はどこへにげたらいいであろうか。またどうしたらにげられるであろうか。
このことについて、世界中で一番さわいでいるのは、イギリスとドイツとだった。
イギリスでは、例の王立天文学会長リーズ卿が、昨年の暮になって、『いかにしてわが人類は、生命を全うすべきか』という題のもとに、放送局から全世界へよびかけた。その時、リーズ卿は、こんな風に言った。
「わが王立天文学会へ、皆さんがいろいろな避難方法を書いて送って下さったことを、予はふかく感謝するものです。我々の学会では、学者たちにこれを示して、どの方法がいいか、どの方法がすぐにも出来るか、ということについて調べてみました。しかし、ざんねんながら、どれもみな出来そうもないものばかりでありました。
たとえば、モロー彗星と衝突する前に、地球の反対側から軽気球に乗って、空中へのがれるのがいいという案がありました。そうして、モロー彗星が衝突するのを空中で避け、衝突が終ったら、しずかに元の地球へもどればいいではないかというのです。なるほど、これはちょっと聞くと名案でありますが、ほんとうは、全く出来ない相談であります。
なぜかと言うと、モロー彗星が地球に衝突すれば、地球は多分こなごなになって、宇宙に飛びちるものと思われます。すると、その破片は、避難者の乗った気球のガス嚢《ぶくろ》をそのままにはしておかないでしょう。つまり、地球の破片は、ガス嚢を破りますから、それに乗っていた人たちは、空間にほうりだされるでしょう。そうして……」
リーズ卿の放送は、さらに続く。
「……そうして、その気球に乗っていた者はともに焼かれてしまうか、たとえ焼かれなくて助かっても、地球がなくなってしまうのだから、下りる場所がない。だから、この方法はむだである」
「結局、予等が考えた一番よい方法というのは、モロー彗星に衝突する前に、我々人類は地球からはなれて、地球の代りに住める場所を新たに見つけて、そこへ移り住まなければならない。これがために、我々はさしあたり、二つの大きな仕事をしなければならぬ」
「その第一は、我々は宇宙を旅行するロケットのような、りっぱな乗物をたくさん作らなければならない。第二には、地球の代りに新たに我々人類が住むことが出来る場所を発見しなければならない」
「第一の、宇宙旅行用の乗物は、幸いにも我がイギリスにおいては、前からかなり研究をしてあったので、相当りっぱなものを作ることが出来る見込である。そうして現に今も、たくさんのロケットが盛に作られている」
「第二の、我々は新たに住むべきところを、どこに発見すればいいかという問題は、なかなかむずかしい問題である。世界の多くの天文の知識のある人々は、誰しもそれは火星がいいというであろう。予等の考えも火星を最もよい移住星だと思っている。火星よりも工合のよさそうなところは他にないと思う。なぜなら、火星には、人間の呼吸に必要な空気がわりあい量は少いけれども、とにかく空気があることがわかっている。水があることもたしかめられているし、かなりおびただしい植物が茂っていることさえわかっている。また地球からの遠さも、他の星に比べると、まあ近い方である。こういう諸点から考えて、火星は一番いい移住先ではあるが、また心配なことがないでもない」
リーズ卿はちょっと言葉を切った。
「火星へ移住することは、一番都合がよいように思われるが、一方において、心配がある。その心配とは、何かというのに、それは、火星の空気が、大変うすいことが、その第一である。空気がうすいから、肺の弱いものは、生きていられないであろうと思う。もっとも酸素吸入をやればいいことはわかっているが、火星へ着いてから、果して我々たくさんの人間全部が、酸素吸入が出来るほどの大設備がつくれるであろうか」
「第二の心配というのは、火星の生物と、果して仲よく暮していけるかどうかということである。火星には、多分生物がいる。それは、火星に空気があることや、植物地帯らしいものがうかがわれることや、それからまた我々は時々、火星人らしいものから無電信号を受取ることから考えても、まず、火星に生物がいることはうたがいないと思う。その火星人と果して仲よくつきあっていけるかどうか。これはなかなか心配なことである」
「我々の仲間には、火星人がきっと我々地球人類を、いじめるにちがいないと言っている者もある。それだから、我々が火星へ移住するためには、まず火星人とたたかわなければならない。つまり敵前上陸をやるつもりでなければ、この事は失敗に終ると言っている。しかし我々は、このようなことを言う仲間を大いに叱ってやる必要がある。すべては愛情でいきたいものである。敵前上陸とか、火星人征伐とか、そのようなおよそ火星人の気持を悪くするような言葉は、つつしまなければならないと思う。話は、わき道にそれたが、このことだけは、くれぐれも賢い諸君にお守り願わねばならぬ」
そう言って、リーズ卿はそこで深いため息をついたのだった。
リーズ卿は、蟻田博士ほど火星の生物について、ふかいことは知らないような放送ぶりであった。果して卿は知らないのであるか、または知っていても言わないのか、そこはまだよくわからない。
蟻田博士が、リーズ卿の放送を聞いたら、どんな感想を持つであろうか。ざんねんながら、蟻田博士の行方は知れないのであった。くわしく言えば、昨年の東京地方の大地震以来、どこかへ行ってしまったのか、それともまた、どこかの軒下で押しつぶされたのか、とにかく博士の消息はさっぱり聞かないのであった。
リーズ卿の放送は、実は、まだもっと先があったのである。
「とにかく、この二つの心配――つまり、火星の空気がうすいことと、火星人と仲よく助けあって住んでいられるかどうかということ――この二つの心配が、火星移住をきめるについて、暗い影を投げる」
「その外、食物の問題もあるが、これは何とか解決がつくだろう。火星の上に空気があり植物があることがわかっているのだから、我々人間に食べられる野菜みたいなものがあってもいいはずだと思う」
「それからまた、火星の上は、夜はたいへん寒く、一日中の気温のかわり方も、たいへんはげしいから、我々人間がそれにたえることが出来るかどうかという心配もあるが、これは防寒具を持って行けば、何とかなるだろうと思う」
「また、火星へ移住するためのロケットは、つくり上げたものが、もうかなりわがイギリス国内にもあるし、諸外国もそれぞれ工場を大動員して、たくさんのロケットがつくられているはずであるから、モロー彗星と衝突する日までには、相当たくさんのロケットが、世界各地に備えつけられることになろう。この点についても、諸君は心をしずかにしていていいと思う」
卿の言葉は、なかなかつきなかった。
リーズ卿の放送には、世界各国の人たちが、水をうったように、耳をすまして聞入っていた。モロー彗星との衝突は、もはやさけることが出来ない今日、我々人類は、どうしてその後の生命を全うすることが出来るか。それは誰もの、ぜひ知りたいところであった。
卿の放送は、いよいよおしまいに近づいたようである。
「つまり、ひっくるめて言うと、モロー彗星の衝突によって起る惨害から救われるためには、誰しも考えつくのは、火星への移住である。しかし火星へ移住することは、二つの心配があって、一つは空気がうすいこと、もう一つは、火星人が、我々地球人類を、こころよく迎えてくれるかどうか、この二つのことがたいへん心配である。
どうか、諸君は、くれぐれもこのことを忘れてはならない。世界各国の政府は、この二つの心配に対し、本気になって考えておかねばならない。移住に際し、火星人を、みな殺しにしてしまえなどという、あらい言葉をつつしむように。きびしい言葉で言えば、我々の一人たりとも、火星人をおこらせてはならないのだ。火星人が気持を悪くするような言葉を、はいてはならないのだ。つつしみのないたった一人の失敗のために、我々全人類が、火星人から、ひどい目にあうとすれば、ばかばかしいことだ。とにかく、そういう不穏な人間が出た時は、政府はすぐ彼を、銃殺にしてしまうのがいいだろう。予のもっとも気にかかることは、これである」
リーズ卿の放送は、そんなところで終った。
卿の講演放送によって、世界各国は、またさわがしくなった。火星への移住の用意は、うまく出来ているか。ロケットの数は十分にあるか。自分の乗る座席は第何号かなどと……。
しかし中には、卿の放送に対し、悪口を言う者もあった。
28[#「28」は縦中横] 山の上の火
長い間、傷のため病床に寝ていた新田先生が、ようやく退院することとなった。
三月といえば、いつもの年ならまだ春に遠く、ひえびえとした大気を感じるのが、あたりまえであったが、その年はどうしたものか、日暦が三月にかわると急にぽかぽかと暖くなって、まるで四月なかばの陽気となった。
めずらしい暖さだ。それもモロー彗星が近づいたせいだとあって、人々は、夕暮間もなく、西の地平線の上に、うすぼんやりとあやしい光の尾を引くモロー彗星のすがたを、気味わるく、そうして、また恐しく眺めつくすのであった。
新田先生は、退院の後、すぐさま甲州の山奥の、掛矢温泉へ向かった。
掛矢温泉といっても、知らない人が多いであろう。ここは温泉と言っても、宿は掛矢旅館がたった一軒しかない。その掛矢旅館も、たいへんむさくるしい物置のような宿であって、客の数も、いたって少い。附近に地獄沢というところがあって、そこは地中からくさいガスがぷうぷうとふきだしていて、一キロメートル四方ばかりは草も木もなく、ただ一面に、灰色の石ころの原になっていた。掛矢温泉に湧出る湯も、実はこの地獄沢からぷうぷうふきだしているガスによって、地中で温められている地下水だった。
新田先生は、この温泉に落着いた。
このように、掛矢温泉がさびれているわけは、地下から湧出している温泉が、時々ぴたりととまって、温泉がお休になるせいであった。そのお休も、一日や二日のことではなく、時には半年も一年もとまっていることがある。それでは客が行くはずがない。新田先生は、学生時代ここへ時々行ったことを思い出し、今度も病後の体をこの湯で温めようと思って足を向けたのだ。
掛矢旅館を、ひょっくりとおとずれた新田先生は、そこの主人の弓形《ゆがた》老人から、たいへん歓迎を受けた。
「ああ、新田さんだね。いい時においでなすった。長いこととまっていたうちの温泉が、一昨日《おととい》からまたふきだしたんでがすよ。これがもう三日も早ければ、せっかくおいでなすっても、お断りせにゃならないところじゃった」
「ああ、そうかね。僕は運がよかったというわけだね」
先生は、笑いながら、勝手をよく知った上にあがった。
弓形老人は大喜びで、新田先生をいろいろともてなしたが、先生が長い間、病気に倒れていたと聞いて、たいへん驚いた。
「そうけえ、そうけえ。まあなおって、ようがした。体が元のようになるまで、ゆっくりうちの湯につかって行きなせえ」
老主人は、いつに変らぬ親切を、新田先生に向けたことであった。
その親切が、新田先生の心を、かえっていたませた。これがいつもであれば、すっかり腰を落着け、のうのうとした気分で、湯につかっておられるのであったが、今度はそうはいかない。モロー彗星は、あと一箇月で地球に衝突してしまうのだ。この掛矢旅館ののんびりした気分も、三方を高い山に囲まれたもの静かな風景も、あと僅かでおしまいになるのだ。そう思うと、先生の心はかえって、暗くなる。老主人弓形氏は、モロー彗星のことなど、まだ何も知らないようである。この大地がくずれて、天空にふきとんでしまう最後まで、この人のいい老主人は、何も知らないで人生を終えるのではないか。
(これは何とかしなければならぬ!)
新田先生の同胞への限りない愛の心が、先生の血を湧きたたせる。
春なおあさい掛矢温泉の岩にかこまれた浴槽の中に、新田先生は体をのびのびと伸
前へ
次へ
全64ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング