見ると、そのまま通りすぎることが出来なくなって、自動車の窓のところから、内部をのぞきこんだ。
 美しいスピード・メーターがついているし、ハンドルも、黒光りにぴかぴか光っていて、まだ倉庫から町へ走り出して間もない外国製の自動車であることが、千二にもよくわかった。
「ふうん、ずいぶん、りっぱな自動車もあればあるもんだなあ」
 彼は、ガラス戸におでこをこすりつけながら、思わずひとりごとを言った。
「ああ、ぼっちゃん。少々ごめんなさい」
 不意に、千二のうしろで声がした。
 千二は、きまりが悪くなった。振りかえって見ると、そこには、からだの大きな、そうしてきちんとした服と帽子に身なりをととのえた運転手が立っていて、扉についている取手《とって》を、がたんとまわすと、その扉をあけた。
 この運転手は、運転台へ乗りこむつもりであることが、よくわかった。
「ぼっちゃん、これに、乗せてあげようかね」
「えっ」
「乗りたければ、乗せてあげるよ」
 千二のうしろに立っていた運転手は思いがけないことを申し出た。
「だって、僕は……」
 千二は、乗りたいのは山々であった。しかし、せっかく警視庁から放免されたところである。へんなことをして、また間違いをしてはならないと、乗りたい心をおさえたのであった。
「いいから、お乗りなさい。さあ、早く、早く」
 千二は、運転手に腕をつかまれたまま、車内の人となった。
 はじめから、このりっぱな自動車に乗りたい心であったが、これでは、何だかこの運転手のため、無理やりに、運転台へ乗せられてしまったようなものである。
 千二は、何だかちょっと不安な気もちになった。そういえば千二の腕をつかんだ運転手の力は、あんまり力がはいり過ぎて、こっちの腕が折れそうであった。
「動くよ」
 運転手は、しわがれた声で言った。
 すると自動車は、たちまち勢いよく公園のそばを離れた。そうして日比谷公園の角を右へ折れると、芝の方へ向かってスピードをあげた。
「すごいスピードだなあ」
 千二は、感心して、運転台のガラスから、商店や街路樹や通行人がどんどん後へ飛んでいくのを、おもしろく見まもった。
 だが、しばらくいくと、変なことが起った。
 それは、白いオートバイが、後から追いかけて来たことである。そうして、千二の乗っている自動車の前を通り過ぎると、うううっと、すごい音のサイレンを鳴らした。オートバイの上には、風よけ眼鏡をつけた逞しい警官が乗っていたが、手をあげて、こっちの自動車に「とまれ!」の合図をした。
(ははあ、この運転手さんがスピードを出し過ぎたから、それで、おまわりさんに、ストップの号令をかけられたんだな。かわいそうに、この運転手さんは、おまわりさんに叱られた上、罰金をとられるだろう)
 と、千二は気の毒になって、運転手の方をふり返った。
 すると、運転手は車をとめるかと思いの外、車外の警官をじっと睨《にら》みつけると、かえってスピードをあげて、たちまちオートバイを追越した。
 千二は驚いた。
 白いオートバイの警官からストップを命令されたのにもかかわらず、自動車は彼を乗せたまま、ぐんぐんスピードをあげて逃出したからだ。
「ねえ、運転手さん。おまわりさんが、ストップしろと命令しましたよ。早くとめないと、大変ですよ」
「おだまり、千二!」
「えっ!」
 千二は、また驚いた。
 運転手から、彼の名を呼ばれて、二度びっくりであった。
「運転手さんは、どうして僕の名を知っているんですか」
 と千二は、となりに並んで腰をかけている運転手の顔を見た。
 運転手は、中腰になって、正面をにらんでいた。車は、町の信号も何もおかまいなく、怒れるけだもののように走っていく。
 その時千二は、運転手の横顔を見て、心臓がとまるほど驚いた。
「あっ、丸木さんだっ!」
 丸木だ! 怪人丸木だ! 運転台でハンドルを握っているのは、この前千二がひどい目にあわされた怪人丸木であったのだ。
「静かにしろ、お前が、そばからうるさいことを言うと、この自動車のハンドルが、うまくとれやしない。もし衝突でもしたら、大変じゃないか」
 丸木も、かなり、あわてていることが、彼の言葉によって、よくわかった。
「でも、丸木さん。おまわりさんにつかまると、大変なことになるから、早く自動車をおとめよ」
「いや、とめない。もしとめると、わしは、また人間を殺すだろう。なるべく、手荒いことはしたくないからなあ」
 そう言って丸木は、スピードをさらにあげて、芝公園の森の中に自動車を乗入れた。
 芝公園の森の中にとびこんだ自動車は、小石をとばし、木の枝をへし折って、森かげをかけぬける。
 公園の出口が見えた。
 非常召集の命令が出たとみえ、森の出口のところには、棒をもった警官隊がずらりと人垣をつくって通せん坊をしているのが見えた。
「あっ、あぶない!」
「なに、かまうものか。向こうの方で、この車に轢かれたがっているのだから」
 怪人丸木は怒ったような口調で、このような言葉を吐くと、あっという間に自動車を、その人垣の中におどりこませた。
「ああっ!」
 千二は、もう目をあけていられなくなった。彼は、両手で自分の目をふさいだ。
 自動車の前のところへ、何かぶつかったような音を聞いた。車体はぎしぎしとこわれそうな音を立てた。
 だが、千二が、ふたたび目をあけてみると、自動車は、相かわらず、すごいスピードで町を走っていた。
「どうしたの、丸木さん」
 と千二は、とてもしんぱいになって、丸木にたずねた。
「こら、だまっていろというのに。――もうすこしだ。下りるかも知れないから、もっとわしのそばへよって来い」
「えっ」
「はやく言いつけたとおりにしろ。さもなければ、お前の命がなくなっても、わしは知らないぞ」
「いやです。ま、待って下さい」
 自動車は、その時さびしい坂道をかけあがっていた。人通はない。
 その時、自動車は、くるっと左へまがって、きり立ったような坂をのぼり始めた。その時千二は、その坂道の行手に、「危険! とまれ! このうしろは崖だ!」と書いてある立札が、立っているのを見た!
 警報によりオートバイの警官はふえ、隊をなし、怪人丸木と千二少年ののった自動車を追いかけたが、やっと追いついてその自動車の姿を見ることが出来た時には、警官たちは心臓がぎゅっとちぢまるような恐しい光景にぶつかった。
「あっ、あぶない!」
 それは、例の「危険! この先に崖がある!」の立札が立っている坂道横町へ曲ったとたんのことであった。
 見よ、その時ちょうど丸木たちの乗っている自動車は、すでに、坂をのぼりきり、つきあたりのところに立っていた柵をがあんとはねとばし、車体は腹を見せ、砲弾のごとく空中に舞上っていた。
「あっ、崖から飛出した! もう、だめだ」
 警官隊は、オートバイをそこへころがすと、一せいに飛下り、息をとめて、大椿事《だいちんじ》を見まもった。
 自動車は、そのまま右へ傾き始めたが、その時、意外なことが起った。
 それは、自動車の運転手席の左の扉がさっと開き、そこから怪人丸木の上半身が、ぬっと出て来たのだった。
「あっ、あいつ、やっぱり逃げおくれたんだな。かわいそうに、もう飛下りたって、どうもなりゃせん。どっちみち、死ぬばかりだ」
 丸木は、この時、なぜ自動車の扉をあけて上半身を乗出したのか。警官たちには、丸木が逃げおくれたものとしか思われなかった。
 空中をもがく自動車は、頭の方を下にすると、そのまま落ちていった。丸木は、まだ助るつもりか上半身を乗出して、死にものぐるいであたりを見まわしている。
「うっ、かわいそうに、見ちゃおられないなあ」
「とても、助る見込はない」
 警官たちも、ひどく同情した。
 崖から、まっさかさまに落ちていくその自動車には、千二少年も乗っているはずであった。丸木が死ぬのは、自らまねいた罰で、仕方がないとして、かわいそうなのは千二少年であった。
 警官たちは、崖のところにしがみついて、自動車がこれからどうなるかと、はらはらしながら見まもっている。
 この崖は、高さが七、八十メートルもあった。ちょうどま下は原っぱで、その向こうには、川が流れていた。川といっても、大きいどぶ川ぐらいのもので、川幅もせまく、深さもいくらでもなかった。丸木のしがみついている自動車は、どうやらこの川のうえに落ちそうに見えた。
 やがて、どうんと大きな音が聞えた。
 それは、丸木の自動車が、川のすぐそばの堤のうえに落ちて、ガソリンタンクがこわれると同時に火を発したためであった。川の中に落ちるかと思ったのに、それよりもずっと手前に落ちたのである。
「あっ、焼けるぞ、自動車が。おい皆、すぐ、あそこへいって、火を消すんだ」
 崖のところに腹ばって下を見ていた警官たちは、号令一下、すぐさま起上って、またオートバイにうち乗った。今度は下り坂で、車がすべろうとするのを、一生けんめいにブレーキをかけながら、隊伍堂々と下へ下りていった。
 あの恐しい墜落ぶり、そうしてあのはげしい火勢では、乗っていた者は、だれ一人として助るまいと思われた。
 自動車は、赤い焔と黒い煙とにつつまれて、はげしく燃えつづける。そのガソリンの煙が、大入道のようなかっこうで、だんだん背が高くのびていった。このさわぎに、駆けつけた近所の人たちも、その煙の行方をあおぎながら、
「ああ、あんなに高くなった。蟻田博士の天文台の屋根よりも、もっと高くなった」
 と言って指をさした。なるほど、その崖の上に、あの奇妙な形をした、蟻田博士の天文研究所のまるい屋根が霞んでいた。


   14[#「14」は縦中横] 恐《おそろ》しい日


 窓の外に、そのような椿事《ちんじ》がひきおこされているとはつゆ知らず、天文研究所では、蟻田博士と新田先生とが、しきりにむずかしい勉強をやっていた。
「おい、新田」
 と、博士が、めずらしくやさしい声で、新田先生を呼んだ。
「はい、ただ今」
 新田先生は、そう言って、自分の席を立上ると、博士の机の前へいった。
 博士の大きな机の上は、本とノートとで一ぱいだ。まるで、本の好きなどろぼうがはいって散らかしたように、机の上には、ページをひらいた本の上に、また他の本がひらいて置かれ、そのまた上に、ノートがひらいてあるという風で、ほんとうの机よりも十センチぐらいは高くなっている。だから博士は廻転椅子をぐるぐるまわして、だんだん椅子を高くして、坐っている。
 新田先生が、机の上をのぞこうとしたというので、博士は、またどなりちらした。困った博士である。
 新田先生は、二、三歩後へ下って、ていねいにおじぎをした。
「どうも、失礼いたしました」
「お前は、どうもけしからんぞ。わしのやっていることを盗もうとして、いつもどろぼう猫のように目を光らせておる」
「どうもすみません」
 新田先生は、博士が病気のため気が立っていると思うから、なるべくさからわないようにしている。
 それを見て、博士は、また少しきげんを直し、
「せっかく、わしがお前をえらくしてやろうと思っているのに、お前は……」と言いかけて、後は口をもごもごと動かし、「あのなあ、お前が知りたいと言っていた、地球とモロー彗星とが衝突する日のことじゃが……」
 新田先生は、思わず、全身に電気をかけられたように思った。蟻田博士が、どうやら、ついに地球とモロー彗星との衝突する日のことについて、話そうとしているらしい。
「はあ、はあ」
「なにが、はあはあじゃ。もう、教えてやろうかと思ったが、やっぱり教えないでおくか」
 博士は、どこまでも意地悪で、つむじまがりであった。こういう人につきそっている新田先生の気苦労と来たら、たいへんなものである。教え子の千二少年をたすけ、そうして博士だけが知っているところの、今地球に迫りつつある、恐しい運命について知るために、新田先生は辛抱して、この天文研究所におきふししているのだった。
「教わりたくないのか。だまっていては、わからんじゃないか。おい、新田」
「は、はい」
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