただけさ」
と、先生は、涙をはらい、
「しかし、今にして私たちは、日頃勉強の足りなかったことを、しみじみと感じる。地球の上に、蟻田博士のような学者がもう一万人――いや一千人でも五百人でもいい、それだけの学者がそろっていて、そうして思う研究がやれたら、わが地球は、火星に襲撃されたり、モロー彗星につきあたられたりしないで、よかったんだ。きっと、それを防ぐ手があったに違いない」
あと二十四時間後に崩壊し去るであろうところの地球の姿を、新田先生と千二少年とは、しばし無言のまま眺めつくした。
あの美しいまん丸なすがたも、今しばらくのことである。また、今この大空艇からは、光る地球の面に、アジヤ大陸の一部が、ぼんやりとした輪郭を雲間から見せているが、あのあたりに、祖国日本の国があるのだ。それも、もう間もなく見られなくなるのである。
千二少年は、新田先生をはげますため強いことを言ったが、こうして、最期に近い地球の顔を見ていると、やっぱり胸がふさがり、あつい涙がこみあげてくる。
(お父さん!)
と、千二は心の中で呼んでみた。
(お父さんは、今どうしているだろうなあ。お父さんは、地球がこわれることを知っているのだろうか。それを知っているとしたら、今、どんな気持でいるだろうか。もしや、『千二や、千二や』と、ぼくの名を呼びつづけているのではないかしらん)
千二もやはり人の子であった。強くなくてはいけないと思いながらも、やはり父親とのわかれは、つらかった。
なんとかして、彼の父親を助ける工夫はないものか。いや、地球人類
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