にわか》にざわめきたった。そうして首をのばし、目をみはって、その気味のわるい色をした鞭のようなものをみつめた。
「課長。これは一体、何ですか」
 部下の一人が、たまらなくなって、課長に質問を放った。
「さあ、お前たちは、これを何だと思うかね」
 大江山課長は、机の上にのせたその気味のわるい青い鞭のようなものを指して、周囲に集った警官たちの顔を、ずっと見まわした。
「はて、何でしょうかね」
「一種の紐だな」
「どこかについていた紐が、ちぎれたのじゃありませんかね」
「どうもわからない。とにかく、いやらしい青い色だ」
 課長について千葉へ出張していた部下たちも集って来て、皆の説をおもしろげに聞入る。千葉で拾って以来、一体これは何だろうかと、さかんに議論をやったらしい。
「ねえ、課長。それは、火星の化物の遺失物ですよ」
 とつぜん、大きな声でどなった者がある。それは、いつも元気のいい佐々《さっさ》刑事であった。遺失物というのは落し物とか、忘れ物とかいう意味であった。
「よう、佐々、お前はなかなか目がきくぞ。今日は、特製ライスカレーを食べたんだな」
 一座は、どっと笑った。
 佐々刑事と特製ライスカレーの関係は、庁内でたいへん有名であった。彼はずっと前、或る事件のため、一年近く遠く南の方に出張していた。わが南洋領の諸島を廻り、それから更に南下して、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベスという四つの大きな島をぐるぐる廻って来た。そのとき彼は、みやげにカレーの粉を石油缶に五杯も持って帰り、同僚にも分け、もちろん大江山課長にも呈上した。残りは、大事にしまってある。そうして、時々そのカレー粉を出してニウムの鍋にとき、自分でライスカレーを作って食べる。
 それが有名な佐々の特製ライスカレーだが、それについてまだ話がある。
 彼は、特製のライスカレーを、うまそうに食べる。七分づきの御飯は食堂からとりよせるのであるが、この上にぶっかける黄色なカレーの汁の中には、いろいろなものがはいる。鳥のこともあれば豚の時もあり、じゃがいものはいっていることもあれば、玉葱《たまねき》のはいっていることもある。
 なおその上に、彼はいろいろな香の物をきざんで、混ぜあわすのである。黄色く押しのかかった古漬の沢庵や、浅漬のかぶや、つかりすぎて酸っぱい胡瓜や、紅しょうがや、時には中国料理で使う唐がらし漬のキャベツまでも入れる。香の物は、なるべくたくさんの種類がはいっているのがいいそうである。
 ぽっぽっと、湯気の立つ皿の上をながめて、彼は、まだ食べない先から、盛に、ごくりごくりと唾をのみこんでいる。
 こうして用意がすっかり出来る。そこで彼は大きなため息を二つ三つして、はじめて瀬戸物製の大きなスプーンを左手に握るのである。彼は、左ききである。
「ああ、これゃ熱くて、口の中が火になるぞ!」
 彼は、頬をふくらませて、皿の上にもうもうと立昇る白い湯気を、ふうっと吹き、そうして山のように盛上ったライスカレーへ、左手に握った瀬戸物のスプーンをぐさりと突立てるのである。あとはただ夢中で、馬のように食う。――これをやると、佐々の頭は、急にたいへんによくなるそうである。
 当人はそれでいいが、迷惑をするのは机を並べている同僚だ。なにしろ、これだけのカレー料理を、佐々は自分の机の上で作るのである。誰がなんと言っても、彼は、断然自分の机の上で作る。そのために、彼のカレー料理が始ると、捜査課の中は、カレーのにおいがぷんぷんする。時には、警視庁の建物全体がカレーくさくなる。
 佐々刑事の自席料理のため、恐るべきカレーの毒ガスが、警視庁のどの部屋といわず、どの廊下といわず、はいこんでいくのであるから、これまで幾度も問題になった。
 だが、当人は、何と言われようと平気であった。この特製のカレー料理を食べると、元気が出て頭がよくなる。その結果、犯人を早くつかまえることが出来る。そうなれば、警視庁のために喜ばしいことである。だからライスカレーの手製はやめられない。――というのが佐々刑事の言分《いいぶん》であった。

 とにかく彼は、だれからなんと言われても、一向気にしないたちだった。そうして思ったことを、どんどんやっていく。だから、成功することも多かったけれど、失敗することもまた多かった。
 失敗したときは、彼はちょっとはずかしそうな顔をして、自分の首すじを平手でとんと叩く。が、いつまでも悲観しているようなことがなく、間もなく猛犬のように立ちあがる。そうして目的へ向かって突進する。機関銃の弾丸みたいな男であった。
 佐々刑事のことを、私はあまり長く書きすぎたようである。
 大江山課長の机の上に置いた青い鞭のようなものを見て、
(それは、火星の化物の遺失物だ!)
 と言った佐々の言葉は、たしかにあたっていた。
 その青い鞭のようなものは、大江山課長が、天狗岩の附近から拾って来たものであるが、全くめずらしい品物なので、果して火星の生物が、天狗岩のところへ来ていたとすると、それが落していった、と考えると、一応話のつじつまが合うのであった。
 だが、火星の生物の遺失物であるのはいいとして、それがどんな用につかわれる品物か、それがよくわからない。
 火星の生物が、天狗岩の附近に落していった青い鞭のようなものは、一体何に使う品物か、謎を秘めたまま大学へ送られることとなった。
 つまり、大学へ持っていって、材料や形などから、それがどんな用に使われる品物かを、研究してもらうためだった。
 大江山課長は、一通りの報告を終えたあとで、次のような注意を、部下一同に与えた。
「はじめ、蟻田博士が、火星の生物に注意をしろとか、火星兵団というものがあるから気をつけなければいけないなどと言出した時には、私は、何を言うかと、実は、博士を気が変な人あつかいにしていたが、その後、つづいて起ったいろいろの怪事件――と言うと、千二少年が天狗岩で会った怪塔・怪物事件、怪人丸木が銀座でボロンを買うため殺人を犯した事件、それから千二の父親千蔵が、見て大怪我をしたという火柱事件などであるが、それらの事件を通じて、よく考えてみると、どうもこれは何かあるらしいのだ」
 と言って、課長は、あらためて、部下一同の顔を、ずっと見廻した。一座は、しいんとなって、課長の口から出て来る稀代の怪事件に関する、一言一句も聞きもらすまいとしている。
 大江山課長は、言葉をついで、
「確かに、何かがあるのだ! 果して、これは火星の生物か、火星のボートかわからないけれど、とにかく前代未聞の怪しいものが、東京附近へまぎれ込んだことだけは、疑う余地がない」
 課長は、そこで、溜息をついて、
「それでわれわれは、ここで一大決意を固めなければならないと思うのだ。それは、一日も早く、この前代未聞の謎をつきとめることだ。この解決の近道は、目下行方不明の怪人丸木を逮捕することにあると思う」
 大江山課長は、重大決意のほどを、部下一同に語りつづける。
「もう一度言う。この際一日も早く、怪人丸木を捕えよ。そうして、捜査に当っては、仮に火星人なるものが、我々の住んでいるこの地球へ紛れこんでいるものとして、ぬかりなく用意をととのえるのだ。これまでに次々と起った事件をふりかえってみると、怪人丸木にしても、火星人にしても、かなり狂暴性を発揮している。だから、お前たちは必ずめいめいにピストルか催涙弾《さいるいだん》を身につけておれ」
 これを聞いていた一同は、深刻な顔つきでうなずいた。めいめいに、ピストルか催涙弾を身につけておれ、などという命令は、共産党本部へ突入した時の外《ほか》、受取ったことがない。
「課長、彼等を殺してしまっては、何にもならんじゃないですか。ぜひ生捕《いけどり》にしろと、なぜ命令しないのですか」
 佐々刑事は、いささか不満の顔つきであった。
「うん、生捕に越したことはない。だが、彼等は、我々の決意を知ると、将来においては、もっと狂暴なふるまいをするだろうと思う。君がたに命がけで活躍してもらいたいことはもちろんだが、しかし一方において、私としては、ここにいる君がたのうちの一人でもを、冷たい骸《むくろ》にするに忍びない。だから十分用意をととのえるように」
 悪人たちからは、鬼課長として恐しがられている大江山警視だったが、部下の身の上を思うその言葉の中には、限りない慈愛の心があふれていた。
「おれは、必ず生捕ってみせる。おれも生き物なら、相手だって、生き物なんだから。生き物の息の根をとめるには、こうしてぐっとやれば、わけなしだ」
 と、佐々は柔道の手で締めるまねをした。
 怪人丸木と火星の生物との検挙命令を発しおわった大江山捜査課長は、その時、急に思い出したらしく、
「おおそうだ。あの子供は、どうしているかね。千二少年は?」
 と、かたわらを向いてたずねた。
「ああ、千二少年ですか。あれは……」
 と言って、掛長が、あとのことばを、口の中にのんだ。その刹那に、掛長は、鋭敏に、何ごとかを感じたようであった。
「あれは! あれは、どうかしたのか」
 と、大江山課長も席から立って、掛長のそばによった。
「あれは、今朝、放免いたしました」
「なに、千二少年を留置場から出したのか。ほう、一体、誰が千二少年を出せと命令したのか」
「これは驚きました。課長が、今朝ほど、電話をこちらへおかけになって、放免しろとおしゃったので、それで、出したようなわけですが、もしや課長は、それがまちがいであると……」
「大まちがいだよ、君」
 と、大江山課長は掛長の肩に手をかけて、ゆすぶった。よほど、あわてたものらしい。
「おい君。私《わし》は、そんな電話をかけたおぼえがないんだ。その話をくわしくしてくれたまえ」
「いや、それは驚きましたな」
 と、掛長は、あきれ顔でその先を語り出した。
 その話の要点は、つまり、今朝ほど、全く課長にちがいない声でもって、電話があったというのに過ぎなかった。その声も、言葉のしゃべり方も、全く課長にちがいないので、
「すぐ千二少年を放免しろ」というその命令にしたがったのだという。その話を聞いて、大江山課長の顔は、急に青くなった。


   13[#「13」は縦中横] りっぱな自動車


 千二少年は、どうなったろうか。
 その朝、彼は、突然ゆるされて、留置場を出た。
「おい、千二君、もう二度と、こんなところへ来るのじゃないよ」
 と、佐々刑事が言った。
「ええ、もう二度と、来やしませんよ。だいいち、今度だって、僕は何にもしないのに、まちがって、こんなところに入れられたんですからね」
「まちがって入れられた、などと思っていちゃ、いけないよ。だって千二君、君の連《つれ》の丸木という男は、確かに人を殺して逃げたんだからね」
「でも、僕は、何にもしないのです」
「何にもしないかどうか、証拠がないから、はっきり身のあかしが立たないじゃないか。とにかく、課長からすぐ放免せよという電話でもなかった日には、まだまだ共犯のうたがいでもって、ここへ止めおかれるところだよ。くれぐれも、これからのことを注意したまえ」
「はい」
「あの丸木なんかと、一しょに、悪いことをやるんじゃないよ。それから一つ、君にたのんでおくが、もし君が、どこかで丸木を見かけたら、すぐこの私《わし》のところへ、知らせてくれ。どこからでもいいから、電話をかけてくれればいいんだ。ほら、この名刺に電話番号が書いてある」
 千二は、佐々にいろいろと、たしなめられたり、たのまれたりして、警視庁を出ていったのである。
 そこは、桜田門のそばであった。千二はふたたび自由の天地に放たれたことを喜び、まるで小鳥のように、濠端をとびとびしながら、日比谷公園の方へ駈出していった。
 公園の垣根のところまで来ると、千二は、そこに一台のりっぱな自動車が、運転者もいないで放りっぱなしになっているのに気がついた。

 公園のそばに、放りっぱなしになっている無人自動車は何であったろうか。
 千二は、人一倍機械なんかが好きであったから、このりっぱな自動車を
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