音だった。そのひびきで壁の柱時計がごうんと鳴ったほどであった。だが、怪人はまだまいらない。
 千二は、マントの下で、足をばたばたさせている。新田先生はそれを見ると、またもう一度、丸木の胸にぶっつかって行った。
 すると、丸木の腕がマントの下からぬうっと出たが。……
 三度目の新田先生のもうれつな突っぱりに、さすがの怪人丸木もややひるんだものと見え、それまではうごかさなかった左腕を、マントの下からぬうっと出したが、これを見ておどろいたのは、先生だった。
「あっ、首!」
 怪人の腕のさきに、一箇の首が生えていた。――いや、怪人はマントの下で、左手に自分の首を提げていたのであるが、新田先生のはげしい突っぱりによわったものと見え、マントの下から左手を出したとたんに、提げていたその首があらわれたのであった。
 何をするのか怪人!
 彼は、自分の首を持上げると、とつぜん自分の胴にすえた。――これで、今まで首のない怪人に、はじめて、首が生えたのであった。
「おお、きさま!」
 新田先生は、丸木の顔をにらみつけた。
 怪人丸木は、低くうなりながら、左手でしきりに首をおさえている。
 それは、どうやら一たんはずれた首を、胴の上に取附けようと、一生けんめいにつとめているものらしかった。
 人間が、首をおとして生きていることも、不思議きわまる話であるが、一たん下におちた首を、もとのところへ取附けようとするのも、へんな話であった。
 読者は、こんなばかばかしい話に、あきれられたことと思う。まったくのところ新田先生も、この有様を見て、あきれきっているのである。
 だが、これはまだ説明してない、一つの秘密があるのだ。それが何であるかは、まだ話をする時期になっていない。その秘密は一体どんなことであるか。当分読者のみなさんにおあずけしておく。
 さて、新田先生は、この時、すてきな機会をつかんだ。
「待て、新田先生」
 とつぜん、丸木が叫んだ。丸木がはじめて声を出したのである。
 先生はおどろいた。
 首のない怪物が、ひょいと首をのせたかと思うと、とたんに大きな声を出したのにもおどろいたが、いきなり自分の名を呼ばれたのには、とてもびっくりした。
 どうして、そんな魔法のようなことが出来るのであろうか。とっさの出来事で、先生にはそれがどういうわけだか、一向わからなかった。
「何だ、降参するか」
 先生は、負けないで大きな声でやりかえした。
「誰が降参すると言った。先生こそ、おとなしくしないと、いのちがないぞ」
「ばかを言うな。誰が降参するものか」
 と、新田先生は、またはげしくつっかかって行った。
「おい、待てというのに、話がある!」
「話? 何の話だ。それより先に、その少年を放せ」
「いや、放さん」
「じゃあ、たたかうばかりだ。この怪物め!」
 先生は、もうれつに相手の体にぶっつかった。
 怪物は、肩から落ちそうな首を、上からちょいとおさえて、身をひるがえした。
「おい待て。そんなに、らんぼうをすると、僕は……」
 と、怪物は、少しひるんだような声を出した。
 先生は、怪物の胴にしっかりとだきついた。
 その時、不思議なことに、怪物の胸もとあたりから、妙ないきづかいが聞え、先生をおどろかした。
「おや、へんだなあ。この怪物は、ふところに、何か入れているかしら」
 新田先生は、怪物の胴にしがみついて、はなれない。
「こら、放せ。放さんと、いのちがないぞ」
 怪物の声が、先生のあたまの上から、きみわるくひびく。しかし先生は、千二少年を助けたい一心で、もう死にものぐるいでしがみついている。先生の顔は朱盆のようにまっ赤だ。
 先生は、怪物を床にたたきつけてやろうと思って、えいやえいやと腰をひねったが、この怪物の力の強いことといったら、話にならない。
 そのうちに、怪物が急にだまりこんだ。と思ったら、新田先生は、頭にはげしく一撃をくらった。あまりはげしくなぐられたので、先生は、頭がわれてしまったかと思った。
「うぬ、負けるものか」
 先生は、がんばった。
 だが、それにつづいて、また第二の一撃がやって来た。それは、前よりもさらに強い一撃だった。さすがの先生も、
「あっ!」
 と言って、両手で頭をおさえた。そうして大きなひびきを上げて床の上にたおれてしまった。
 怪物丸木は、妙な声をあげた。それは、うれしそうに笑っているようなひびきをもっていた。
 千二は、おどろきのあまり、さっきから失神したまま、丸木の手にかかえられていた。
 丸木は、つかつかと先生のたおれているそばへやって来た。そうして腰をかがめて、先生の様子をうかがった。
 先生が、曲げていた腕を、ぐっと伸ばした。
「ふん、まだ生きているな」
 丸木は、そう言うと、片足をあげ、新田先生の鮮血りんりたる頭を、けとばすようなかっこうをした。そんなことをされれば、先生は、ほんとうに死んでしまう。
 あわれ新田先生も、ついに怪物丸木のために、け殺されるかと思われた。そんなことがあれば、千二のなげきは、どんなに大きいだろうか。
 重傷を受けて、床上に苦しむ先生を、何とかして助ける工夫はあるまいか。
 ちょうど、その時であった。蟻田博士の秘密室の扉が、ばたんとあいた。
「待て、曲者《くせもの》!」
 と、大ごえをあげて、室内へ飛込んで来た者があった。
 丸木は、ぎょっとしたようであった。
 入口の方へふりむくと、そこへかけこんで来たのは、佐々刑事と、もう一人は制服の警官だった。
「おう、手荒いことをやったな」
 と、新田先生の倒れている姿をみとめ、丸木の正面にまわり、
「おや、お前は例の崖下で見た、首のない化物だな。いいところでお目にかかった。おい君、綱をつかって、こいつをふんじばってしまおう」
 と、連《つれ》の警官に目くばせした。
 丸木は、うーう、うーうとうなっている。新田先生一人さえ、かなりもてあましぎみだったのに、今度は二人の新手《あらて》が飛出した。ことに佐々刑事とは、この前、崖下で組打をやり、その時首を落されてしまったのである。これはわるいところへ、にが手がやって来たものと、丸木はちょっと困っているらしい様子が見える。
「おお、静かにしろ。出来なければ、これをくらえ」
 佐々刑事は、綱を輪にして、ぴゅうっと、丸木の肩へうまくすっぽりとひっかけた。そこへ、また連の警官が、もう一本の綱をひっかけたので、両方からひっぱられて、丸木の腰はぐらぐらになった。が、彼も怪物である。また首を肩の上にのせると、獣のように、うおっと吠えた。
 怪物丸木と、佐々組の二人との決闘であった。
 丸木は、胴中を佐々刑事たちの二本の綱で、ぎゅうぎゅうとしめられながら、決してそれでまいる様子はなかった。彼は、獣のようなこえを出すと、千二少年を隅へほうり出した後、部屋のまん中へとびだして、あばれだした。
 たいへんなあばれ方である。丸木もほんとうに死にものぐるいらしい。
「こら、しずかにせんか。あとで、ほえづらをかくなよ」
「ううーっ」
 丸木が、体を一ふりすると、佐々と警官とは、綱を持ったまま、よろよろと前につんのめりそうになった。しかし、すかさず、また綱の端を、丸木の片足にかけて、えいやと引いたから、丸木は、ついに床の上に、どしんと転がった。首は、手からはなれて、壁にぶつかった。
「しめた!」
 佐々は、連の警官に目くばせして、起きあがろうとする丸木の上から、どうんと、とびついた。
 それから先が、たいへんなことになった。丸木は二人力も三人力もあるとみえ、なかなかひるまなかった。三人は、上になり下になり、蟻田博士の秘密室に、ほこりをたてた。勝負は、なかなかつかない。
 その組打のまっ最中に、とつぜん思いがけない一大|椿事《ちんじ》がもちあがった。
 それは、どうんという地響《じひびき》とともに、にわかに床が、ぐっと上にもちあがると、たちまち部屋は、嵐の中に漂う小舟のように、ゆらゆらと、大ゆれにゆれはじめたのであった。
 地震? 地震なら、よほどの大地震であった! 壁は、めりめりと大音響をあげて、斜に裂けだした。柱がたおれる。天井がおちて来る。あっという間に、五人の者は、倒壊した建物の下敷になって、姿は見えなくなった。
 思いがけない大異変であった。五人の運命はどうなったか?

 思いもよらない大地震に、蟻田博士の建物は、がらがらと崩れてしまった。
 その下になった人々は、一体どうなったであろうか。真夜中のこととて、さわぎはなかなか大きかった。
 もし、元気な佐々刑事が、運よく外にはい出さなかったとしたら、他の人たちは、どんなことになったか知れない。
 暁近くなって、ようやく崩れたあとを掘りかえしはじめたが、最初に見つかったのは、佐々の連《つれ》の警官の死体であった。いたましくも、彼は殉職してしまったのである。
 佐々は作業隊をはげまして、さらに、発掘をつづけた。すると、今度は、折重なった柱の下から、新田先生が出て来た。
「おお、新田先生。しっかりしなくちゃだめですよ」
 佐々は声をかけた。新田先生は、まっ青な顔をして、ものも言わなかったけれど、生きている証拠には、かすかに瞼《まぶた》をうごかした。
 助け出された先生は、かなりの重体であった。ことに、丸木のために頭に加えられたうち傷はかなり深く、それに時間もたちすぎているので、その経過があやぶまれた。それで、救護班の手によって、大いそぎで病院に送られて行った。
 何しろ東京全市も大混乱しているので、新田先生の手当も、早くしなければならぬのに、だんだんおくれて、その結果新田先生は、それから数箇月後までも、病床に横たわらなければならなかったのである。
 とけない謎は、怪人丸木と千二少年の行方であった。二人の体は、棟木の下に見つからなかった。どうやら二人は、命が助かったものらしい。そうして千二は、丸木のために連去られたものと思われた。そうして二人は、消息をたってしまった。
 その年は、混乱の中にあわただしく暮れ、新しい年が来た。


   27[#「27」は縦中横] 大警告《だいけいこく》


 元の体になるかどうか、あやぶまれた新田先生の傷も、年があらたまるとともに、不思議によくなって行った。
 先生が、怪人丸木のため頭部に受けた深い傷は、先生をながい間気が変になった人にしておいた。ところが、このごろになって先生は、ようやくあたりまえの人にかえり、看護婦たちと、やさしいお話なら出来るようになった。
 しかし、新田先生が、ほんとうに以前の元気な体になるのは、まだ一箇月の先のことであろうと思われた。
 先生が、病院のベッドの上に寝ているあいだに、世の中は、たいへんかわった。
 東京地方をおそった例の強い地震は、大正十二年の震災ほど大きな災害を与えはしなかったが、それでも東京市だけで言っても、市の古い建物はかなり崩れ、また火事が十数箇所から出て、中にはたいへん広がったところもあったが、多くは、日頃訓練のとれている警防団や、隣組などの働きで、余り大きくならないうちに消しとめられた。一番被害の大きかったのは、水道と電気であった。これは、元のように直るのには、約三箇月もかかった。
 どちらかというと、東京地方の震災は、それほどさわがれなかった。それは震災の程度が軽かったというのではなく、その時別に、もっとたいへんな、しんぱいになる事件があったのである。それは外でもない、モロー彗星が、いよいよ地球の近くに迫ったことであった。
 東京だけではない、日本国中は、その日に対する準備のため、上を下への大さわぎであった。工場という工場は、昼と夜との交替制で、たくさんの技術者を使って、宇宙旅行に使うロケットの製造に目のまわるような、いそがしさであった。
 日本だけではない。ドイツもイタリヤも、イギリスも、アメリカも、ロシヤも、フランスも、それから満洲も、中国も、大さわぎである。
 足の下に踏みつけている地球が、こなごなにこわれてなくなるのだというから、これほど恐しいことは外にない。
 一体、地球の上の人類
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