とは?」
「つまり、博士はいい人だとか、悪い人だとかいうことです」
「さあ、そんなことは、うっかり言えないがねえ」
と、課長はつつしみ深い口ぶりで、
「ここだけの話だが、前には、蟻田博士は、おかしいと思っていたんです。しかし、こうして博士の予言通りに火星兵団が攻めて来た今日、私は博士はおかしいとばかり、きめてしまうわけにはいかんと思う」
大江山課長は、前のことを思い出しながら、しんみりと、ただ今の気持を先生に話した。
「じゃあ、蟻田博士が、とうとい大学者であることを、大江山さんはみとめたわけですね」
「まあまあ、それに近いと思って下さい。だが、我々は博士について、全く気を許してしまうわけにはいかないと思っている」
「え、気が許せないというのですか。それはまた、なぜです」
「それはつまり、これもここだけの話だが、蟻田博士は、火星のスパイではないかと、そんな気もするのだ」
大江山課長は、蟻田博士が火星人のことなどをよく知っているが、火星のスパイではないかと思うと言う。
それを聞いていた新田先生も、実は、自分の先生である蟻田博士が、いい人であるか、それとも悪い人であるか、はっきりわからなかったのである。博士の日頃の行いは、あまりにとっぴである。人間ばなれがしている。博士から、教えを受けていた昔のことを思い出してみるのに、博士は、ただもう学問のことに、いつも夢中であって、学問のためなら、その外のどんなことでも、捨ててしまうというたちであった。だから、学問のためなら、大江山課長がうたがっているように、或は、火星のスパイとなって、地球人類を陥れるかも知れないと、そんな風に思われて来るのだった。
(もし、博士が、ほんとうに火星のスパイを働いているとすると、これは許しておけないことである。これはどうしても、博士を探し出し、ほんとうの気持をたしかめてみる必要がある。何しろ、火星の学問をおさめている学者として、博士以上のえらい人はいないのだから、ぜひとも、博士が火星の味方をしないように説きふせなければならない)
と、新田先生は、ついに、はっきり自分の覚悟をきめたのだった。
「大江山さん。私は、これから行って、博士を探して来ます」
「何、博士を探しに行くというのですか」
課長は、びっくりした。
「そうです。すぐ出かけます」
「それは、我々にとってもありがたいことだが、新田さん、あなたには、博士がどこにいるか、わかっているのかね」
博士はどこにいるか?
もちろん、新田先生は、博士の居るところを、はっきり知らなかった。だが、先生は、あるところへ見当をつけていた。
40[#「40」は縦中横] 地底《ちてい》の声
行方不明の蟻田博士を探すために、新田先生は、ただ一人で出かけた。
この夜更、しかも火星人が人間狩をはじめていて、往来のあぶない時にもかかわらず、先生は、だんぜん出かけたのである。
大江山課長は、先生の強い決心を聞いて、ぜひとも警官を五、六人、連れて行くようにとすすめたのであるが、先生は、考えるところがあるから、一人で行くと言って、護衛の警官のついて来るのを断った。
さて、新田先生はどこへ行くのであろうか。
先生の足は、博士の研究所のあった麻布の高台へ向いた。夜の町を歩く先生は、度々、非常線にひっかかって、警官からきびしい取調を受けたが、その度に大江山課長から貰った通行証を差出して、そこを通して貰った。ついに、先生が博士の研究所跡にたどり着いたのは、真夜中の二時のことであった。
研究所跡!
あのりっぱな天文台の円い大きな屋根も今はない。あの日の大地震で、すっかり崩れてしまったのである。先生が勉強していた本館も、今は地上に崩れてしまって、石塊の間からは、雑草が芽を出していた。雲間をもれて来たうす明かるい月光が、蟻田博士の研究所跡を照らし出して、見るからに、はだ寒い荒涼たる風景の中に、新田先生は気もぼんやりして、たたずんだのである。
「ああ、これでは博士を見つけることなんか、思いもよらない!」
新田先生は、深いため息とともにつぶやいた。ひょっとしたら、研究所跡のどこかに、博士が小屋がけでもして、がんばっているのではないかと思ったが、見渡したところ崩れた跡はそのままであって、博士の住んでいる様子はどこにもなかったのである。
蟻田博士の天文台の崩れたあとに、月光は、ぼんやりと光をなげている。まるで墓場のような風景である。ただ一人そこにたたずんでいる新田先生の心には、言いあらわせないほど、いろいろの思いが、わいて来た。
博士は、どうしているのであろうか。
そうして、博士は一体いい人なのか悪い人なのか。そうして、また大江山課長の言うように、ほんとうに火星のスパイをはたらいているのであろうか。
博士の研究所は、このように、めちゃめちゃにくずれている。だから、博士はどこへ行ったことやらわからない。とにかく、こんなところに博士がとどまっていないことは、たしかであろう。
先生は、深夜にせっかくここまでやって来たが、こんなわけでかなり気を落した。こうなれば、どこか別のところを探しに行くより外に仕方がないと思った。が、しかし、何か博士の行方について、手がかりになるようなものが落ちていないかと、あたりを見まわした。
その時、先生の目にとまったものがある。
「おや、これは、後から掘りおこした穴のようだ」
先生の足もとには壁がくずれて、コンクリートの塊や木材が、ごたごたと折重なっていたが、そのコンクリートの塊の間に、人間がくぐれるくらいの穴があいていたのである。それは、ちょうどくずれおちた屋根の下になっていて、遠くから見たのでは、穴のあいていることがわからない。先生は俄に元気をとりもどした。
(ひょっとすると、この穴の中に誰かが、かくれているのではなかろうか)
そう思って、新田先生は、からだをかがめると、穴の中の様子をうかがった。
(おや、何だか、穴の中で、かすかに人のこえがするようだ)
先生は、耳をすました。
穴の中からもれて来る話声は、たいへんかすかであった。新田先生は、全身の注意力を耳にあつめて、それを聞きとろうとつとめた。
だが何を話しているのか、先生にはよく聞きとれなかった。ただ、その話声は、かなり深い地底から聞えてくるものであるらしく思えた。それにしても、不思議な話声ではある。
(どうも日本語ではないらしいぞ。一体誰が話をしているのであろうか)
先生は、二重の不思議にぶつかった。
穴の中へはいって行こうとは思ったが、中から聞えるのが、日本人の話声でないことがわかると、たいへん気味が悪くなって、はいる決心がつかなかった。
その時、新田先生は、ふと心の中に思い浮かべたことがあった。
(まさかとは思うが、あるいは……?)
と、持っていた変話機を耳にあててみたのである。すると、どうであろう、穴の中の話声が、たちまち日本語にかわったのである。
(あっ、やっぱりそうだった。中にいるのは火星人だったのだ!)
先生のおどろきは、たとえようのないくらい大きかった。くずれた蟻田博士邸の下に、火星人の話声がしている!
先生は、変話機をかたく、にぎりしめて、地下から聞えて来る話声を聞きとろうと、一生けんめいだ。
「……いやだなあ。これはいよいよくさって、落ちてしまうだろう」
「ふん、なるほど。だいぶんひどくなったねえ。何とか手当をしないといけない。博士は、このことを知っているのか」
「知っているよ。博士は、薬を作っているのだ。だが、それはいつになったら出来上るのか、見当がつかないんだ」
「困ったねえ」
地底からは、火星人の言葉で、そんなことを話し合っているのが聞える。
(火星人が、この穴の中に、かくれているのだ!)
新田先生は、大変な発見をしたのであった。そんなことがあろうとは、今の今まで夢にも考えていなかった。
しかし、不思議なのは、火星人の話である。それによると、二人の火星人の中の一人が、何か病気にかかっているらしい。それは、体のくさる病気のようである。博士が、その病気をなおすために、薬をつくっていると言う。博士というのは、たぶん蟻田博士のことであろう。
くわしいことはわからないが、博士がまだちゃんと生きていることと、そうしてこの附近に姿を現すことが、あきらかになったので、新田先生はますます元気を取りもどした。もう少し、しんぼうしておれば、蟻田博士にめぐりあうことが出来そうである。
(よし、では、中へ下りて行ってみよう)
先生は決心した。どういうわけで火星人がこんなところへはいり込んでいるのか、そのわけはわからないが、とにかくひとつ、あたってくだけろである。
先生は立上った。そうして、なるべく音のしないように気をつけながら、足を穴の中に入れた。
こわれたコンクリートや石塊やが、ごつごつとつき出ていて、その上に足をふみしめ、手でつかまりながら、下りて行くのであるから、なかなか大変なことだった。だが、豆電灯がついているので助った。
少し行くと、ちゃんとした階段のところへ出た。
(階段だ!)
その階段には、先生は見覚えがあった。上から下りて来て、急に右へまがる階段である。それは博士が秘密にしていたあの部屋の階段であったのだ。
(ほう、こんなところにつづいていたのか)
と、新田先生は、うれしいおどろきに、目をまるくした。階段の下には一体何がある?
地下階段のまん中に立って、新田先生は、ずっと前のことを思い出した。
それは、蟻田博士の留守の時、千二少年と二人して、この地下階段を下りて行ったことがあった。その時、この下で何だか、えたいの知れない生物を見たおぼえがある。
その時、一しょにいた千二少年は、今はここにいない。
どうなったであろう、千二少年は?
少年はこの前、この同じところで怪人丸木のため、さらわれてしまったのであった。どうしたのだろう。千二少年は? 無事で生きておればいいが、死んだのではなかろうか。もし千二少年にめぐり会えれば、火星兵団の秘密が、もっといろいろとわかって都合がいいことであろうに。
先生は階段のところでたたずんだまま、しばらく千二少年と一しょにここへ来た日の思出にふけって、胸がしめつけられるようであったが、やがて、ぽんと胸をたたき、
「いや、過ぎたことを、そんなにくよくよ考えていても、しかたがない。今は、地球の人間を救うため、そうして火星兵団の暴力に手向かうため、どんどん働かなければならないのだ。めめしいことを考えて、涙なんか出していてはならない時なのだ!」
先生は、自分の心を自分ではげました。そうして、覚悟をきめると、階段をしずかに下りて行った。
階段の下には何がある? 前に来た時と同じになっているのであろうか。
下りながら先生は、はっと気がついた。大変重大なことを忘れていたのである。
「これは、うっかりしていた。この地下室から聞えて来る話声は、怪人丸木の声ではなかろうか。それだったら、大変だ」
先生の足は階段の途中で、しぜんととまってしまった。
新田先生は、ふたたび自分の心を鞭打った。
(私は、もっとしっかりしなければならない。こうなれば、怪人丸木であろうが、誰であろうが、ぶつかってみるほか、みちはないのだ。我々地球人類の幸福のために!)
新田先生は、胸の中にそう叫ぶと、今度は決心もかたく、しずかではあるが、たしかな一歩一歩をふんで、地下へ下りていった。
階段は、右の方へまがっていることも、前と同じだった。下へ下りていくうちに、ぷうんと妙なにおいが先生の鼻を打った。それも、この前かいだのと同じにおいであった。
先生は、なおも下へ下りて行ったが、急にあかりがとどかない廊下へ出てしまった。
(これは足もとがあぶない!)
と思ったものだから、先生はポケットに入れて来た懐中電灯を取出そうと思って、そこに立ちどまった。
その時、先生の足もとが、ぐらぐらと動いた。
「あっ!」
と叫んだ時は、もうおそい。先生の体はかたむいて、がらがら
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