先生はね、丸木が千二君を……」
 と言ったが、そこで先生は気がついて、ことばを止めた。新田先生は、丸木が千二君を捕えたのは殺すつもりだったと思っていたのだ。
「――とにかく、丸木は、君の命を助けたことになって、丸木は命の恩人だとも言えるね」
「でも、先生。僕、丸木のことを恩人だなんて思うのはいやですよ」
「そうだろうね」
 先生はうなずいた。でも、新田先生は、丸木は千二を殺すだろうと思っていたのに、かえって命を助けたことが、不思議でならなかった。
「丸木は、どうしたろうね」
「さあ、どうしたでしょうね」
 新田先生と千二は、丸木のことが心配でならなかった。
「とにかく、自動車は崖下に落ちたんだから、崖下へ行って調べてみれば、よくわかるだろう」
 新田先生は、いま崖下で、警視庁の掛官たちが集って、しきりに手がかりをさがしているとは知らない。
 怪人丸木は、一体どうしたのであろうか。彼は、自動車もろとも崖下に落ちて、死んでしまったのであろうか。
 りくつのうえでは、どうしても、そうならなければならないのであったが、丸木の骨が見つからない。これは、どうもへんである。
(自動車に乗っていた大人と少年とは、どこかに生きているとしか、思われない)
 と、大江山捜査課長は、現場の模様から、そういう断定をした。そうして、刑事の佐々に笑われたのであった。
(佐々が笑うのも、むりではない。あの崖から落ちて、こんなにこわれてしまった自動車に、乗っていた人間が死なずに生きているなんて、べらぼうな話だ。しかし、現場の模様は、それにちがいないと教える!)
 大江山課長は、永年の経験で、どこまでも証拠のうえに事件の解決をきずいていく人だった。証拠のないものは、決して信じないのだ。
 ともかくも、課長の推察の半分は、たしかにあたっていた。なぜならば、千二少年が、ちゃんと生きていたではないか。
 だが、大江山課長も、まさか自動車が崖をふみはずす前に、千二少年が車外へつきおとされたのだと、そこまでは、気がつかない。
 千二少年は、助って、ちゃんと生きている。では残りの怪人丸木はどこにいるのであろうか? そうして、どうして、命をとりとめたのであろうか?


   19[#「19」は縦中横] 怪力《かいりき》


 大江山課長は、崖の下に集っている警官や、刑事たちを励まして、再び念入の捜査をするように命じた。
「必ず、この附近に、何かの手懸《てがか》りが残っているはずだ。それを探しあてないうちは、われわれは、いつまでも、ここから引上げない決心だ。さあ、しっかり探してくれ」
 課長は、聞くのもいたましい声で、そう叫んだのであった。
「よろしい、やりましょう」
 部下は、そう答えて、課長の前を散った。篝火《かがりび》が点ぜられ、現場附近は、更に明かるくなった。捜査のため、右往左往する人々の顔が、その篝火をうけて、鬼のように、赤く見えた。
 このとき佐々《さっさ》刑事は、懐中電灯を照らして、自動車の落ちた崖のすぐ下のところを、しきりに探していた。
「この辺に、足跡がついていなければならぬはずだが……」
 と、彼は、ていねいに、崖下を、しらべて歩いた。
「こうあたまを使うのだったら、ライスカレーを、うんとたべてくるんだったのに……」
 あたまのよくなるライスカレーのことを、佐々刑事は、思い出して、うらめしくなった。
 そのとき、佐々刑事の進んでいく方角から、反対にこっちへ歩いて来る一人の警官があった。彼は夢中になって、崖下を照らしている佐々刑事の姿を、様子ありげに、じろじろと見ていたが、やがてあたりを振りかえり、足早に佐々の側へ近づき、
「おい君。この辺で、子供を見かけなかったか」
 と、声をかけた。
「なに、子供?」
 佐々は、顔を上げたが、けげんな顔。
 とつぜん呼びかけられて佐々刑事はちょっと面くらった。
「子供って、何のことだね」
 と、佐々は問いかえしながら、相手の顔を見た。
 相手は、制服すがたの警官だった。帽子をまぶかにかぶって、その帽子の庇《ひさし》から、こっちをじっと見ている。しかし、佐々刑事は、そのような顔の警官に始めて会う。芝警察署あたりから応援に来た警官だと、佐々は思った。
「子供だ。この辺で、子供を見なかったかね。その子供は、死んでいたかも知れない。子供の足跡でもいい。君知っていたら、教えてくれたまえ」
 その警官は、つかえながら、そんなことを言った。
「さあ、僕は、何も見かけなかったよ」
 相手の様子が、何だか変である。よく見ると、その警官は、あごからのどへかけて、白い繃帯《ほうたい》をまいているのであった。
「君、どうしたんだ、その繃帯は?」
 と言って、佐々は、すこし失敬かなとは思ったが、懐中電灯を相手ののどに向けた。
 すると、相手はびっくりして、
「な、何をする!」
 と叫んで、横にとびのいた。
「やあ、失敬失敬。いや、その繃帯はどうしたのかと思ってね。どこで怪我をしたのかね」
「かぜをひいたのだ。それで繃帯をまいているんだ」
 相手はつっけんどんに言った。
「そうかね。かぜをひいているのか。でも、あごまで繃帯で包んでしまうなんて、君はずいぶん変っているね」
「ふん、おれのすることに、君が口出しすることはないよ」
 と、相手はおこったような、ものの言いかたをした。
「君が探している子供というのは、一体どうした子供なんだね」
 佐々刑事は、かわり者の警官に、それをたずねた。
「ああ、その子供というのはね、背が、これくらいの少年なんだ」
 と、顎に繃帯したその警官は、自分の胸あたりに、手をあげた。
「名前は?」
「名前は――名前は、千二というんだ」
 と、警官は言った。
「千二というのか。はて、聞いたような名前だが……」
 佐々刑事は、小首をかしげた。
 千二? そうだ、千二といえば、あの天狗岩事件や銀座事件で、つかまったあの少年が、千二という名前だった。
「千二というのは、けさ警視庁から放免された千葉県生まれの少年のことじゃないのかね」
「ああ、そうかもしれない。とにかく、その千二という子供に会いたいという者があって、それからの頼みで探しているんだ」
「へえ、そうかね。で、それを頼んだ者というのは、誰かね。もしや、丸木とかいう、怪しい男じゃなかったかね」
「丸木?」
 と、顎に繃帯を巻いた警官は、何にびっくりしたのか、ちょっと口ごもったが、
「ああ、あの丸木なら、もう死んでしまったじゃないか。ほら、あそこで皆が、火をたいて集っているが、丸木は、自動車に乗ったまま、この向こうの崖から墜落して、死んでしまったということだよ。丸木は、もうどこにもいない」
「ほう、君は、丸木のことをよく知っているね。それから、千二少年のこともよく知っているらしい。一体、君は、どこの警察署の人かね」
「わしのことかね。わしは、そのう、つまり日比谷《ひびや》署の者だ」
「うそをつけ!」
 佐々刑事は、何と思ったのか、顎に繃帯をまいている警官に、うそをつけと、はげしいことばを吐いた。
「何が、うそだ。警官に対して、何をいうのか。お前こそ、どこの何者だ」
 相手は、きびしく、佐々に向かって、逆襲して来た。
「君は、おれを知らないのか。すると、いよいよ君は、もぐりの警官だということになる。おれは、本庁随一の腕利刑事で、佐々というけちな男だ」
「えっ」
「おれが腕利だということは、もう四、五分のうちに、君にもわかるだろう」
「なにっ」
 相手の警官は、思わず一、二歩、うしろへ下った。
「――ということは、おれは偽警官の貴様をふんじばって、留置場へのおみやげをこしらえようとしているんだ。こら、神妙にせい」
 佐々刑事は、いきなり相手におどりかかった。
 相手の警官は、逃げるひまがなかった。佐々は、彼を、その場に押したおそうとしたが、
「おや、貴様は、何を着ているのか。うむ、鎧《よろい》を着ているんだな。いよいよあやしい奴だ。神妙にしろ!」
 と、ねじふせようとした。
 ところが、相手は、佐々に抱きつかれたような恰好だが、びくともしなかった。
「それを知られたからには、貴様の命はもらった。かくごしろ」
 ううんと、相手は、うなった。そうして、あべこべに、佐々の胴中へ手をまわし、ぎゅうとしめつけた。
「なまいきなまねをしやがる。貴様は、佐々刑事の強いのを知らないと見えるな」
 相手の警官は、なかなか強かった。
 のどに繃帯をまいて、かぜをひいているとか言っていたので、さぞ弱い相手だろうと思っていたが、なかなかどうして、強かった。佐々刑事は、たじたじであった。
 二人は、組みついたり、離れたり、うちあったりしたが、なかなか勝負がつかない。
 こんな場合、佐々刑事は、もっと早く助けをよぶべきであったと思う。ところが佐々は、自分一人の手柄にしようと思って、大いにがんばったのであった。
 ところが、どうも佐々の方が旗色が悪い。助けの声を出そうにも、声を出す隙さえないという有様だった。
「あっ……。うむ」
「ぶうーん」
「やっ。えいっ」
「ぶうーん」
 苦しいかけ声をかけているのが佐々刑事で、相手の警官は、ぶうーんと、妙なうなりごえをあげる。どこまでも、かわった人物だった。
(こいつは手ごわい相手だ。ぐずぐずしていると、あいつの鉄拳で、こっちの肋骨を折られてしまうかもしれない。何とかして、早いところ、相手をたおしてしまわねばならぬ!)
 佐々刑事は、だんだん無我夢中になって来た。どこか、相手の隙はないか。
 そう思っている時、彼は、一つの隙を見つけた。
「これでもかっ!」
 佐々刑事は、飛びこみざま、相手の顎を下からうんとつきあげた。ぐわんと、はげしい音がした。
「あいたっ」
 佐々刑事は思わず悲鳴をあげた。拳の骨が、くだけたと思ったのだった。相手の顎のかたいことといったら、まるで石のようだ。
 相手は、よろよろとよろめいた。その時佐々は、びっくりして、目をみはった。
「あっ、首が……」
 佐々は、自分の目をうたがった。相手の警官の肩の上から、首が、急に見えなくなってしまったのである。
 警官の首は、どこへいった?
 そんなばかな話があってたまるものではない――と、誰でも思うであろう。ところが、そのばかばかしいことが、ほんとうに起ったのである。佐々は、面くらった。そうして、背筋から冷水をざぶりとあびせかけられたような気がしたのであった。
「おれは、わけがわからなくなったぞ。おれは、相手の首を、たたき落してしまったんだ!」
 首を落された警官は、たおれもせず、そのまま、ちゃんと立っていた。白い繃帯が、ばらりととけて、ひらひらと肩にまつわる。首のないくせに、彼はなおもはげしく、佐々の方にむかって来る。彼の鉄拳が、ぶんぶん佐々の目をねらって飛んで来た。
「あれっ。おれはおかしくなったんじゃないかしらん。首のない人間と、たたかっているのだ!」
 佐々は、こんな気持の悪い思いをしたことは、生まれてはじめてだった。てっきり自分はおかしくなったのだと思った。おかしくなったから、首のない人間が、生きているように見えるのだ。
「ぶうーん」
「あっ、いた――」
 とつぜん、佐々の顎に、相手の鉄拳が、ごつんとはいった。彼は、顎が火のようにあつくなったまでしかおぼえていない。佐々は、はり板をたおすように、どすんと、うしろへたおれた。そうして気を失ってしまった。
 首のない怪人は、ここで、にやりと笑いたいところであったろう。しかし首がないので、笑うわけにはいかない。
 そこで彼は、ちょっとしゃがむと、両手をのばして、うしろに落ちていた首をひろい上げた。
 怪人が、首をぽろりと落した。
 佐々刑事も、そこまではちゃんと見ていたから、間違ない。
 ところが、そのあとで、怪人は腕をのばして、自分の首をひょいと拾い上げたのだった。その時には佐々刑事は、怪人から一撃をくってひっくりかえっていたから、何も知らない。もしも、そこまで見ていたとしたら、恐らく、佐々刑事は自分の目をうたがって、発狂してしまったかも知れ
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