くねらえ」
「はい」
 大空艇は、またもや空中に反転して、丸木ののった宇宙艇を追う。
「あっ、丸木が、窓からのぞいて、こっちを見ていますよ」
 千二が叫んだ。
「え、どこに。どの窓か」
 博士は、テレビジョンをつけた。配電盤上に、雑誌をひろげたくらいの四角な映写幕が、みどり色に光り出し、丸木艇をうつし出す。
「一ばん、あたまのところです。うす桃色に光っている窓から、丸木がのぞいています」
 博士は、テレビジョンの倍率をたかめて、しきりに映写幕にうつる像を大きくしていく。
「ああ、これか」
 博士は、うなずいた。円い窓に、一つの奇妙な顔がのぞいている。それは、丸木のほんとうの顔だった。つまり耐圧服をぬいで、素顔をみせているのであった。奇妙な火星人の顔であった。
 眼は大きく、くちばしのようなものがとび出し、ひたいのところからは、触角のようなものがぶらさがっている。丸木は火星人としては、かなりの年寄だ。
 宇宙艇の窓から、丸木の目が、あやしくうごく。くちばしが、ぶるぶると、ふるえるところまでが、よく見える。
「なにか、しゃべっているのだな」
 と、博士は、宇宙艇の丸窓を大うつしにうつし出しているテレビジョンを見て、言うのであった。
 博士は手をのばして、配電盤上のスイッチを、ぴちんと入れた。
 すると、天井につってある高声器から、いきなり異様な声がとび出した。
「おい、蟻田。やっと、受信をはじめたか。あいかわらず、あたまのわるい奴だ」
 どくづいているその声は、丸木の声であった。
 博士も、負けてはいない。
「おい、丸木。われわれ地球人類が、いかにつよいかということを、もう十分、さとったであろう。このへんで降参したがいい」
「なにを、蟻田め、それは、こっちで言うことだ。モロー彗星に衝突されれば、地球人類は、みな死んでしまうのだぞ。それを助けてやろうとしているのに、恩を仇でかえすなんてことがあるか。この上は、ゆるせない。その血祭に、まず、貴様ののっているそのロケットを、うちおとして、息の根をとめてやるぞ」
「丸木。こっちは、平気じゃよ。それに反して、わがガス弾が、一発『ドーン』と、お前ののりものにあたれば、たちまち煙となって、おしまいになるぞ。つまり、空中葬になってしまうのだ。このへんで、降参したがいい」
「ばかを言え。おれは、もう、貴様のような人間は、相手にしないことにする」
 丸木のことばは、あやしくふるえていた。
「博士、丸木艇は、速力をはやめていますよ。にげ出すのじゃないかしら」
 千二少年が、さけんだ。
 丸木艇は、とつぜん、長くのびたように見えた。そうして艇全体が、にわかに赤みをましたようであった。丸木艇は、速力をました。
「おや、丸木艇は、あんな方向へ行くぞ。うむ、にげるつもりだな」
 と、蟻田博士が、叫んだ。
「あれあれ、あんなに、丸木艇は小さくなってしまいましたよ。ぐずぐずしていると、見失ってしまいますよ」
 と、千二は、気が気でない。
「うむ、たしかに、にげるつもりだ。――おい、新田、撃方《うちかた》やめ。今よりわが大空艇は、丸木艇を追いかける。速度をあげるから、すこし気もちがわるくなるかもしれん。みな、しんぼうするのだぜ」
「はい。しんぼうします」
 先生と千二は声を合わせて、答えたのであった。
「よろしいな。では追撃にうつる」
 博士は、そう言うと、エンジンの速度をあげた。ぐぐうっと、三人のからだは、うしろへ吹きとばされるように感じた。そうして気味がわるい頭痛がして、汗が出た。大空艇は、急に速度をはやめたのである。
「にげる、にげる。丸木艇は、だんだん地球からとおざかっていくぞ」
 博士は、丸木艇の航跡を測りながら、宇宙図のうえに、鉛筆でしるしをつけていく。
「地球から、とおざかっていくと言いますと、火星へ戻るつもりですかな」
 と、先生が尋ねた。
「さあ。もうすこし、丸木艇の行方を見ていなければ、たしかなことは言えないが……」
「博士、さっき丸木艇が、だいぶん大きく見えだしましたが、今また、ずんずん小さくなって行きますよ」
 千二が、注意した。
「うむ、そうか。丸木艇は、またにげ足を、はやめたんだな。いや、負けてはいないぞ」
 博士は、また速度をあげた。エンジンの音が、にわかに大きくなった。
 そのとき、空が急に暗くなってきた。星がダイヤモンドのようにきらめきだした。
「先生、どうしたのでしょうか。日が暮れだしたのか、急に真暗になりましたよ」
 千二が、驚いて、叫んだ。
「ふん、おかしいね。日が暮れたのにしては、おかしい。下を見ると、あのとおり、地球は、まぶしく太陽の下に光っている。なにしろ太陽も、ちゃんと、ああして空に輝いているのだからねえ」
「先生、どうしたのでしょうか、これは……」
「さあ、おかしいねえ。ここは太陽の下にいながら日が暮れ、地球の上は、ぎらぎら光って、真昼なんだ」
 二人が、そんなことを言いあっていると、博士が、
「お前たちは、なにを、ばかなことを言っているのか」
「は、あまり、ふしぎですから……。まさか、まだ成層圏《せいそうけん》へ来たわけでもないでしょうと思いますから……」
「なにを言っとるか。もう、われわれは成層圏の中にいるのだ。成層圏にはいったればこそ、夕暮みたいな景色になったのだ」
「えっ、もう成層圏へ来ていたのですか。たいへん早いですなあ」
 先生は、びっくりした。
「先生、成層圏て、なんのことですか」
 千二が、おどおどして、きいた。
「成層圏というのはね、千二君、地上からはかって、大体二十キロぐらいから上の空のことだ。そのあたりには、空気が非常にうすくなるから、太陽の光が、ちらばらない。だから、空は暗く見えるのだ」
「太陽の光が、散らばらないとは、なんのことですか」
「つまりたくさんのガラス玉をとおして、光を見ると、どこから見てもぎらぎら光って見えるだろう。空気はガラス玉と同じはたらきをするのだ。太陽の光を、空気の粒がちらばらせるので、空気のある空は、明かるいのだ。空気のないところでは、太陽の光がちらばらないから、空は暗く見えるのだ」


   61[#「61」は縦中横] 火星行《かせいこう》


 新田先生が、千二少年に、成層圏のはなしをしている間に、大空艇は、どんどんすすんで、あたりは、いよいよ暗さをくわえていった。空気が、いよいようすくなったのである。
 先生は、千二少年のため、はなしをしてやるのに、つい夢中になっていたが、このとき、はっと気がつき、操縦席にいる蟻田博士の方を、ふりかえった。
 博士は、じっと映写幕をみつめていた。博士の手は、いつの間にか、操縦桿を放れていた。再び自動操縦に戻っていたのである。
「博士、丸木艇はどうしましたですか」
 先生は、それをたずねた。
「丸木艇は、さかんに逃げていくわい」
「逃げていきますか。どこへいくのでしょうか」
「さあ、今のところでは、なんともわからないが、多分、火星へ戻るかもしれないよ。君は無電を注意していてくれ」
「はい。どこの無電を……」
「丸木艇が、やがて、火星と通信するかもしれない。それを、こっちでも、ききとってくれ。何か、参考になることがあろうからなあ」
「はい、わかりました」
 博士は、先生をガス砲から無電機の方へ、うつしたのであった。
 千二の顔が、博士の方へ向いた。
「博士、ぼくは、どうしますか」
 蟻田博士は、千二の方をみて、にっこり笑い、
「千二。お前、髪床やさんになってくれぬか」
「えっ、髪床やさん」
「そうじゃ。丸木艇においつくまでには、まだちょっと時間があるから、お前、わしの後へ廻って、髪をつんでくれ」
 博士は、妙なことをいいだした。
「博士、おしゃれをするのですか。ぼくには、髪床やさんは、できません」
「なあに、わけなしじゃ。ここに便利な電気鋏《でんきばさみ》があるから、これでぐるぐるとやってくれればいい」
 成層圏のとこやさん――千二は、このへんな仕事を言いつかって、博士のうしろに廻った。
「待て待て。とこやさんがやるように、肩のところへ、白い布をかけてくれ」
「博士。ぜいたくを言っては困りますよ。ここは、成層圏ですからね」
「成層圏はわかっているが、とこやさんを、やってもらうには、やっぱり、白い布をかけた方がいいよ。そこにある機械おおいを取って、肩にかけてくれ」
「へい。これですか、機械おおいは……」
 千二少年は、機械の上にかけてあった油くさいきれをとって、いい気な博士の肩にかけてやった。
「ふん、なかなかいいぞ。うまく鋏《はさみ》をつかって、こののびた髪を、わしが言うように、切ってくれ」
 千二は、博士があまりのんきなので、おどろいた。そうして、鋏をしきりにつかって、長くのび切った髪を、つんでいった。
 博士は、いろいろと口やかましく、千二の鋏のつかいかたに、文句を言った。しかし、そのうちに博士の髪かたちは、ととのっていった。
 博士は、やがて一変して、若々しくなった。
「博士、ずいぶん、若くなられましたねえ。十歳ぐらいも、若くなりましたよ」
 と、となりの座席にいる新田先生が言った。
「そうじゃろう。なあに、もう、おかしくなったまねをしている必要も、なくなったからのう」
 千二は、すっかり仕事をなしおえた。成層圏で髪を刈ったのは、わが蟻田博士ぐらいのものであろう。
 このとこやさわぎが、先生や千二の心を、大へんやわらげた。博士は、ほんとうのところは、髪を刈りたかったのではなく、二人の気持を、らくにするために、むりに髪を刈れと言ったのかもしれない。……
 大空艇は、いま暗黒の空間を、ひたむきに飛んでいる。
 博士は、髪のかたちをととのえ、すっかり若くなって、座席についた。先生も千二も、それを見てにこにこしている。いよいよ一同の意気は高い。
 映写幕には、外がうつっている。まっくらな中に、うす桃いろの丸木艇が、うつっている。博士は、目盛盤を動かして、ピントを合わせた。
 丸木艇が、くっきりと、映写幕の上にうつった。
「丸木艇は、いよいよ、火星へにげてかえるつもりだな」
 と、博士は、うめくように言った。
「博士、どうなさいます」
「どうするとは?」
「丸木艇に、おいつけますか。おいつけないときは、地球へ戻るのですか、それとも、あくまでも、丸木艇をおいかけていくのですか」
「どこまでも、追いかけていくのだ」
 博士は、はっきり言った。
「え、すると、火星までいくのですか」
「そういうことになるかもしれない、もしこっちが、追いつけなければ……」
「はあ」
 先生は、おどろいて、博士の顔を見直した。
「博士、火星へいくのですか。おもしろいですねえ。一度、いってみたいと思ってたんです」
 千二は、にこにこ顔であった。
 先生は、笑う気持になれなかった。火星旅行は、地球の上の飛行機の旅のように、かんたんにはいかない。第一、火星の気候は、たいへんちがっている。それから、すんでいるのは人間ではない。植物の進化した生物だ。彼らは、丸木みたいに、すぐれた知識をもっている。そういう火星人のたくさんすんでいる中へ、三人でいって、どうするのであろう。いわんや、丸木は、自分たちを恨んでいるのではないか。そう思うと、火星行は、いやな気がする。
「博士、火星までいって、大丈夫ですか」
 と、先生は、それを聞かないではおられなかった。
「大丈夫かどうか、わからない。しかし、今となっては、火星であろうが、どこであろうが、丸木艇を追いかけていくしか、方法がないのだ」
「そうでしょうか」
「丸木は、地球に対して、はじめて戦いをいどんだ敵だ。この宇宙の侵入者を、ここで撃ちおとしておかなければ、地球人類の大恥である。わしは、あくまで、丸木艇を撃墜し、丸木を、やっつけてしまうのだ」
 博士の決心は、岩よりもかたい。火星人と戦って、どちらが勝つか負けるか、わからないのである。しかも、博士は、丸木艇を追って、進撃するのであった。
「博士、火星へでも、どこへでも、いきましょう。先生もいきましょう」
 千二は、新田先
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