をすれば怒るし、また、返事をしなくても怒る博士だった。
「どうか、教えていただきます」
「ふん、では、かんたんに、わしの研究の結果だけを話そう」
 博士は、白いあごひげをつまみながら、
「モロー彗星と地球とがぴたりと接触するのは、来年の四月四日十三時十三分十三秒のことである」
「えっ、来年の四月四日、十三時十三分十三秒?」
 四月なら、今からまだ約半年先のことである。明日や明後日《あさって》でなくてまあよかったと、新田先生は胸をなでおろした。
 十三時――というのは、一日を午前・午後で区別せず、一日は二十四時間として言いあらわしたもので、十三時は、ちょうど午後一時にあたる。つまり、来年の四月四日午後一時十三分十三秒のことである。
「どうじゃ。四、四、十三、十三、十三――と、数字が妙な工合につづいている。数字までが恐しい運命を警告しとる!」
 来年の四月四日十三時十三分十三秒に、地球は、モロー彗星にぶつかって、粉々になってしまう――と、蟻田博士の言葉である。
 これを博士の机の前で聞かされた新田先生は、わが耳をうたがった。
「博士、来年の四月四日に、地球とモロー彗星が衝突することに間違はありませんか」
「間違? このわしの言葉に、間違があるとでも言うのか。お前は、わしの言葉を信じないのか。わしの天文学に関する智力を知らないのか」
「知らないことはありませんが……」
「そんなら、それでいいではないか。わしを疑うような言葉をつかうでない。もし疑わしいと思うなら、何なりと尋ねて見ろ。たちどころに、その疑いをといてやる」
 蟻田博士の自信は、巌《いわお》のようにゆるがなかった。博士の自信に満ちた様子がうかがわれると、それだけに新田先生は悲しくなった。
「すると、四月四日の衝突ののち、我々地球の上に住んでいる人間は、一体どうなりますか」
「そんなことは、わしに聞くまでもない」
「すると――すると、やはり我々は一人残らず死ぬのですね。死滅ですね」
「そうだ、その通りだ」
 博士は、こともなげに、あっさりと返事をした。新田先生の胸は、しめつけられるように苦しかった。いよいよ来る四月四日かぎりで、地球とともに人類も滅びるのだ。こんなに永い間、いろいろと苦労をつづけて来た人類が、あっさりと滅び、その光輝ある歴史も何も、全く闇の中に葬られてしまうのである。そんな恐しいことがあっていいだろうか。いや、人類の好くと好かないとにかかわらず、現にモロー彗星は、刻々地球に追っているのだ。
「助かる方法はないでしょうか、博士」
 蟻田博士は、だまって、鉛筆で、白い紙のうえを叩いている。
「ねえ、博士。モロー彗星のため地球がぶち壊されても、何とかして、我々人類が助る方法はないものでしょうか」
「ないねえ。絶対に助る手はない」
 博士は、他人のことのように言う。博士はどうなるのか。博士だって、やはり人類である以上、一しょに死ぬのではないか。それとも、自分だけは助るつもりであろうか。
「先生は、生命を全《まっと》うされますか」
「いや、むろんわしも死ぬさ」
 博士は、新田め、何をわかりきったことを聞くのだと、言いたげな顔であった。
 新田先生の最後の頼みの綱も、ついに切れた。先生は、千仭の断崖から、どんと下へ突落されたように思った。もう立っていることが出来ないほどだった。
(だが、――)
 と、新田先生は、その時口の中で言った。
(だが、万物《ばんぶつ》の霊長《れいちょう》たる人間が、そうむざむざと死滅してなるものか!)
 人間というものは、どうにも、もういけないときまった時に、不思議にも、それをはねかえす力が出て来るものである。新田先生も、今それをさとった。
「もし、博士。私は死にません」
 新田先生は、きっぱりと言いきった。
「何じゃ。お前は死なぬというのか。ほほう、地球が粉々になっても、死なないというのか。お前は、変になったのではないか」
 蟻田博士から、あべこべに変になったのではないかと聞かれた。世の中のことは、ずいぶんおもしろい。
(変になった?)
 新田先生は、自分でも、変になったのではないかと思った。しかし先生は、どうしても死ぬつもりはなかったのである。死ぬ気もしなかったのである。
「うん、私はきっと、生きのびて見せる!」
 先生は、顔を赤くしてどなった。


   15[#「15」は縦中横] 大江山課長


 大江山捜査課長のにせ者が現れ、警視庁へ電話をかけ、千二少年をゆるして留置場から出すよう命令したと聞き、本物の課長は、驚きのあまり、顔色を失ったことは前にのべた。
「どうも、そうだろう。おれは、あの電話のことを後で聞いて知ったんだが、あれは警視庁の黒星だ」
 と、佐々刑事はのこのこ前に出て来た。課長はよほど驚いたものと見え、無言で、机の上に頬杖《ほおづえ》をついて考えこんでいる。
 課長からの電話だと思って、千二少年を出してやった掛りの責任者は、すっかりおそれ入ってしまって、これまた石像のように固くなって、突立っているばかり。
「だが、あの少年は、なかなかはしっこい子供だったから、うまく家へ逃げかえったんじゃないかしら。どうです、千葉へ電話をかけてみては」
 と、佐々刑事ひとりが、元気よくいろいろとしゃべる。
 課長は、相変らず、頬杖をついたまま、動こうともしない。
「どうです、課長。千葉へ電話をかけては……」
 佐々は、課長を元気づけたいと思っているようで、机の前から半身を乗出して、課長の顔をのぞきこんだ。
 大江山課長は、はっきりしない顔つきのままで、唇だけを動かした。
「それは、だめだ」
「課長、なぜだめです。この名案が……」
「名案?」課長は、じろりと上目で佐々の顔を見て、
「そんな名案があるものか。佐々《さっさ》、お前は、まだライスカレーの食い方が足りないらしいぞ」
「ははあ、ライスカレーですか。はははは」
 と、佐々は、とってつけたように笑い出した。佐々お得意のライスカレーのことを、課長が言ったので笑い出したわけであるが、佐々としては、ここで大いに笑って、課長を元気づけたい一心だった。
 だが、課長は、佐々の笑いにつられて、笑い出しはしなかった。
「そうじゃないか。なぜと言えば、もし千二が朝のうちにこの留置場から出ていったものとすれば、お昼すぎには千葉の家へかえりついているはずだ。そうだろう」
「まあ、そうですね」
「かえりつけば、千葉警察の者が、こっちへすぐ報告して来るはずだ。なぜと言えば、千二の家は、ちゃんと警官が張番をしているんだからな」
「なるほど」
「ところが、今はもう夜じゃないか。しかるに、千葉からは、何の報告も来ていない。すると、千二は、まだ自宅へかえりついていないことが、よくわかるじゃないか」
「な、なるほど」
 佐々は、なるほどの連発だ。
「そこだ、私のたいへん心配しているところは」
 と、課長は、語気を強めて言って、
「だからこれは、ひょっとすると、千二が途中で例の怪人丸木にさらわれてしまったのではあるまいか。そういう疑いが起るではないか」
 課長だけあって、考えがかなり深かった。ほんとうに課長の言うことは、中《あた》っていたのである。怪人丸木は、たしかに千二を途中でさらっていった。日比谷公園のそばに、自動車をとめておいて、千二をうまく運転台におしこんで、逃げていったのだった。
 そこで、課長は、はじめて頬杖をやめて体を立てなおすと、一同の顔を見まわし、
「どうだ管下において、少年がかどわかされていくのを見た者はないか」
「さあ、そういう報告はどうも……」
「それとも、なにか少年に関係した事件はなかったろうか」
「そうですねえ――」
 さすがに、大江山課長は、目のつけどころがちがう。千二少年が、何者かにさらわれたと知ると、すぐさま、捜査の糸口をつまみ出した。
「さあ、今日管下に起った事件の中で、少年に関係があった事件と言いますと、皆で三件あります」
 と、佐々刑事が、主任の机の上から帳面を持って来た。
 一同は、その帳面の方へ、頭をよせる。
「まず第一は、午前八時、名前のわからない十二、三歳の少年が、電車にはねとばされそうになった小学校一年生の女生徒を、踏切で助けようとして自分がはねとばされ、重傷を負いました。これは小田急沿線登戸附近の出来事です」
「それはちがうね」
 と、大江山課長は一言で、首を横に振った。
「は、ちがいますか」
「時間が午前八時では、千二少年は、まだ外に出ていないではないか」
 正にその通りである。
 その時刻なら千二少年は、まだ警視庁の留置場にいた。
「なるほど。これは私としたことが、ぼんやりしていました」
 と、佐々は頭をかきながら、また帳面をめくった。
「はい、ありました。これは午後一時です。十四歳になる竜田《たつた》良一と名乗る少年が、リヤカーに乗ったまま、昭和通で自動車に衝突、直ちに病院にはいりましたが、この原因は、信号を無視したためです。直ちに、主人に知らせたので、主人は、店員と共に駈けつけ、目下、看病中――というのがあります」
「それもいけないね」
「はあ、名前がちがっていますが、もう一度しらべ直してみませんと……」
「主人や店員が来て、落ちついて看病しているのなら、ほんとうの店員竜田良一で、千二少年が偽名しているわけではない」
「なるほど。これもだめですなあ。では、こういうのがあります。あ、これだ」
 と、佐々刑事が、大きな声を出した。
「うむ、早く読め!」
 大江山課長は、思わず体を前に乗出した。
「午後九時四十分のことです。千葉県から出て来た十三歳になる少年が、大川端から投身自殺《とうしんじさつ》――はて、おかしいぞ。大川端から、投身自殺をはかった年若い婦人があるのを、交番へ知らせるとともに、自分も飛込み、巡査と協力して助けた。いや、これは少年のお手柄だ。千葉県から、杉の苗木を積んで、東京へ売りに来たその帰り道での出来事だった」
「なるほど、それから……」
「それから――人命救助の表彰の候補者として、この少年宮本一太郎を――あっ、やっぱりいけません」
「何だ。早く名前を読めばいいのに」
 これもだめであった。
 その日、少年に関係のある事件三つが、いずれも千二少年には関係のないことがわかって、大江山課長は、がっかりしてしまった。
 佐々刑事は、きまり悪そうな顔をして、同僚のうしろへ、こそこそと姿を消しながら、
「ちぇっ、きょうは、あたまが悪いや。しようがない、すこし遅いが、これからライスカレーを作り直すことにするか」
 佐々刑事は、ライスカレーをうんと食べて、頭をよくしようと考えた。
 その時交通[#「交通」は底本では「交番」]|掛《がかり》の主任が、課長の前へ進み出た。さっきから何が気になるのか、もじもじしている主任であった。
「ええ、課長。これは、あまりたいしたものではありませんが、御参考までにお耳に入れておきます。申し上げない方がいいのですが、後で万一関係があったということになりますと、申訳がありませんので……」
 と、いやに気の弱い言いかたをして、大江山課長の顔をじっと見た。
「なに、参考になることなら、どんどん報告したまえ。引込んでいることは、ないじゃないか」
 課長は、少しいらいらした気持で、この遠慮ぶかい主任をうながした。
「は、それではお話いたしますが、実は、お昼ごろのことでしたが、スピード違反の自動車がありましたので、これを白バイで追跡いたしました。すると、運転台に、妙な顔をした運転手と、そのそばに一人の少年が坐っているのを見ました」
「なあんだ。少年の助手は、このごろ、いくらでもいるよ」
「ところが、少し変なことになったのです」
「あまり、もったいぶらないで、どんどん先を話したらいいだろう」
「は、つまり、自動車は、脱兎の如く逃走いたしました」
「逃げたとは、変だな。白バイは、何をしていたのか」
「いえ、自動車が、猛烈なスピードをあげて逃げてしまったのです」
「逃しては、話にならないね」
「ところが、追いついたのであります」
「どうも君
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