じゃ。その手柄にめんじて、わしは、これまでのお前の罪を許して、もう一度、門下生として教えてやろう」
 博士は、横柄《おうへい》な口をきいた。
 蟻田博士のきげんが、大へんいいので、新田先生は、この時とばかり博士に聞いた。
「博士、モロー彗星が地球にぶつかる日が、いよいよ近づきましたが、どうにかして人類を助ける工夫はないでしょうか」
 博士は、ひげをふるわせ、新田先生の顔をじろりと睨み、
「助ける工夫はない。たとえ、助ける工夫があっても、今日のような、おろかな人間どもを助けることは無用だよ」
「そ、そんな、らんぼうな考えは、よくないと思います」
「わしは、今日の人類には、あいそがつきているのだ。そんな連中を助けてみたって、始らんではないか」
「博士、そんなことを言わないで、人類のために力を出してやって下さい。博士が本気になってやって下されば、モロー彗星衝突の惨禍から、かなりたくさんの人間が救われるのではないでしょうか。救われれば、どんなに心がけのわるい人間でも、心を入れかえるに違いありません」
「わしは、そんなことを信じない。助けを乞う時には、ちょっといい人間になるが、助けられてしまったあとは、またもとのように、だらしのない人間に戻ってしまう。ふだん自分勝手な、欲ばったことばかりをして、自分さえよければ、この地球がどうなってもいいなどと思っている、そんな心がけのよくない人間を、助けてみても一向つまらんよ」
 蟻田博士は、ずけずけと地球の人類をやっつける。先生も、これには、とりつくしまがなかった。
 そこで、話をかえて、
「博士、そこにいる火星人が、お帰りをまっていましたよ。何でも、体がわるいのだそうですね」
 と言うと、博士は、
「おお、そうじゃった。すぐさま、手あてをしてやらにゃ」
 と、檻の方へ近づいた。
「おお、かわいそうに。今すぐに、よくしてやるぞ」
 地球人類は大きらいという博士が、檻の中の火星人に対しては、たいへんやさしくするのは不思議であった。
 新田先生は、博士のすることを、じっと見まもっていた。
 博士は、鞄と小さな紙づつみとを持って、檻の中にはいった。二人の火星人はまるい頭をあげて、ひゅうひゅうぷくぷくと、喜びの声をあげた。
 博士は、奥の方に寝ていた火星人のそばによって、
「薬をやっと作って来た。何しろ火星の上とは違って、この地球の上には、なかなかいいのが見つからないのだ。わしは、日本アルプスの雪を掘りつづけて、やっとこれだけ取って来たのだ。ほら、この通り」
 博士は、小さい紙づつみを解いて、中から小さいガラスびんを取出した。びんの中には褐色の草の根のようなものが押しこんであった。そこで火星人は、また喜びの声をあげた。
 博士は鞄の中から小さなすり鉢を取出し、その中へ草の根を入れて、ごしごしとすった。すると褐色のねばねばした汁が、鉢の底にたまって来た。
 博士はその汁を筆の先につけ、苦しそうにあえいでいる病気の火星人の、手だか足だかわからないが、そのつけ根のところへ、ぬってやるのであった。
 火星人は、きいきいと声を立てた。
「どうじゃ、気持がよくなったろう。当分まあこれで、しんぼうしているんだ。もうあと、しばらくすれば、火星へつれて帰ってあげるから、元気を出しなさい」
 博士の言葉を、新田先生は、ふと聞きとがめた。博士はこの火星人をつれて、火星へ行くと言ったではないか。
「どうかね、薬をぬると、しみるかね」
 と、蟻田博士は、やさしく火星人にたずねた。地球の人間はきらいだが、火星人は好きであると見え、別人のように、やさしい声を出す博士であった。
「博士、だいぶんしみます。しかしわたしは、我慢していなければならないでしょう。そうでないと、いつまでも、もとの体になれませんからねえ」
 と、病気の火星人も、たいへん博士を信じて、たよっているらしいことが、その言葉つきからも、うかがわれた。
 そばでこの有様を見ていた新田先生は、全く不思議な気がした。
「博士、その薬は、よほどきく薬らしいですね。一体どういう病気にきく薬なのですか」
 と先生がたずねると、博士は、
「どういう病気といって、こういう病気にきくのだ。ほら、見ていたまえ。この通り火星人のくさりかかった体が、どんどんきれいに、なおっていく」
「なるほど、不思議ですなあ。そんなによくきく薬なら、わたしにも分けていただきたいですね。実は、わたしの……」
「だめだよ、新田君」
 と、博士が言った。
「この薬はね、君のような動物には、さっぱりきかないんだ」
「動物?」
 君のような動物と、博士に言われて、新田先生はむっとした。いくら弟子であると言っても、動物と呼ぶのはひどい。先生は、ここで蟻田博士の無礼をやっつけてやろうかとまで思いつめたが、しかし、今は重大な時である。ここで博士をおこらせてしまっては、人類のため大損である。先生は、一生けんめいにこらえたのだった。
 だが実は、博士は、悪気があって、先生を動物と呼んだのではなかったのだ。
 蟻田博士から、「動物」と呼ばれたことを、新田先生はいつまでも忘れることが出来なかった。が、それは博士から、「お前は動物だぞ!」と言われた時に腹が立ったという、それだけのことではなかった。それからずっと後になって、博士の言葉を、もう一度たいへんなおどろきと共に、思い出さなければならない大事件の日がやって来たからである。それはどんな大事件か、やがてわかる。
 博士は、病める火星人のために薬を塗終えた。
 火星人はたいへんに喜んだ。そうして全身をふるわせつつ、自分の体を博士の体にすりよせた。
「蟻田博士、ありがとう、ありがとう」
 よほど、うれしいらしい。
 博士は、にこにこ笑って、その病める火星人に、ゆっくり体を休ませるように言った。そうして、火星人が、そこに寝ると、その火星人の体の上に、きれをかけて暗くし、それから、どういうわけかその火星人の足を、水をいっぱい張った大きな洗面器のようなものの中に、つけさせたのであった。
 それを見ていた新田先生は、また不思議に思った。
「火星人の足を、水につけたりして、一体どうしたわけですか。おまじないなんですか」
 と、新田先生は尋ねた。
 すると博士は、首を左右に振って、
「いや、これはおまじないではない。こうすることによって、火星人はさらにいきいきとして来るのだ」
 と、博士は妙なことを言った。まるで、植物の根に水をあたえて、いきいきとさせるようなことを言った。
「え? 博士の言われることが、よくわかりませんが」
「わからないと言うのか。ふん、君にはそこまでわかるまい」


   43[#「43」は縦中横] 寄生藻《きせいも》


 蟻田博士の手当がうまくいったのか、病気の火星人は、その後すやすやと眠り出した。
 もう一人の仲間の火星人も、気づかれがしたものか、そのそばで大きな瞼を重そうにぱちぱちしていたが、これもまた、うつらうつらと眠りについてしまった。
 急にあたりは、しんとしてしまった。地底には、博士と新田先生とが、じっと向きあっていた。師と門下生とが、ひさかたぶりに水いらずで向きあっているのであった。博士の心はどうか知らないが、新田先生の胸中には、これまでのいろいろなことが思い出されて、いたいくらいだった。
 だが、先生はいつまでも、めめしくはなかった。地球の壊滅は、もう間近にせまっているのである。めめしく涙ぐんでいる時ではない。
「博士、この火星人たちは、どうしてここにいるのですか」
 と、先生は質問の矢を博士に向けて放った。
「ああ、この二人のことかね」
 博士は、長くのびて、額に落ちかかる白い髪をかき上げながら、先生の方を向いた。
「この二人は、ずっと前わしが火星に行った時、助けて連れて来てやった火星人なんだ」
「え? 博士は火星へ行かれたことがあるのですか」
 先生は、びっくりして尋ねた。
「おや、そのことはまだ話をしてなかったかね」
「それはうそです。博士は、人間の力では火星へ行けないと言われたことが、あったではありませんか」
 と、先生はつっこんだ。
「うむ、たしかにそれは言った。しかしそれは、一般の人間をさして言ったのじゃ。わしの力は人間以上だ!」
 と、蟻田博士は、いばって言った。
 人間以上!――という言葉には、二様の意味がある。わしは、すぐれた人間だというのか、それともわしは人間ではないぞというのか、どっちであろうか。
 新田先生には、そのどっちの意味か、わかりかねた。
 といって、まさか博士に、
(博士は、人間ではないのですか?)
 と、聞くわけにもいかない。だから先生は、この大きなうたがいを持ったまま、しばらく問題を先へ持ちこす外なかった。
「この二人を助けたとおっしゃったが、なぜ博士は助けられたのですか。一体この二人の素姓は何者ですか」
 と、先生は尋ねたのである。
「ああ、この二人の素姓かね。わしが助けた時は、二人とも子供だった。二人は、女王ラーラの子供なんだ。ラーラには、百人ばかりの子供があったが、今残っているのは、多分このロロとルルの二人だけだろうと思う」
 博士は、すこぶる奇妙な話をはじめた。先生は、博士がでたらめを言っているのではないかと思った。なぜかといって、そのラーラとかいう女王に、百人ばかりの子供があったという話であるが、そんなにたくさんの子供が生めるであろうか。
「博士、ほんとうですか、その話は。百人の子供を生むなんて、あまり不思議すぎますよ」
 博士は、仕方がないという顔で、首を左右にふった。
「ふん、お前にはそれが信じられないかも知れん。いや、むりもない。だが、それはほんとうのことなのだ。――その女王ラーラは、非常にすぐれた者じゃった。我々地球の生物のように、やさしい情ある心を持っていた。だから女王は、地球の人類と、たがいに手をとって、力になり合おうと考えた。それが、他の火星人どもの気に入らなかったのじゃ」
「火星国に、せっかく地球人類と手をにぎってやっていこうという女王ラーラが現れたのに、多くの火星人は大反対をして、とうとう女王を殺してしまった。女王だけではない。百人近い女王の子供たちも、ほとんど全部殺されてしまったのだ」
 と、蟻田博士の不思議な話は続く。
「ほう、ずいぶん残酷な話ですね」
「残酷は、元来、火星人の持って生まれた悪い性質なのだ。わしは、女王ラーラとその子供たちが死ぬところを見たが、いやもう気の毒なものじゃった。火星人は、女王たちを、森の中につくった大きな牢にぶちこんだ。その牢は、上から見ると、円形で、高い壁にかこまれ、そうして天井がなかった」
「ほほう」
「女王たちを、この天井のない牢にぶちこむと、火星人たちは、今度は水をそそぎ入れた」
「水の中に、おぼれさせるのですね」
「そうではない。水は、わずか十センチぐらいの浅いものだったが、その後で投げこんだものが、恐るべきものじゃ」
 と、博士は、その時のことを思い出してか、肩先をぶるぶるとふるわせた。
「何です、博士。そのおそるべきものと言いますと……」
 新田先生は、博士の答えをもどかしがった。
「それは、一種の藻じゃ。見たところは、たいしたことのない緑色の藻じゃが、その藻こそ、恐るべき繁殖力を持ったやつじゃ」
「繁殖力?」
「そうじゃ。つまり藻がふえるのじゃ。その藻は、水の中では大へんな勢いでふえるのじゃ。しかも、そばに他の生物がいると、それにとりつき、その生物の体から養分をすいとって、どんどん繁殖していくのじゃ。恐るべき寄生藻だ」
 と、蟻田博士は、そこでまた体をふるわせた。
「ああ、藻をつかって殺すなんて、始めて聞きました。火星の上には、とんでもない植物があるものですね」
 新田先生は、ため息をついた。蟻田博士の語り続ける女王ラーラと、その子供たちの最期ほど風がわりな、そうして気の毒なものは、ちょっと外になかろう。
 博士は、なおも語り続ける。
「――女王ラーラとその子供たちは、四日目には、その恐しい藻に包まれて、全く死んでしまったのだ」
「あ
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