そこのところがどうなっているのか、先生は知りたいと思ったのである。だが、博士は、それについて、返事をしなかった。
 モロー彗星は、博士の言ったように、間もなく雲にかくれて見えなくなってしまった。先生は、そのことを言って望遠鏡から目をはなすと、博士は、
「これから、一日増しに、大きく見えて来るじゃろう。そうして、やがて地球に衝突する一週間ぐらい前になると、モロー彗星の一番太いところは満月ぐらいの大きさになるじゃろう。そのころには、人間のなかで、気の弱い奴らは、そろそろ妙なことを口走るようになるじゃろう」
 博士は、気味の悪いことを言った。
「何とかして、地球人類を助けてやる方法はないものですかねえ」
 先生は、むだなこととは知りながら、またしても、博士にそれを相談せずにはおられなかった。
「だめじゃ。よほどの奇蹟でもないかぎりは……」
 博士の返事は、先生の考えていた通りであった。
 二人が、話をしている時、暗中で、五つの赤い電球が、しきりについたり消えたりしはじめた。すると博士は、あわてて立上った。
 ぴかぴかぴかと、しきりについたり消えたりする赤い電球は、何を知らせているのであろうか。
 蟻田博士は、くらがりでもよく目が見えるらしく、立上ると、何かしきりに機械を廻している様子だ。
 がらがら、がらがら。
 高声器の中から、雑音が出て来た。空電がはいっているらしい。博士は、なぜ高声器を働かせているのか。
「博士、どうしたのですか」
 と、新田先生はたずねた。
 だが、博士はそれに答えなかった。その代りに、高声器の中からはげしい雑音に交って、何かしきりにわめきちらしているような人の声が聞える。
 その声は、はじめ、たいへん小さかったが、しばらくすると、雑音以上に大きくなって来た。しかもその声が、日本語でしゃべっていることがわかった。
(誰だろう?)
 先生は、くらやみの中で、きき耳を立てていた。その声は、大きくなったけれど、何を言っているのか、言葉の意味がはっきりしない。しかし、その中で、
「おい、聞いているか、日本人!」
 という言葉が、くりかえされたことがわかった。
 先生は、それを聞いている中に、言葉の調子から、一人の人物を、ふと、心の中に思い浮かべたのであった。それは外でもない。刑事の佐々《さっさ》のことであった。
(佐々刑事の声によく似ているがなあ)
 と、先生が首をかしげている時、高声器からの声は、また一段と声をはり上げて、
「……火星のやつに、気を許すな。火星のやつは、どんなひどいことでも、平気でやるぞ。ゆだんするな。火星のやつは、ありゃ動物ではないんだ!」
 火星の人間は動物でない――などと、へんなことを言出した。
「おお、あれは佐々刑事の声に違いない!」
 と、新田先生は、すっかり興奮してしまった。
「何じゃ、佐々刑事? この、しおから声を出している人間は、あのがむしゃら刑事じゃったか」
 博士はちょっと驚いた様子だ。そうして、「ふん、おもしろくもない」とスイッチをぷつんと切ってしまった。とたんに、佐々の声は聞えなくなった。
「あっ、スイッチを切っちゃいけません。もっと私に、その先を聞かせて下さい」
 新田先生は、博士に迫って行った。
「こんなものを、聞くことはないよ。今さらこんな世まよいごとを聞いて、何のたしになる! モロー彗星は、もう間近に迫っているのじゃ」
 博士の口ぶりから考えると、佐々刑事の電話を新田先生に聞かせたくないらしい。博士は、切ってしまったスイッチを、再び入れようとはしないのだった。
 新田先生は、老いたる師の博士をつきのけてまでも、佐々刑事の宇宙電話を聞く気にはなれなかった。次の機会を待つよりほか仕方がないであろう。
 だが、このまま引っこんでしまうのは、たいへん惜しかったものだから、
「博士、今の電話は、火星から伝わって来たもののように思いますが、違いますか」
 博士は、そうだとは言わなかった。が、そうでないとも言わないところをみると、たしかに火星からの通信に違いないと、先生はさとってしまった。
「博士。火星人が動物でないと言うのは、ほんとうですか。動物でなければ、一体、何ですか」
「ふうん、そのことだ。が、人間には、とてもむずかしすぎる問題で、言ってもわかるまい」


   45[#「45」は縦中横] おそろしい仮定《かてい》


 実に奇怪な話ではある。火星人は、動物でない――と、佐々刑事は言うのだった。
 蟻田博士は、それについて、いくら新田先生に説明してもわかるまいと言って、話をしようと言わない。
 新田先生は、ぜひともこの重大な、なぞの言葉を解いてしまいたいと思うのだった。これは博士の力を借らずに、自分の力で解いて、博士にぶっつけるより外はない。
 そこで新田先生は、自分で、このなぞの言葉にぶっつかった。
(火星人は動物でない――と言う。では、いったい何であろうか)
 動物でない――と言うと、植物か鉱物か二つのうちの一つであろう。しかしそれはあまりに変なことだ。
 なぜと言って、人間は動物であり、犬や猫も動物である。動物は、文字で書いても、動くものと書く。だから動物は、動けるのである。植物や鉱物は動けない。
 そうなると、佐々刑事の宇宙電話も、とりとめのないことをしゃべったとしか考えられない。動物でなければ動くことが出来ないのだから……。
 だが、待てよ。
 ここに一つ考えのこしたことがある。鉱物が全く動かないことはわかっているが、植物の方は、全く動かないものばかりとも言えない。たとえば、蟻地獄と言われる草や、蠅取草《はえとりそう》のようなものは、自分で動いて、蟻とか蠅とかを捕えるという話である。アミーバという下等植物は、自分で体の形をかえて水中を泳ぐ。
 またいつだか見た文化映画で、『植物の生長』というのがあったが、植物の蔓《つた》が、まるで蛸《たこ》の脚《あし》のようにぐらぐらと動きまわって、どこかにまきつく棒とか縄とかないかと、しきりにさがしもとめている有様がうつっていた。その映画を見ると、植物がまるで動物とおなじように見えた。
 そんなことをだんだん考えて来ると、植物は全く動かないものだとは言いきれなくなる。さあ、問題はそこだ!
(アミーバも動く、蠅取草も動く!)
 火星人の正体を、ほり出そうとして、新田先生の推理はつづく。
 動物でない火星人!
(では、火星人が、アミーバや蠅取草のような動く植物であったとしたら、どうであろうか?)
 先生は、考えをそこまで持って来た。そこには、恐しい大驚異の世界が開かれていた。そうだ! 動く植物! 火星人なるものは、進化した動く植物だと考えては、どうであろう!
「ああ、驚くべきことだ。ああ、恐しい世界だ」
 と、新田先生は、思わず口に出して叫んだ。
 そばで蟻田博士は眠れるロロとルルを見まもっていたが、とつぜん新田先生が声を出したので、後を向いて先生をにらみつけた。
「おい、静かにせんか」
 新田先生は顔をまっ青にして、興奮のためにふるえていた。
(わかる、わかる。火星人を、進化した動く植物だと仮定して考えると、これまでに疑問だったことが、大分うまく解ける!)
 蟻田博士は、火星人は動物でないと言った。だから植物であるというのは、答えになるではないか。
 それから又、そこの檻の中に病気で弱っている火星人ルルは、博士が日本アルプスの山中から掘出して来たという草の根を、くさりかけた体にぬって、たいへん気持がよくなったというが、この薬は動物にはきかないという。火星人は植物だからきいたのではないか。
 まだある! 火星人の残酷さだ!
 火星人は、情というものを全然知らないようである。情心《なさけごころ》は、動物だけにあるもので、植物にはないのだ。この前火星人丸木は、銀座で平気で、人殺しをやったではないか。
(火星人は、植物にきまった!)
 新田先生は、長い歎息をした。
(全く情心というものを持合わさない植物なればこそ、火星人は、あの通り残酷なんだ! ああ何という恐しいことであろう!)
 新田先生は、たいへんな結論を引っぱり出したものである。
 火星は植物の世界だ! 植物が、火星を治めているのである。ちょうど、人間が地球を治めているように! 植物がいばっている星! 植物が高い文化をもっている星! それが火星なのだ。
 新田先生は、火星へ行ったこともなければ、火星の世界をくわしく研究したわけでもなかった。しかし、火星の上で植物が万物を支配している世界を想像してみることは出来た。ああ、それは何という風がわりな興味のつきない、恐しい世界であることか!
(ゆだんはならない! 火星は植物が治めているし、わが地球は人間が治めているのだ。この二つのものは、とても手を握ってつきあっては行けないであろう。火星人は、火星兵団を送って、もはや働きかけているのだ。ゆだんはならない!)
 ゆだんはならない。――とは、佐々刑事が宇宙電話でもって、地球に住む者どもに対して警告して来たことだった。恐らく佐々刑事は、火星へ上陸するか何かして、火星人がむごたらしいことを平気でやるのに驚いたのであろう! あの心臓の強い佐々刑事が驚くとは、よほど目に余ったことが、火星の上で行われているに違いない。
「ああ大変なことになった!」
 と、新田先生は、むごたらしい火星人の幻影を両手で払いのけつつ、うめきごえを発したのであった。ああ、怪また怪!
 新田先生が、火星人のおそろしい正体について、推理をくみ立てている間、蟻田博士は、向こうを向いて、しきりに火星人の兄弟ロロとルルの寝顔を見まもっていた。
 ところが、その中に、博士もだんだんねむ気をもよおしたらしく、こっくり、こっくりと、いねむりを始めた。
「ああ、博士!」
 先生は、うしろから声をかけた。
 しかし博士の返事はなかった。そうしてあい変らず、こっくりこっくりと、いねむりをつづけるのであった。
(しょうがないなあ。ぜひ、博士に、私の推理を聞いてもらいたいのだが……そうして私の考えが正しい……火星人は植物から進化したおそるべき生物だと言ってもらいたいのだが、これはどうもしようがない)
 新田先生は、博士を起せば、博士はきっと、怒り出し、御きげんを損じてしまって、あとあとのために悪いことを知っていたので、博士をゆり起すことはさしひかえた。
 さて、こうして地底において、火星人兄弟も眠り、博士も眠っているところを見ていると、先生はだんだんへんな気持になって来るのであった。何だか、ここは東京ではなくて、火星国の中のような気がするのであった。
 その時、先生の頭に、ひらめいたことがあった。
 それは外でもない。博士のねむっている中に、さっき宇宙電話をかけて来た佐々刑事をよび出し、話をしてみたい、ということであった。佐々は、きっと地球人類のためになることを、話してくれるにちがいない。
「そうだ、それがいい。そうして今の中だ」
 先生は、宇宙電話機の前へしのびよった。そうして、高声機を、耳にかける受話機の方に切りかえ、その受話機を、大急ぎで耳にかけてスイッチをひねったのであった。
 さあ、果してうまく佐々の声が聞えるかどうか。
 新田先生は、スイッチをひねってから機械がはたらき出すまでの数秒間を、たいへん待ちわびた。
 ところが、受話機の中から、ついに佐々の声がしたのであった。
「……おい、聞いているか、日本人。こっちは、警視庁の佐々刑事だ。今、火星から宇宙電話をかけているのだ……」
 ああ、それはまちがいなく佐々刑事の声であった。
 先生は、これに対して、何とかこちらからも話しかけたいと思った。そう思って、機械を見ると、つごうのよいことに、マイクがちゃんとついているではないか。
(うん、これはしめた。マイクのスイッチを入れさえすれば、佐々刑事と話が出来るにちがいない!)
 新田先生は、今はもう博士に気がねをしている時ではないと思い、マイクのスイッチをひねった。そうしておいて、
「ああもしもし、佐々刑事さん」
 と、先生はあたりをは
前へ 次へ
全64ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング