ばして、はや二、三日を送った。
 温泉のききめは早い。先生の体から、病後の疲れが見る見る去っていって、頬にもくれないの色がさして来た。
「ああ、ありがたいことだ」
 先生は浴槽から上って、手ぬぐいをぶらさげたまま、部屋に帰って来た。
 すると、その後からこの旅館の老主人弓形氏が、お茶とお菓子とを持ってはいって来た。
「温泉はいかがでございましたかな、新田先生」
「ああ、ありがとう。今日はまたかくべつないい入り心地でしたよ」
「それは、けっこうでした。まあお茶でも入れましょう」
 老主人は鉄びんの湯をきゅうすについで、手を膝においた。
「御主人に、この前からうかがおうと思っていたのですが……」
 と言いながら、新田先生は、ぬれ手ぬぐいを欄干にかけて、自分の席へ戻って来た。
「はあ、どのようなことで……」
「ゆうべも見えましたがね、温泉につかりながら、真暗な山を見上げていると、こっちの方向にある山の上の方に、ちろちろとうす赤い火が見えたり消えたりするんだが、あれは一体、何ですかね」
「はあ、あの火を、ごらんになったのかね」
 と弓形老人は、茶わんを盆の上において、新田先生の前に差出しながら、
「あの火は、わしらも何の火だろうかと、うわさし合っているのでがすよ」
 南の山の上に、ちろちろと見えたり消えたりする火! 先生が気にして、老人に尋ねると、老人も知らないと言う。
「昔から、あの火はあるのですか」
 と、新田先生は尋ねた。
 山の上の火のうわさ! 弓形老人の顔が少しこわばった。
「それが先生、わりあい、近頃のことでがすよ。昔は、あんな火は見えなかった」
「ああ、そう」
 新田先生は、うなずいて、
「あの火は一体何の火ですかね」
「さあ、それがどうも正体が知れないのでしてな」
 弓形老人は、首を左右にふった。
「この村の人で、誰もあの火のことは知らないのかなあ。ちょっと、気になる火じゃないですか」
「新田先生。あそこまでは、なかなかけわしくて、近づけないのでがすよ。第一、途中はこの間まで雪がふかくて、とても上れなかったんです」
「それで、あの火のところまで、行ってみた者がないというわけですね」
「この村の者じゃないが、一週間ほど前に、一人の男が、あの火のことをうわさしながら、上って行きましたがな。あの男はどうなったかしら」
「ほう、誰かあの火のところへ、出かけた者があるのですね。それはどこの者です。そうして、まだ山を下りて来ないのですか」
 新田先生は、ふかい雪をふみ分けて、あの火のそばへ上って行った者があると聞いて、たいへん興味ぶかいことに思った。
「それは、東京の人だと言っていましたがね。名前は、わしが聞いても、いや、いいんだと言って、言わないでがすよ。もっともその人はこの雪をふみ分けて、あの山を越え、向こう側の垂木《たるき》村へ下りて行くのだと言っていたから、こっちへは下りて来ないことになっていたんでがすよ」
「ほう、この雪の中を、山越しに垂木村へ下りるというんですか。そいつは風がわりな人だなあ」
 新田先生は、何だか、この人のことが気になって仕方がなかった。
 山の上に、ちろちろと、見えかくれする怪しい火に、新田先生は、たいへん興味をおぼえたので、その翌朝、先生は、掛矢温泉の老主人がとめるのも聞かず、一人山をのぼって行った。たいへんな元気であった。
 新田先生は、山のぼりについては、いささか経験があったから、ありあわせの綱を借りたり、杖をこしらえたり、また蝋燭などをもらい、一夜ぐらいはすごせるほどの食料品も用意して、出かけたのであった。
 山道は、かなりけわしかった。
 病後の新田先生には、なかなか骨の折れる山のぼりだった。だが、経験はえらいもので、しずかにのぼって行くうちに、おひるすぎには、もうその高い山のてっぺん近くまで、たどりついた。てっぺんに出れば、怪火の正体も、きっとわかるにちがいないのだった。
 山は、まだ冬のままのすがただった。雑草は、のこりの雪の下から枯れたまま、黄いろいかおを出していた。それでも、春はもう近くまで来ているものと見え、枯草のあいだに、背のひくい青草がまじっていた。
 けけけけっ。
 とつぜん、羽ばたきをして、新田先生のあたまのうえに、飛びあがったものがあった。なんであろうと、新田先生が、上を見あげると、それは一羽の大きな鳥であった。きじのようでもあったが、なんという鳥か、はっきりしない。その鳥は、春めいて来たので、岩穴から外へ出て、餌をひろいもとめていたところを、先生が、おどろかしたものであろうとおもった。
 その、名も知れぬ鳥は、空高く飛びあがると、あわてふためいて、峰つづきのとなりの山の方へ飛んで行ってしまった。
 先生は、その鳥の行方を、じっと見送っていたが、そのうちに、
「おや」と叫んだ。
 山のてっぺんは、すぐ上に見えている。新田先生が、今、「おや」と叫んだのは、そのてっぺんのしげみの間から、西瓜《すいか》のように丸いものが四つ五つ重なり合って、動いているのを、見つけたからであった。
「あれは何だろう?」
 先生は、すぐさま体を地に伏せた。それから、また、少しずつ前へ這って行った先生は、ちょうど、体をかくすのにつごうのいい岩かげを見つけ、ここへ滑りこんだ。そして、そっと首を出して、例の西瓜のようなものが、一体何であるか見きわめようとした。
 西瓜のようなものは、人の頭であることがわかった。しげみの上から、人の頭が行列して、向こうへ歩いて行くのであった。それはしばしば木のかげになって、見えなくなったり、そうかと思うと、また、ひょっくり岩角から現れたりしたが、結局、不思議な人間の行列であることだけは、はっきりした。
「どうも、へんなかっこうをした人間どもだ」
 始めは、木のしげみの上から、首だけを出していたその怪しい人間どもは、だんだんと峰伝いに奥の方へ歩いて行く。そうして、ようやく彼らの肩のへんが見え出し、やがて足のあたりまでも、見えるようになった。
 彼らの頭は、いずれも西瓜のように、丸味を持っていた。その西瓜のような頭の下には、ドラム缶のようにふくれた太い胴がついており、首は短くて、あるのかないのか、はっきりわからないくらいだ。
 奇怪なのは、彼らの手足であった。
 腕は、えもん竹のように張った肩の両端から、まるで竹箒をつったように、細いやつがぶらぶらしている。足といえば、これも竹のように細く、曲っており、へんなかっこうで歩いている。全体の色は、すこぶるあざやかなみどり色だった。
 一体、何者?


   29[#「29」は縦中横] ロボット


 峰伝いに遠ざかる怪人の群を、新田先生は岩かげから、ねっしんに見送っていた。
 気がつくと先生は、全身にびっしょり冷たい汗をかいていた。
「な、何者であろうか?」
 どうも、たいへんな怪物に出会ったものである。
 よもや、あれはほんとうの人間ではあるまい。人造人間とかロボットとか言って、人間の形をした機械があるが、そのロボットではないかと思った。
 それにしても、不思議なのは、こんな山の中に、ロボットがぶらぶら歩いていることである。ひょっとすると、軍隊がロボットをこの山の中で試験しているのではないかと思った。
 だが、ロボットでもないように思えるふしがあった。ロボットなら、歩調などは機械的に、ちょんちょんと正しくとるはずである。なぜなら、ロボットはたいてい、みんな電波などで動かされているわけだから、ちょうど電気時計と同じように、正しく動くはずである。
 しかるに、今新田先生が見かけた怪しい人間の群は、人間と同じように、みんなが一人ずつ勝手気ままに動いていた。大またに歩いている者もあるし、ちょこちょこ歩いている者もあった。また互に何か話をしているようなのもいた。肩を組合っていたものさえあった。機械で出来た魂のないロボットが、そんなことをするであろうか。いやいや、そんなことはしまい。
「どうも、あいつらは、ロボットでもないらしい」
 ロボットでなければ、一体彼らは何者であろうか。
 新田先生は、小首をかしげた。
「……もしかすると、あいつらは、火星からやって来た生物ではあるまいか」
 火星の生物?
 新田先生は、そう考えて、はっと胸をおどらせた。
 火星の生物は、この前千葉の湖畔へやって来たようである。千二少年の話によると、胴が太っていて手足が細くて、丸い頭があるというから、今見た怪物によく似ている。
「ふん、これは、たいへんなものを見つけたものだ」
 先生はうなった。
 これはいよいよ火星の生物どもに違いない。先生は怪物の後を追いかけることにした。
 怪物たちは、いつしか隣の山の上に姿を消してしまった。山の向こうへ下りて行ったか、あるいはそのへんに、穴でもあるのではなかろうか。先生はわざと道を遠廻りして、けわしい山の傾斜をそろそろと上り始めた。先生の指先はやぶれて、血が流れ出した。
 小一時間もかかって、先生はやっと山の上に上りついた。
「さあ、このへんに違いないのだが……」
 先生はあたりに気をくばりながら、そっと岩かげから顔を出した。
「ほう、あった! あれだ!」
 先生は、思わずおどろきの声を上げた。
 何があったか? 先生の目にはいったのは、大きなドラム缶のようなものが、山の向こう側の斜面に、つっ立っているのであった。まるで小さな塔をそこに建てたような、かっこうであった。
「ああ、あれに違いない。千二君が言っていた火星のボートというのは、多分あれと同じものだろう」
 何という奇妙な形をしたものであろうか。その大きな円筒は、表面がへんに焼け焦げたようになって、そうしてちかちかと、薄い光がさしていた。
 この人跡《じんせき》まれな山中に、火星の宇宙ボートが着いている。
 新田先生の驚きは大きかった。
 火星の生物は、この山中に宇宙ボートを着けて、一体何をやるつもりなのであろうか。
「早く、このことを知らせなければ、たいへんなことになる!」
 と、新田先生はいらいらして来た。
 では、このまますぐ山を下ろうか。
(いや、このまま山を下ったのでは、物足りない。火星の生物は、まだ自分が近くにいることを知らないだろうから、もっと彼らに近づき、彼らの様子を、もっと調べたうえで、山を下ることにしたい)
 新田先生は病後の体ではあるが、この一大発見をして、ここで自分は、もっとがんばらなければ、日本国民――いや、世界人類のために申しわけないと考えた。
 そこで先生はかたく決心をすると、またしげみの中を、そろそろと前進して行った。何とかして、目の下に見えるあの火星のボートまで、行ってみようというのである。
 先生は、しげみの中を巧みにくぐりぬけ、ある時は岩かげを利用して、だんだんと火星のボートに近づいて行った。
 気味の悪いボートは、だんだん大きくなって来た。実に、いやな気持のする色である。地球の人類ではないものが作っただけのことはある。小さい窓みたいなものが、見えて来た。穴みたいなものがあった。そこからは、うす赤い煙のようなものが、すうっと出ていた。しかし火星人の姿はもう見えなかった。みんな、どこにはいってしまったのであろうか。
 だが、火星人の姿が見えないのを幸いに、新田先生は、誰にもとがめられずに、ずんずん近づくことが出来た。そうしてとうとう火星の宇宙ボートの側までやって来た。
 ボートを見上げて、新田先生は、そのボートの高さが、三階建の家ぐらいあるのに、今さらのように驚いた。
 新田先生は火星の宇宙ボートのまわりを、そっと廻って見た。
 先生は今初めて、目のあたりに火星の宇宙ボートを見るのであった。それは全く不思議な乗物だった。だが、いつ、火星人たちに襲われるか知れないので、先生は、あまりゆっくり見ていることが出来なかった。
 ほんの僅かの間、きょろきょろと見廻しただけのことだったけれど、先生は、これは確かに火星の宇宙ボートであるに違いないと思った。そのわけは、火星のボートの外壁を見ても、それは地球の人類が作るなら、かならず鉄
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