ていたのであった。
 新田先生は、しずかに、柱時計の下から体を動かして、壁にそって、千二のところまで、ぐるっとまわって来た。
「どうだ、千二君。さぞ驚いたろうね」
 新田先生は、千二が、どんなにびっくりしたかと、それが心配になって、やさしくそばへ近よったのであった。
「ああ、先生。僕、大丈夫です。けれども、あまり思いがけないことが起ったので、はじめは胸がどきどきしました」
「そうだろうね。あの柱時計が、たいへんな仕掛になっていたのだ。とうとう床がひらいたよ。博士は、なかなか用心ぶかい」
「先生、床の下には、何があるんでしょうか」
「さあ、何があるか、先生には、まだよくわからない。とにかく、下をのぞいてみよう。千二君、君はついて来るかね。それとも、ここに待っているかね」
 先生は、千二の気持をたずねた。
「先生、僕は、先生の、おいでになるところなら、どこへでも、ついて行きますよ。つれて行って下さい」
「行くかね。そうか。大丈夫かね」
「先生。僕は、もう火星の化物でも何でも、恐しいなんて思いません。どこまでも戦うつもりです」
 たしかに、千二少年は、昔の千二少年とはちがって、強くなったようだ。
 火星のボートにつれこまれたり、怪人丸木にいじめられたりしている間に、彼は、だんだん勇気が出て来たのだ。そうして、世の中をさわがす怪しい物の正体を、どこまでもつきとめたいという気持で、はりきっていた。
 ことに、自分の先生である新田先生が、わざわざ学校をやすんで、千二のことを心配して、一生けんめいにやっていてくださることを知った時、千二は、自分もまた先生の親切にむくいるため、しっかりしなければいけないと、決心したのであった。
「先生、じゃあ、勇敢に、床下の様子を、さぐって見ましょう」
「ほう、千二君。ばかに元気だなあ」
 と、新田先生は、感心の言葉を洩らして、
「だが、もうそのうちにへ蟻田博士が、かえって来そうだから、早いところ、床下を探検して見よう。なるべく、足音を忍ばせ、先生のうしろについておいで」
 新田先生は、千二の肩に手をおいて、はげますように言った。
 さあ、柱時計の暗号鍵によって開かれた床下には、一体何が秘められているのであろうか。
 二つに左右に割れた床の穴に近づいて、下をのぞくと、そこには古びた木製の階段がついていた。懐中電灯をつけて、その階段の下の方を照らして見たが、光がよわくて、よく見定めることが出来なかったが、とにかく階段は、かなりはるか下までつづいているようだった。
 先生は、先になって、その階段を踏み、しずかに下りはじめた。古びた木製の階段は、ぎちぎちと音を立てた。
 この階段は、大きな煙突の中に仕掛けてあるようなかっこうをしていて、まわりは、厚い壁でとりかこまれていた。だから、ちょっと靴の先が階段の板にぶつかると、とても大きな反響がした。


   22[#「22」は縦中横] 怪動物


 真暗な階段を、新田先生と千二少年とは、足音をしのばせつつ下りていく。
 その階段は、なかなか長くつづいていた。まるで、ふかい井戸の中にはいっていくような気がした。千二少年は、あまりいい気持ではなかった。
 先に立って、懐中電灯を光らせていた新田先生が、この時、ふと足をとめた。
(おや先生が、立止った!)
 と、千二は、すぐ、それに気がついた。
 その時、先生の手が、千二の肩を、静かにおさえた。
(動いてはいけない。静かに!)
 と、先生の手は、言っているようだった。
 千二は、もちろん、動かなかった。そうして、これは何事かがあるのだと思ったので、耳をすまして、先生の合図をまった。
「おい、千二君。君には、聞えないかね」
 新田先生が、千二の耳もとに口をつけて言った。この井戸の中のような階段にはいって後、始めてのことばである。
「えっ、聞えないか――とは、一体何が?」
 千二は、自分の耳に、全身の注意を集めた。
「ああ、――」
 千二は、その時、思わず、低く叫んだのであった。
 何か、聞えるようだ。
 気のせいかと思うが、そうではない。何だか、口笛を吹いているような音が、地底《ちてい》から、聞えて来るのだった。
「先生、僕にも聞えます。口笛を吹いているような音でしょう」
「そうだ」
 先生のあつい息が、千二の耳たぶにかかった。
「おい千二君。あの音は、一体、何の音だろうね」
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 地底から、かすかに響いて来るその気味の悪い怪音は、一体、何であったろうか。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 誰かが、地底で、口笛を吹いているように聞える。
 だが、まさか、こんな地底に、人間がいるとは思われない。
 では、機械の音ででもあろうか。
 新田先生と千二とは、よりそって、なおもその怪音に聞入った。
「千二君、機械の音にしては、何だかへんだね。だって、早くなったり遅くなったりするようだよ」
「そうですか。機械の音でないとすると、何でしょうか」
「どうも、わからない」
 と、先生は吐きだすように言った。
「もし、地底に、誰かがかくれているのだったら、われわれは今、たいへんあぶないことをやりはじめたことになるのかも知れない。と言って、せっかくここまで来たのだから、このまま引きかえすのも残念だ」
 新田先生は、どうしようかと困っているらしい。
「先生、やっぱり、下へおりてみようではありませんか」
 と、千二は、勇敢に言った。
「下へおりると言うのだね。よし、そんなら、行ってみよう。さらに一そう用心をしておりて行くのだよ」
 それから二人は、さらに足音を忍ばせて階段をおりて行った。
 すると、階段が尽《つ》き、二人はしめっぽい土のうえにおりた。
 懐中電灯の光でさぐってみると、あたりは、なかなか広い。それだけに、気味の悪さは、一そう加わった。
「おお、あの見当だ。おや、ぽうっとあかりが見えるぞ」
 暗い廊下の奥に、穴でもあるらしく、下からぽうっと、光が天井の方へ映っている。
「何の光であろうか?」
 新田先生と千二とは、やっと並んで歩けるほどの、狭いその廊下をしのび足で、奥へ前進して行った。
「這って行こう」
 先生の注意で、千二も、しめっぽい土の廊下に腹ばった。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 ひゅん、ひゅん、ひゅん。
 奇妙な笛みたいな音は、だんだん大きくなって来た。
 千二は、その音を聞いているうちに、いつか、どこかで、そのような音を聞いたことがあるような気がして来た。
(はてな! 一度聞いたことがあるようなあの音? どこだったかなあ)
 新田先生は、ぐんぐん前進して、ついに腹ばいのまま、穴のふちのところまですすみ寄った。さすがに、これから先は、先生もよほどの覚悟をもってのぞまなければならない。先生は、その覚悟をつけるためか、二、三度大きい息をした後、思い切って、穴の方へそっと頭をさしのべた。今こそ、穴の中の光景が、見えるところへ来たのである。
 さあ、先生は、穴の中に一体何を見たであろうか。
(ああ――)
 先生は、石像のように、固くなった。大きなおどろきが、先生をそうしてしまったのである。
 見よ! 穴の中には檻が見えた。
 その檻の中には、何やら暗いなかにうごめくものがあった。
 ぽうっとうす桃色に光っているが、先生が、その怪しいうごめく物の形を、はっきり見きわめるには、かなり手間がとれた。
(ああ、不思議な動物だ! 見たこともない怪しい動物だ! 一体、あれは何であろうか!)
「見たか、千二君」
 と、新田先生は、千二を後から抱きながら、おどろきを伝えた。
 千二は、無言で、うなずくばかりであった。
 うすぼんやりした光を放っているその怪物は、何だか大蛸《おおだこ》のようなところがあった。頭がすこぶる大きくて、目玉がとび出しているところは、蛸そっくりであった。
 だが、蛸とは似ていないところもあった。それは、その大きな頭の上から、二、三本の角みたいなものが出て、それがしきりに動いていることだった。いや、角というよりも、蝶や甲虫などの昆虫類が頭部に持っている触角に似ていて、しきりにそれが動くのであった。
「不思議な動物じゃないか」
 新田先生は、たいへん感心して、はじめに感じた恐しさを、どこかへ忘れてしまったようであった。
 千二は、やはりうなずくばかりであった。
 その怪物は、はじめ床の上に、ぐにゃりとなっていたが、しばらくすると、むくむくと立上った。そうして、ぶらぶらと室内を歩き出したものである。
 その時、また奇怪なことを発見した。その動物には、人間や獣にあるような胴というものが見当らなかった。いや、胴はあるにはあるがたいへん細く、そうして短く、枕ぐらいの大きさもなかった。
 足はあった。その足を使って怪物は立上り、床の上をゆらゆらと動いているのだった。
 その足のまわりに、長い手のようなものがぶらぶらしているのが見えたが、その長い手はむしろ、蛸の八本の足に似ていて、ぐにゃぐにゃしていた。しかし、ずいぶん細い手であった。
 細いのは手だけではない。足もまたひょろ長いが、乾大根のように細い。
「どうも、不思議な動物だ」
 と、新田先生は、低くささやいた。
「熱帯地方にいるくも猿は、手や足がたいへん長い。胴は、ほんのぽっちりしかないように見える。だから、くも猿かしらんと思ったが、そうでもなさそうだ」
「先生、やはり大蛸ではないのですか」
 千二は、やっと、自分の考えを言ってみた。蛸とはちがったところがあるが、しかし、蛸に一ばんよく似ているのであった。
「そうだね。蛸と思えないこともないが、蛸にしては、檻の中で、あんなに活発に生きているのが変だね。何かあれに似たものがいたが、はて何であったろうか」
 と、新田先生は、しばらく考えていたが、
「ああ、そうそう。これは熱帯地方にあるものだが、たこの木という植物がある。これは、今見えているあの怪しい動物のように、小さいものではなく、大きな木だけれど、そのたこの木のかっこうが、どこやらあの動物に似ている」
「先生、今下に見えているのは動物ですねえ。そのたこの木は、植物なんでしょう。たこの木と言っても、動けないのでしょう」
「もちろん、そうだ。地面に生えている大きな木だから、動けるはずはない。千二君、先生は、形のことだけを考えて、たこの木に似ていると言ったんだよ」
 いくら考えても、この不思議な動物の正体は、わかりそうもなかった。
「ああ、先生」
 と、その時千二が叫んだ。
「何だい、千二君」
「先生、一ぴきだけかと思ったら、まだ奥の方に、もう一ぴきいますよ」
「なに、二ひきだって。どれどれ」
 檻の奥の、うす暗いところを見ると、なるほど、もう一匹の怪しげな動物が、眠っているのか、丸くなっている。
 地底にうごめく二匹の怪しい動物!
 新田先生と千二とは何だか、夢を見ているような気がしてならぬ。
「ねえ、千二君。あの動物のそばへよって、もっとよく見たいものだね」
「ええ」
「どこか、そのへんに、下りるところがあるのではないか。さがしてみようよ」
「ええ」
「ああ、千二君、こわければ、先生について来なくてもいいよ」
「いえいえ、僕、一しょに行きます。しかしねえ、先生。あの怪しい動物は一体何でしょうか。先生は、すこしも、見当がついていないのですか」
 千二は、熱心にたずねた。
「まだ、わからない。全く、わからない」
「そうですか」
 と、千二は、ちょっと考えていたが、
「実はねえ、先生。僕はさっき先生が、穴の中にへんな動物がいる、と言われたので、のぞきましたね。その時、僕は、それは火星の動物じゃないかしらと思ったのです。つまり、いつか、火星のボートに残っていた、怪しい奴のことを思い出して、また、あれと同じかっこうをした奴ではないかと思ったんです」
「うむ、うむ。それは、なかなかいいところへ気がついた。それで……」
「それで、穴の中をのぞいて、よく見たのですが、違っていました」
「違っていた?」
「そうです、たしかに、違っていました。火星のボートに乗っていた奴は、僕と組
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