ない。
 怪人が、首をぽろりと落したこともほんとなら、また、首を拾い上げたことも、ほんとであった。
「そんなばかなことが!」
 と、叱られるかも知れない。だが叱られても仕方がないのである。あたりまえの考え方では、首がぽろりと落ちれば、その人間は死んでしまうのだから。死んでしまった体が、手をのばして自分の首を拾うなんてことが、出来ようはずがないのだ。普通に考えれば、そうであった。
 しかし、事実は、たしかに怪人の首がぽろりと下に落ち、そうして怪人が手をのばして、その首を拾い上げたのである。そのことは決して間違ではない。
 結局、そのように、普通では考えられないことが起ったについては、普通でないわけがあると思わなければならない。そのわけとは、どんなことであるか?
 そのわけの一つは、顎に白い繃帯をしていた警官が、ただ者ではなかったということだ。
 怪人! そうだ、たしかに怪人であった。しかも、この怪人こそは、外ならぬ丸木であったのである。
 丸木だろう――とは、気がついていた読者もおありであろう。しかし、丸木の首が落ちても、丸木は平気で生きていられるんだとは、まさか、だれも考え及ばなかったであろう。
 怪人丸木は、自分の首を拾うと、それを小脇にかかえて、どんどん逃出した。そうして、どこへいったか、姿は闇にまぎれて見えなくなった。
 この怪事件は、佐々刑事が息をふきかえして、始めて大江山課長をはじめ、警視庁の掛官たちに知れわたったのであった。
「その曲者は、きっと丸木だろう。そのへんをさがしてみろ。裸になっている警官が、みつかるにちがいない」
 さすがに、大江山捜査課長は、すぐさま、怪人の正体を言いあてた。
「えっ、丸木があらわれたのですか」
「警官などにばけるとは、ひどい奴だ」
 と、掛官たちは、意外な面持であった。
 大江山課長は、ただちに自ら指揮をして、丸木のあとを追った。
「丸木だと思ったら、かまわないから、すぐピストルを撃て! ぐずぐずしていると、こっちがやられるぞ。あいつは、多分人間じゃないんだろう」
「えっ。課長、丸木は人間ではないのですか」
 と、部下の一人がきいた。
「うん、ばかばかしい話だが、そういう考えにならないわけにいかないのだ」
「課長!」
 その時呼んだのは、佐々刑事であった。彼は、同僚の手あつい介抱で、やっと元気をとりもどしたのだった。
「どうした、佐々。もう大丈夫か」
「さっきは、残念ながら、やっつけられましたが、もう大丈夫です。ねえ、課長。相手は人間でないそうですね。課長が、おばけの存在を認めるようになったとは驚きました。大へんなかわり方ですなあ」
「おばけというのは、どうもことばが悪いがしかし、たしかに、丸木という奴は、おばけの一種だ!」
 課長は、そう言って、唇をかんだ。

 怪人丸木は、どこへ逃げた。
 大江山課長は、部下を励まして、あたりをさがさせた。中にも、佐々刑事は、さっき丸木にやっつけられたくやしさもあって、たいへんな、はりきり方であった。
「こんど丸木に出会ったら、僕は、どんなことがあっても、あいつの首を分捕ってやる」
 佐々刑事は、そんなことを言っていた。
「怪人丸木の首を分捕る? そんなものを分捕って、どうするんだ」
 と、同僚が聞くと、佐々は肩をゆすりあげて、
「ふん、あいつの首の使い道か。僕は、あいつの首をきざんで、ライスカレーの中へたたきこむつもりだ」
「えっ、君は、あいつの首を食うつもりか。とんでもないことだ、君は食人種かね」
「食人種? そうじゃないよ。丸木が人間なら、あいつの首を食べればそりゃ食人種さ。しかし丸木は、人間じゃないんだ。だから、僕は食人種になりはしないよ」
「じゃあ、何になるかなあ」
「食化種さ。お化の味を、僕が第一番に味わってみようというわけさ。もし、おいしかったら、君にも分けてやるよ」
「じょうだんじゃない。お化の肉のはいったライスカレーなど、まっぴらだ」
「さあ、くだらんことを言わないで、早く丸木をさがし出せよ」
「くだらんことを言っているのは、佐々君、君だよ」
 そんなさわぎのうちに、とうとう不幸な半裸体の警官が見つかった。彼は、すっかり官服も帽子も奪いとられて、草むらに倒れていた。課長以下は、すぐさま手あつい介抱を加えたが、残念ながら、もうだめであった。肋骨《ろっこつ》が三本も折れて、ひどく内出血していた。
「かわいそうなことをした」
 と、大江山課長は涙をのみ、
「丸木という奴は、いよいよ人間じゃない。人間なら、こんなに残酷なことは、しないだろうに」


   20[#「20」は縦中横] 秘密室


 こっちは、新田先生と千二少年とであった。二人は不思議な再会に、手をとって喜び合ったが、話はつきなかった。
 だが、そのうちに、新田先生は、蟻田博士が間もなく帰って来るだろうということに気がついた。そうして、同時に、まだ謎のとけない博士の秘密室のことも思いだしたのである。
 そこで、新田先生は、話をしてみても、しようがないと思ったけれど、千二少年に向かい、
「なあ、千二君。先生は、君を助けようと思って、ここへ来たのではなかったのだ。実は、君のかくれていたところは、蟻田博士の秘密室の床下だったんだよ」
「えっ、博士の秘密室?」
「そうだ。蟻田博士が、たいへん大切にしている部屋なんだ。ところが、その部屋へはいってみたところ、部屋はがらん洞で、何も置いてないんだ」
「空部屋《あきべや》なんですね」
「うん、空部屋なんだよ。ただ、柱時計が二つ、壁にかかっているだけだが、この時計も、べつに変った時計でもなく、昔からよくあるやつだ。しかも、その時計は、ほこりを一ぱいかぶったまま、針はとまっているんだ。先生は、博士がなぜ、あのようなとまった古時計しかない空部屋を、大切にしているのか、わけがわからないので、困っているのだよ」
「そうですか。全く、わけがわかりませんねえ」
 と、千二も、先生も同じように首をかしげた。
「どうだ、千二君、君は床下にいて、何か秘密のあるようなものを、見なかったかね」
「床下で秘密のあるようなものというと……」
 と、千二はしきりに考えていたが、
「ああ、あれじゃないかしら」
「何だ。あれとは――」
 新田先生は、思わず声を大きくして、千二にたずねた。蟻田博士の秘密室の床下で、千二は、何を見たのであろうか。
「それは、博士の秘密だか何だか、わかりませんけれど……」
 と、千二少年は前おきをして、
「僕は床下で、たいへん太い柱を見たんです」
「なに、太い柱?」
「そうです。とても太い柱です。コンクリートの柱なんですよ。太さは、そうですね、僕たちが、学校でよく相撲をとりましたね。あの時校庭に土俵がつくってあったことを、先生はよく覚えていらっしゃるでしょう。柱の太さは、あの土俵ぐらいの太さはありましたよ」
「そうか、小学校の庭の土俵ぐらいの太さといえば、相当太い柱だね。それは柱というよりも、中に何かはいっているのじゃないかなあ」
「そうかも知れません」
「柱の上は、床についているのかね」
「さあ、それはよく、たしかめてみませんでしたけれど、もし床の上に出ているものなら、先生がおはいりになった博士の秘密室のまん中に、その柱が、にょっきり生えていなければならないはずですね。先生、そんなものが、ありましたか」
「いや、あの部屋には、決してそんな柱は見えなかったよ。不思議だなあ」
 新田先生は、腕ぐみして、不思議だなあと、くりかえした。
「いや、とにかく、その柱の中は、調べてみる必要がある。が、どこからはいればいいのかわからない。あの部屋には、別に、その入口らしいものも見えなかったがねえ」
「変ですね」
「なあ、千二君。君は、あの部屋の床下にもぐりこんでから後、もっと何か見なかったかね」
「もっと、何か見なかったかと言うんですか」
 と、千二少年は、またしきりに、前のことを思い出そうとつとめていたが、
「ああ、そうだ。僕は、時計が鳴るのを聞きましたよ、先生」
「え、時計って」
「いや、僕のかくれていた頭の上で、ぼうん、ぼうんと時計が鳴ったんです」
「ああ、そうか。千二君は、床下で、それを聞いたんだね。すると、博士のあの秘密室の柱時計が鳴ったんだな。でも、それは不思議だ」
 新田先生は、首をかしげて、妙な顔をした。
「先生、止っていた時計を直しているから、時計が鳴ったのだと思いますよ」
「ああ、そうか。時計の針を動かしていたんだね」
「きっと、そうなんでしょう。だから、ぼうんぼうんと、幾つも打ちましたよ」
「なるほど、なるほど」
「ところが、先生、それがどうも、へんなんですよ」
「へん? へんとは、何がへんなのかね」
 新田先生は、千二少年の話に、たいへんひかれた。
「その時計の鳴り方ですよ。はじめ、ぼうんと一つうち、次にぼうんぼうんと二つうち、それからぼうんぼうんぼうんと三つうち……」
「つまり、一時、二時、三時だな。すると一時間おきに鳴る柱時計は、めずらしい」
「先生、僕がへんだと言ったのは、そのことじゃありません」
 と、千二は、先生の言葉をさえぎった。
「えっ」
「僕がへんだと思ったのは、ぼうんぼうんぼうんと三つ打ったのち、こんどは四つ打つかと思ったのに、ぼうんぼうんぼうんぼうんぼうんと五つ打ったのです。それから次は六つ、次は七つと、それからのちはあたり前に打っていったのです」
 千二が床下で聞いた柱時計の不思議について、新田先生は、首をかしげて考えこんだ。
「ふうむ、柱時計が一時・二時・三時とうって四時がぬけ、それから、五時・六時・七時とうっていったと言うんだね」
「そうなんですよ、先生」
「不思議だねえ」
 と、新田先生は、四時をうたない時計の謎を、どう解いてよいか迷った。
「ねえ、先生。その時計が四時をうたなかったのは、時計がこわれていて、四時のところでは鳴らないのではないでしょうか」
 千二は、おもしろい答えを考えだした。
「なるほど、それも一つの考えだね」
 と、新田先生はうなずいた。
「しかし千二君、柱時計というものは、たいへんがんじょうに出来ているものだ。四時だけ鳴らないというようなことは、まず起らないと思う。とにかく、それをしらべてみようじゃないか。さあ、先生と一しょに、博士の秘密室へいこう」
 新田先生は、千二をうながして、ふたたび博士の秘密室へはいっていった。
 うすぐらい電灯がつくと、室内は、さっきと全くかわらないがらんとした部屋であった。古びた柱時計が二つ壁にかかっているのも、さっきと同じことであった。もちろん二つの時計は、どっちも動いていなかった。
 千二は、この部屋の殺風景さに、ひどく驚いたようであった。
「先生、この部屋は、何だか、気味のわるい部屋ですね」
「そうだ、あまり気味のよい部屋だとは言えないね」
 そう言って、新田先生は、つかつかと柱時計の下に歩み寄り、時計の中を見ようとしたが、背がとどかない。そこで、先生は、梯子を探しにまた外へ出なければならなかった。
 一体蟻田博士の秘密室と、そうして四時に鳴らない柱時計の謎とは、どのような関係があるのであろうか。
 柱時計の中をしらべるため、新田先生と千二少年とは、部屋を出て、梯子をさがしにいったが、その梯子は、その隣の物置のような室内にあった。
「ははあ、博士は、いつもこの梯子をつかっているのだな」
 脚立のような形をしたその西洋梯子を、新田先生は、秘密室へかつぎこんだ。そうして柱時計の下においた。ちょうど、ほどよい高さであった。
「先生、僕、梯子をおさえていますよ」
「そうかね、じゃあ、先生はのぼってみるよ」
 新田先生は、梯子をのぼった。
 先生は、時計の扉を開いてマッチをつけると、その光をたよりに中をのぞきこんだ。
「先生、何か、かわったものが、見つかりましたか」
「そうだね。時計の中には、ラジオの受信機のように、電線が、ごたごたと引張りまわしてあるよ。しかし、この電線は、何のためにあるんだか、どうもよくわからない」
「先生、四時が鳴らない
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