に悲鳴をあげた。このままこのぴりぴりが続いたら、彼の血管《けっかん》は裂《さ》けてしまうだろうと思われた。
「丸木さん、早く来て……」
と、千二は、歯をくいしばって叫んだ。
すると、とたんに、そのぴりぴりが止った。
湯気の向こうから、誰かのっそりと出て来た。見ると、それは外ならぬ丸木であった。
「なあんだ、人間というやつは、ずいぶん弱いものだなあ、はははは」
丸木は、笑い声をあげた。しかし千二は、丸木が笑い声をあげているのに、その顔は少しも笑っているような顔に見えないのを、不思議に思った。それからもう一つ、「なあんだ、人間というやつは、ずいぶん弱いものだなあ」などと、自分も人間のくせに、人間の悪口を言ったのを、たいへん変に感じた。
「どうだ、千二。体に元気が出て来たろう」
「えっ」
言われて気がついた。なるほど、さっきまで、手足が抜けるようにだるかったのに、今はすっかりなおってしまった。そうして筋肉がひきしまって、その場にぴょんと飛上りたいほどの気持だった。
「ほう、これは不思議だ」
と、千二が目をぱちくりさせると、
「さあ、千二。さあ起きろ、起きろ」
「起きろと言っても、僕は縛られているんです。起上れるものですか」
「それはもう解いたよ。起きろ。起きてこれからすぐ、買物にいくんだ」
丸木は、心得顔に言った。
5 あ、火星の生物!
丸木の言ったことはうそではなかった。まさか起上れないだろうと思って、千二は、ためしに首をもたげた。すると、ちゃんと首が上るのだった。
おやおや、不思議だと思い、今度は両手をついて、上半身を起してみると、なるほどちゃんと上半身が起上った。(あっ、いつの間に、縄を解いたのかしら)
飛起きて、千二は足元を見まわした。彼のからだを縛っていた縄が、そこらに落ちているだろうと思ったのである。
だが、足元には、細紐《ほそひも》一本すら、落ちてはいなかった。まるで見えない透明の縄で、からだを縛られていたようだ。
「さあ、こっちへ来い」
丸木は、大きな声で、千二をよびつけた。
「え、どうするのです、この僕を」
「どうするって、これから東京へいくのじゃないか。東京へ着くまでは、これで目隠しをしておく。あばれちゃいけないぞ」
丸木の言葉が終るか終らないうちに、千二の目は、急に見えなくなった。
「あっ!」
と、千二は、両手を目のところへもっていった。目をこすろうとしたのだ。ところが、おどろいた。ちょうど目の前が、ゴム毬を半分に切ったようなやわらかいもので、蓋をしたようになっている。
「こんなもの!」
と、千二は、そのゴム毬の半分みたいなものを、むしり取ろうとしたが、つるつるすべるだけで、そのもの自身は、かたく目を蓋していて、取れない。
「あははは。何をしているのか。お前の力ぐらいでは、取れやしないよ。さあさあ、しばらくの間だ。がまんしろ」
そう言うと、丸木は、千二の背中をどんとついた。千二は、あっと言って、たおれた。その時、何だか、ばさりと音がして、千二の首から下を包んでしまったものがある。
千二は、目かくしをされたまま、袋のようなものの中に入れられた。
どうなることかと、彼は気が気ではなかった。
そのうちに、丸木が、
「どっこいしょ」
と、かけごえをしたと思うと、千二の体は袋にはいったまま宙に浮いた。
それから丸木は、歩き出した。
千二の体は、袋の中で、たいへん揺れた。
しばらくすると、袋のまわりにひゅうひゅうという鳴き声が、集って来た。ひゅうひゅうひゅうと、しきりに鳴き合わせている。
「あっ、例の怪しい声だ!」
千二の胸はどきどきして来た。それとともに、珍しいにおいが、ぷんぷんにおうのであった。
(うむ。丸木さんが、さっき言ったが、火星の生物が、袋の外に集って来たのに違いない。あの、ひゅうひゅうという口笛を吹くような声、それからこの気もちの悪いへんなにおい、この二つが見附かると、そこに火星の生物がいると考えていいんだ)
千二少年は、たいへん大事なことを知った。これから、この二つのことに気を附けていると、そこに、火星の生物がいるか、いないかがわかると思った。
それにしても、丸木のおじさんという人は不思議なおじさんである。火星の生物と、おそれ気もなく話をしている。一体、このおじさんは、何者なのであろうか。この次によく尋ねてみることにしようと、千二は思った。
丸木のおじさんと火星の生物との話は、しばらくしてすんだらしい。丸木のおじさんは、火星語が出来るようだ。例のひゅうひゅうとしか、聞きとれない言葉である。
「おい、千二。しばらく目が廻るかも知れんが、我慢しろよ」
突然、丸木の声が聞えた。
目がまわるかもしれないが、がまんをしろと、丸木の注意である。
その言葉が終るか終らないうちに、しゅうしゅうとはげしい音が始った。蒸気がふき出すような音であった。
それと同時に、袋の中に、はいっている千二の体は、ゴム毬が転がるように、ぐるぐるまわりだした。
「わっ、目がまわる!」
目がまわって、胸が悪くなった。千二はよだれをだらだらと出した。
「丸木さん、僕は苦しいよ」
千二はとうとう悲鳴をあげた。
だが、その声は、しゅうしゅうという音にかき消されて、丸木の耳には達しなかったようである。丸木は、うんともすんとも返事をしなかった。
どうなることかと、千二は気が気ではなかった。
しかし、それはものの四、五分しかつづかなかった。しゅうしゅうという音がとまった。
「さあ、千二。外へ出るんだ」
千二は、袋の中から出してもらえるのだとばかり考えていた。しかしそれはまちがいだった。千二は袋ごと、どさっと下におろされた。その時彼はひやりとした大地を感じた。そうして、ぴちゃりぴちゃりと、さざなみが汀《みぎわ》を叩くらしい音を聞いたと思った。
「ああ湖の近くだ」
千二は、おぼえのある磯くさいにおいをさえ、かぎわけた。
「ねえ、丸木のおじさん。僕をちょっと外へ出して下さいよ」
「外へ出して、どうするんだ」
丸木が、怒ったような声でたずねた。
「ちょっとうちへ寄っていきたいんです」
「だめだめ。そんなことはだめだ!」
丸木は、あたまごなしに叱りつけて、
「これから東京へ出るんだ。しっかりつかまっていろ」
外へ出してやるぞと丸木が言ったのは、千二を袋から外へ出すことではなかった。後になって考えて見ると、あの時千二は、湖の底から、何かある乗物に乗って、水面に浮かび出たものと思われる。それを操縦したのは、もちろん丸木にちがいなかったが、その乗物は、一体どんな乗物であったか、それをここに書くと、誰でもびっくりするであろう。
「さあ、出発だ。いいかね」
丸木が、そう言うと、千二の体は、ふたたび袋の中でゆられ出した。しかし今度は、もうしゅうしゅうと音はしない。丸木が、千二のはいった袋を肩にかけて、歩き出したと思われる。
丸木は、どんどん歩きつづけた。
「丸木さん、汽車に乗っていかないの」
千二は、袋の中から声をかけた。
「汽車?」
丸木は、ちょっと言葉を切って、
「汽車なんかをつかうより、歩いた方が早いや」
「うそばっかり」
千二は、丸木が、汽車より早く歩けると言ったので、うそつきだと思った。
しかし、これは後に、千二の考えちがいだったことがわかった。いや、妙な話である。たいへんな話である。
袋の中にゆられながら、千二は、その間に、これまでのことをふりかえってみた。するといろいろと腑におちないことが、たくさん出て来た。
中でも千二にとって不思議でたまらないのは、この丸木が、いつの間にか千二の名を知っていたことである。千二は、まだ一度も彼の名前を名乗らなかったし、服のどこにも名前は書いてないのだ。
丸木というこのおじさんは、考えれば考えるほど、うす気味の悪いおじさんだ。
「ここには火星の生物がいるのだ」と、驚きもせずに言ったのも、丸木だった。
千二を袋の中に入れ、それをかついで走る丸木という人物は、考えれば考えるほど、腑に落ちないところのある人物だ。どうしても、ただの人間とは思われない。
千二は袋の中から、声をかけた。
「ねえ、丸木さん。おじさんは、なぜ火星のボートの中にいたの。僕が火星のボートの中で、目をさました時、おじさんは隣の部屋から出て来たでしょう。すると、おじさんは、僕より早くから、あのボートの中にいたわけね」
丸木は、どんどんスピードをあげて、走り続けながら、
「こら、千二。よけいな口をきくものじゃないよ。だまっていなさい」
と、叱りつけた。丸木は、たいへん気をわるくしているらしいことが、その声からわかった。
千二は丸木に叱られて、しばらく黙っていた。しかし彼は、間もなくまた丸木に話しかけた。
「ねえ、丸木さん。今は、まだ昼かしらん、それとも夜かしらん」
「よく喋る子供だな。そんなことぐらい、きかなくても、わかるじゃないか」
丸木の返事は、あいかわらず、ぶっきらぼうであった。
「僕には、昼だか夜だか、どっちだかわからないんですよ。だって、僕は、厳重な目かくしをされているんだもの」
「ああ、そうだったね」丸木は、ようやく思い出したらしい。「いまは夜だよ。外は、真暗《まっくら》で、どの家も戸をしめているよ。そんなことを聞いて、一体どうする気だ」
「そして今、幾時?」
「時刻か、さあ、幾時だかわからない」
「おじさんは、時計をもっていないの」
「時計? 時計なんか持っているものか。おい千二。東京へ近くなったから、もうお喋りしちゃならんぞ」
「えっ、もう東京の近くまで来たの」
千二は、丸木の足のはやいのにおどろいた。さっきから、まだものの二十分とたっていないのに、はや東京の近くへやって来たというのだ。そんなばかげた話はない。千二は、丸木がうそをついているのだと思った。
丸木は、かまわず、どんどんと駈けつづけた。しばらくして、丸木はこえをかけた。
「おい千二、もう東京の中だ。買物をするのには、銀座がいいのだろうね」
「さあ、僕はよく知らない。だって僕は、そう幾度も東京へ来たことがないんだもの」
「なあんだ。お前は、こんな近い東京をよく知らないのか。とにかく、銀座へ出よう。さあ、このへんなら、人通りがないから、お前の目かくしを取るには、いい場所だ」
そう言うと、丸木ははじめて足をとめた。そうして袋の中にはいっていた千二は、丸木の肩から下された。
「今、中から出してやるし、目かくしもとってやるが、その前に一つ、きびしく言っておくことがある」
丸木は言葉のおしりに、力を入れて言った。
千二は、丸木が何を言出すかと、だまって、待っていた。
「いいか。忘れないように、よく聞いているんだぞ。ここでお前のからだを自由にしてやる。しかし買物が終らないうちに逃出したりすると、お前の命があぶないぞ。命が惜しければ、よく言うことを聞くんだ。わかったか」
千二は、丸木からおどかされて、ほんとうのところは、腹が立った。
(なにを、この野郎!)
と思った。千二少年も日本人である。むやみにおどかされて、それでおめおめ引込んでいるような、弱虫ではない。だが、この場合、千二は、丸木ととっくみあいをする時ではないと思ったので、
「僕、逃げたりなんかしないよ」
と答えた。
「逃げないと言ったな。よし、その言葉を忘れるな。ふふふふ。やっぱり人間という奴は、命がおしいとみえる」
と、丸木は、ふふふふと、鼻の先で笑いながら、千二を袋の中から、ひっぱり出した。
「さあ、ちゃんと立ってみろ。うしろを向いて、しっかり立てと言うんだ」
千二の足は、ふらふらだった。袋の中で、へんな工合に足をまげていたので、足が変になっていた。
丸木は、千二の頭の後で、ごとごとやっていたが、そのうちに、千二の目の中に、ぱっと夜の光が飛びこんで来た。
うつくしい広告灯の灯だった。銀座が、千二のすぐ目の前に立っていた。
「あっ、ほんとうにもう東京へ来たんだ。丸木さん、僕たちは、さっき千
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