生を、はげますように言った。そう言われて、先生も、いやとは言えなくなった。
「もちろんですとも。どこへでも、いきますよ。われわれは、大宇宙にある第一線部隊ですね」
「うむ、そうだ。だから、どんなことがあっても、負けられんのじゃ」
 博士は、拳をふりあげて、言いはなった。
 千二は、この時、望遠鏡のプリズムをうごかして、大空艇の後方を見わたした。
「ああ、見える。地球が見える」
 千二は、思わず、ため息をついた。
 見える見える、地球が、大きな球のかたちをして、雲にとりまかれつつ、宙に浮いている。雲の間から地表が見える。地表は、まぶしいまでに、明かるく光っている。アメリカ大陸らしいものが見える。なんという壮観であろう。
 雲が、ぱっと光ったように見えた。とたんに、雲のさけ目から、へんな青白い光りものが見えた。それはモロー彗星だった。
 丸木艇を追って、大空艇は、なおも、まっくらな空間を、まっしぐらに飛んでいく。
「博士、こんなに追いかけているのに、一向追いつきませんねえ」
 と、先生が言えば、蟻田博士は、
「うむ、困ったものじゃ。実を言えば、これぐらいの速度を出すエンジンで、十分だろうと思っていたが、今となっては、不十分だとわかった。今さら言っても仕方がない」
 博士は、設計に不十分な点があったことを、すなおに認めた。
「じゃ、いくら追いかけても、だめでしょうか」
「いや、そうともかぎらない。丸木艇が、もし故障でもおこしてくれれば、しめたものだが……」
「なるほど、そうですか。しかし、丸木艇も、なかなか調子よく、にげていくじゃありませんか」
「うむ、敵ながら、感心していたところだ。もうあと百キロばかり間をつめることができれば、ガス弾がとどくんだがなあ」
「ほう、あと百キロですか」
 すると、千二が、測距機で、彼と我との間を読んで、
「ええ、丸木艇は、百三十キロのところをとんでいますよ」
「ふふん、そうか。あと百キロぐらい、宇宙の大きさにくらべると、何でもないがなあ」
 と、先生はくやしがった。
 その時、博士は、めずらしく座席から、立上った。
「博士、どこへいかれます」
「おお、わしは、ちょっとここを留守にするよ。新田、お前、しばらくここをあずかっていてくれ。すぐに戻ってくるから」
「承知しました。しかし博士は、どちらへ……」
「ちょっとした用事じゃ。すぐ戻る」
 博士は、行先を言わないで出ていった。


   62[#「62」は縦中横] 怪しい影


 博士が、出ていって、部屋には、新田先生と千二との二人きりになった。
「先生、博士は、どこへいかれたんですか」
「さあ、どこだかなあ。博士は、ことさら返答をさけたようだ」
「髪をつんだり、座席を立ってどこかへいったり、なんだか博士の様子が、へんですねえ」
「そうだね。へんだと言えば、へんだが、まさか、まちがいはあるまいと思うが……」
 先生は、そう言うよりほかなかった。
 二人は、しばらくだまっていた。
「ねえ、先生」
「なんだ、千二君」
「博士は、はじめから火星へいくつもりでは、なかったのでしょうか」
「はじめから、火星へいくつもり? どうしてだい」
「つまりですね、地球は、あと二、三日したら、モロー彗星に衝突されて、こわれてしまうでしょう。だから、博士は、粉々になる地球の上にいて死んでしまうのはいやだから、その前にこの大空艇にのって地球をはなれ、火星へいくつもりじゃなかったのでしょうか」
「なるほどねえ、それは、ちょっと理窟になっているねえ。ははあ、博士は、そういうつもりで、地球をはなれたのかしらん」
 先生は首をかしげて考えこんだ。
 すると、しばらくして、また千二が言った。
「先生は、火星へいったことがありますか」
「いや、いったことなんかないよ。第一、人間が火星へいけるなんて、よっぽど先のことだと思っていた。そうして、たとえ人間が火星へついたにしろ、大空艇から出て、火星の表面をあるくのは、なかなかむずかしいことじゃないかねえ」
「そうですか。火星と地球とは、気候やなんかが、ちがうのですね」
「ああ、たいへんちがうのだ。空気はあるけれど、非常にうすい。一日のうちに、たいへん寒くなったり暑くなったりするのだ」
「それじゃ万一火星へついても、だめですね。ぼくたち人間は、火星におりても、いきがくるしくて、死んじまいますね」
 千二少年は、こまったような顔をして、新田先生を見た。
「そういうわけだね。丸木など火星人たちは、地球へくるについて、たいへん用意して来た。ドラム缶のような固いいれもののなかにはいり、地球のつよい大気の圧力が、自分たちのからだに、じかにあたらないようにしているのだ。それほどの用心をしてこそ、あのように、地球の上を、らくに歩いたり、平気でくらしていたのだ。だから、逆に、われわれが、火星の上におりて、安全に生きているためには、やはり用意がいるわけだね」
「用意というと、やはり何か着るのですか」
「もちろん、着る必要もあろうし、第一、空気がうすいのだから、酸素のはいったタンクのようなものを、持っていく必要があるとおもうね」
「先生、ぼくは、そんなものを持っていませんが、じゃあ、火星へおりられませんね」
「持っていないのは、千二君だけじゃないよ。先生だって、持っていない」
「じゃあ、博士は持っているでしょうか」
「ああ、博士かね。そうだなあ、博士は、火星にいたことがあるというから、きっと持っているとおもうが、はっきりしたことはしらない」
「先生、こんなことは、ないでしょうか。火星へついて、博士だけが下へおりて、いってしまう。あとに、先生とぼくとは、いきがくるしくなって、死んでしまう……」
「そんなことがあっては、たまらないね」
 と、先生は、ちょっと顔をくもらせたが、
「あ、そうだ。わたしたちの前にもう一人、火星へいっている男がいるのだよ。あの男はどうしたかしらん」
「へえ、ぼくたちの前に、火星へいっている人があるのですか。だれです、その人は……」
 と、千二少年は、おどろいた。
「それはね、佐々刑事だよ。警視庁にいた元気のいい刑事さんだ」
 と、新田先生は、説明した。
「ああ、あの人ですか。山梨県の山中で、火星の宇宙艇をうばって、逃げた人でしょう」
「そうだ、あの人だ。一時は、佐々刑事の無電がはいったものだが、このごろしばらく佐々刑事から、たよりをきかない。今どうしているのだろうか。おお、そうだ。この受信機で、佐々刑事の電波をさがしてみよう」
「それがいいですね」
 と、千二も、さんせいした。
 そこで、新田先生は、受話機を頭にかけ、受信機をはたらかせてみた。そうして、この前うけた時におぼえた波長のところへ、目盛盤をまわしてみた。
「どうですか。はいりますか」
「いや、きこえないね。このへんで、たしかにきこえたはずだが、今日は、ぴいっという、うなりの音も出ない」
 新田先生は、さらに、増幅器を加えたりしたが、空間は、寝しずまったようにしずかであった。
「だめだねえ。とにかく、佐々刑事の電波は今出ていない」
 先生は、ちょっと、がっかりしたかたちであった。
 ちょうど、その時、扉がひらいて、博士がかえって来た。
「博士、異状はありません。ひきつづき丸木艇のあとを追っています」
 と、先生は、すぐ報告をした。そうして、席を博士にゆずった。
 博士は、どうしたわけか、のぼせたように、頬を赤くしていた。そうして席につくと、すぐさま二人の方へ顔をむけて、
「まだまだ、道中はながいから、お前たち、こっちの寝室へいって、ねてきなさい」
 と早口で言った。
 蟻田博士は、千二と新田先生とに、寝室へ引取って、寝てこいというのだ。
 二人は、博士の言葉がだしぬけだったので思わず、目と目を見合わせた。だが、火星まで、丸木艇を追っていくときまれば、まだまだ先はとおい。ここらで休息をしておくことは、いいことであろうと思ったので、新田先生は、
「じゃあ千二君、あとを博士におねがいして、しばらく、寝てこようではないか」
 と、千二をさそった。
 もちろん、千二は、先生の言葉にしたがった。二人は、寝台のついている別室にはいった。
 その寝台というのは、ちょっと風がわりな形をしていた。それは、ちょうど列車の網棚を、もっと深くしたようなかっこうになっていて、体を入れると、すっぽりとはいり、下に垂れさがる。しかも取附けられたその寝具の蒲団は、体を入れたあとで、蒲団の合わせ目をそろえ、内部から、チャックという金具を引くと、まるで袋のようになってしまうのであった。
「先生、この蒲団は、おもしろいですね。なぜ、こんなことになっているのでしょう」
 と、千二が言うと、先生は、
「これかね。これは、つまり天井と床とが、逆になっても、ちゃんと寝ていられるように、つくってあるのさ。そうだろう。逆になれば、反対に、ぶらりと、さがるのだよ」
 と、説明をこころみた。
「なるほど、おもしろい寝台だなあ」
 千二は、目から上を、蒲団の外に出して、笑っていたが、そのうちに、つかれが出て、ぐっすり寝こんでしまった。
 それからあと、どのくらい、眠ったのか、千二は、よくおぼえていない。ふたたび気がついたときは、千二は、だれかに、しきりに名をよばれていた。
「おい千二君。へんなことがあるから、ちょっと起きたまえ」
 千二は、ねむい目をこすって、寝台の中から、首を出した。
「あ、先生。どうしたのですか」
 と、先生の顔を見ると、先生の顔色は、まっ青であった。ただごとではないらしい。
「おい、千二君。博士のようすが、へんなのだ。われわれは、かくごをしなければならないぞ」
 先生は、そう言って、いたましい顔をした。
「どうしたのですか。くわしく、話をして下さい」
 千二には、わけがわからなかった。とにかく千二は、ふとんを開いて下へおりた。
「いいか、千二君。おどろいてはいけない。この大空艇には、いつの間にか火星兵団のやつが、しのびこんでいたのだ。しかも、二人だ」
「えっ。火星兵団のやつばらが、ここにいるのですか」
「そうだ。しかも、その二人は、博士を両方からかこんでいる。博士は、なれなれしく、二人と話をしている。何を言っているのか、話はあついガラスにへだてられて、わからないがね。とにかく、博士は、火星兵団のやつと、一しょに組んでいるらしい。いや、それにちがいない」
「そうですか。博士は、また、気がかわったのかしら」
「われわれを、控室へひきとらせたのも、われわれが、操縦室にいては、都合がわるいからだ。もう、こうなれば、かくごをきめて、たたかうだけたたかって、たおれるばかりだ」
「そうかなあ。博士は、なぜそんなに、急に気がかわったんだろうなあ」
 と、千二は、いつまでも小首をかしげている。
「千二君。君は博士の変心が、信じられないらしいね。では、あそこまで来て、あの部屋をのぞいてごらん。すると、それがわかるから……」
「じゃあ、火星兵と博士が話をしているのが見えるところまで、つれていってください」
 と、千二は、先生に言った。
「よろしい。しずかに、足音をしのばせて、こっちへ来たまえ」
 先生は、せまい廊下を、先に立った。
 まったく、困ったことだ。この大空艇に、火星兵がのりこんでいるなんて。
 これが、地上でおこったことなら、博士と火星兵とをそこへのこして、一時にげだす手もあったが、このように、空中での出来ごとである。しかも、空中といっても、あたり前の空中ではない。このあたりは、もう空気がない空間である。外へにげだすことは出来ない。空気がないから、死んでしまうだろう。それに、第一、代りのロケットも、なんにもないのである。
 千二は、先生のあとから、ついていった。そうして足音をしのばせつつ、ようやく操縦室の次の部屋まで来た。
 先生は、扉の上についている小さいのぞき窓のふたを、そっと、よこにうごかした。
「ほら、まだ、三人とも、話に夢中だ。さあ、ここから、のぞいてみたまえ」
 千二の背のたかさでは、その窓が、すこし高すぎ
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