です。歴史も、文化も、みんな煙と化して、なくなってしまうのです」
「仕方がないよ。人間の力は、とても自然の力には及ばない。それともお前は、人間が、そんなえらい生きものだと思っているかね。列車を走らせたり、ラジオで通信したり、戦車を千台も並べて突撃させたりは出来るだろうが、宇宙にみなぎる力に比べれば、そんなことは、ほんのちっぽけな力さ」
 なるほど、大宇宙の中で、地球とモロー彗星とがぶつかるその大きな力に比べると、大砲の威力も、爆弾の破壊力も、まるで大男に蚤が食いついた程の力にも値しないことは、よくわかる。新田先生は、もうその後を尋ねる元気もなくなった。
「どうだ、新田。いよいよ地球の文明も、これでおしまいになるよ。人間どもは、日ごろこの宇宙の中で、一等えらいもののように思っていたろうが、これで、いかに弱いものだか、わかる日が来るのじゃ。全く、気の毒みたいなものじゃ」
 と、蟻田博士は、自分だけは人間でないような口ぶりであった。
 新田先生はそれを聞いて、いやになってしまった。自分の足の下にふまえている地球が、こわれてしまうなんて、とんだことになったものである。しかも、その地球がこなごなにこわれることを、じっと見ながら死んでいくのだ。なんという恐しいことであろうか。
(全く、こうなると、人間というものの力は、ずいぶん小さいものだ。蟻が人間の指の下で、おしつぶされるよりも、もっと簡単に、人間たちは、モロー彗星の衝突で、みな殺しにされてしまうのだ。ああ、なんというみじめな人間の力であろうか」
 新田先生は、心の中で、泣きの涙になっていた。
「さあ、そうなると、わしも、新しい仕事が出来て、いそがしくなったぞ」
 と、蟻田博士は、手を後に組んで、落着かない様子で、部屋をあちこちと歩き廻る。
「まず、第一に用意しておかなければならないことは、地球の最期《さいご》を映画にうつして、後の世まで残しておくことじゃ。はて、どうしてそれをやりとげたらいいじゃろうか。これは、なかなかむずかしいぞ」
 博士は、ひとりごとを言って、また歩き廻る。
 新田先生は、不審《ふしん》の面持だ。
(地球の最期を映画なんかにおさめたって、どうにもならないではないか。なぜといって、地球そのものが、モロー彗星の衝突で、煙のように消えてしまうのだから。へんなことをいう博士だ)
 そう思って、蟻田博士の方をじっと見ていると、博士は、そんなことは一向気にかけない様子で、今度はしきりに天体望遠鏡をのぞきこんでいる。
「ほう、モロー彗星の形がだいぶん変って来たぞ。なるほど、これで観測の結果が正しいことがわかって来た」
 博士は、やがて地球がこわれ、そうして自分も死ぬことが、さらに気にならないらしい。そういう落着きは、学者だからそうなのか、それとも又別にほかのわけがあるのか、今のところ、どっちともわからない。
「もし、蟻田博士」
「なんじゃ。大事なところじゃ。あまり口をきくな」
「だって、そういう大事件が迫っていると聞けば、もっと詳しく博士から伺っておきたくなります。博士。一体モロー彗星が、地球に衝突するのは、何月何日のことですか」
 新田先生は、モロー彗星が地球に衝突する日までが、なるべく長いことを祈りながら、最も大事なことを博士に尋ねた。
「衝突の日のことか。つまり地球最期の日は何月何日かと聞くのじゃな。ふふふ、それはなかなか重大問題じゃ。うっかり答えることは出来ない」
「博士。ぜひ教えていただきたいです。それによって、僕たちは、用意をしなければなりません」
「なに、用意をする? 用意って、なんの用意をするのか。お前たちがどんな用意をしようと、結局むだなことじゃ。おとなしく死んでしまうがいい」
 博士は、地球とモロー彗星との衝突する日を、なかなか言おうとはしなかった。新田先生は、ますますいらいらして来るのだった。
「もし、博士。なぜそれをおっしゃって下さらないのですか」
「まあ、いいよ。そんなことを聞いても、なんにもなりはしない」
 博士は、頑として言わなかった。
「まだ一年ぐらい先ですか」
「さあ、どうかな」
「それとも一箇月後でしょうか」
「さあ、どうかな」
 博士は、同じことを言いながら、望遠鏡にしがみついている。
「どうしても、おっしゃって下さいませんか。では、よろしい。僕は、誰かほかの天文学者のところへいって、それを聞いて来ます」
 新田先生はとうとうおこってしまった。いつもは決しておこらない先生だったが、地球が粉みじんになるという恐しい話を聞いたので、少し取りみだしたかたちであったと、先生のために言いわけをしておきたい。
 それを聞くと、博士は初めて望遠鏡から目を離した。そうして新田先生のそばへ近づき、両手を後に組んで、若い弟子の顔をのぞきこむようにして、
「はははははは、お前は、この師の学力が、どんなに大きく、かつ深いものであるかを知らないとみえるのう。まあ、やってみるがいい。誰のところでもいい、天文学者という学者のところを歴訪して尋ねてみるがいい。恐らく、それに答えてくれる学者は、一人もいないであろう。いや、第一、モロー彗星が地球に衝突することすら、誰も気がつかないであろう。ふん、自慢じゃないが、世界広しといえども、わしよりえらい天文学者は、ただの一人もいないのじゃ」
 そう言って、蟻田博士は、ここちよげに、からからと笑った。
 蟻田博士の、恐るべき自信!
 モロー彗星と地球とが、やがて衝突するだろうことを知っているのは、世界広しといえども自分一人だと言う。
 あまりにも、大きなことを言いすぎるではないか。
 だが、新田先生は、博士が大ぼらを吹いているのだと、一がいには、きめられないと思った。なぜなら、博士が実にすぐれた学者であることは、その昔、博士の下《もと》で助手のようなことをしていたので、そのころからよく知っている。そのころアメリカのウィルソン山の天文台に、テーラーという博士がいたが、その人こそ、その頃における世界一の天文学者だった。そのテーラー翁がなくなるすこし前に、蟻田博士のところへ一通の手紙が来た。新田先生も、あとでその手紙を見せてもらったけれど、その文中にこんな文句があった。
(ああ、自分は、初めて安心ということを知った。それは自分の亡きあと、あなたのような天才的天文学者がいるから、天文学については、心配がいらないということを発見したからである。蟻田博士よ、どうかあなたは世の中の評判を気にしたり、またえらくなったり、金持になったりすることを願ったりしないで、一命をただひたすら学問のために捧げてもらいたい。世の中からわる口を言われても、学問の上のことでは、決して、弱くなってはいけない。そうすることが、世界人類のため、真の幸福をもたらす道であるからである)
(自分は恐れる。あなたの上に、あるいは、世間の非難が集中する時が来るのではないかと。なぜなれば、あなたはきっと、オリオン星座附近に横たわる、千古の秘密について興味をもち、そうしてついに一つの恐しい答えを得るかも知れないからだ。その恐しい答えこそ、世界人類が常日頃願っている幸福をにぎりつぶし、大暗黒を与えるものであるかも知れないからだ)
 テーラー老博士の手紙の中には、こうした意味ぶかい文句があったのである。

 モロー彗星と地球との衝突は、もうさけることの出来ないものだ――と、蟻田博士は信じきっている。だが、その衝突が、いつ起るのやら、それについては、口をかたくむすんで、語ろうとしない博士だった。
 新田先生は、どうかして、その衝突の予想日を、博士から聞出したいと、あれやこれやと、手を考えた。
「もし、博士。僕にもお手伝をさせて下さい。モロー彗星の位置の計算でもやりましょうか」
 すると、博士は笑って、
「ふふん、お前なぞにそんなむずかしいことが、出来るはずがないよ。手伝ってくれるというのなら、この望遠鏡で、モロー彗星の様子にかわりがないか、それを気をつけていてくれないか」
 そう言って、博士は望遠鏡を新田先生にゆずった。
 もちろん博士は、その望遠鏡の使い方について、一通りのことを新田先生に、教えてやらなければならなかった。また、モロー彗星が、これまでどんな風に形を変えていったか、それについても、写真や観測表でもって、大体の知識を入れてやらねばならなかった。おかげさまで、新田先生は一気に最新の天文学をのみこむことが出来た。
 そこで、新田先生は、ひとりで、望遠鏡を動かすことになった。
 ただ残念なことには、モロー彗星のいるところが、今ちょうど太陽面の近くにあり、そのうえ雲が邪魔をしているので、はっきり見えないことだった。しばらく時間をまつよりほか、仕方がない。
 その代り、新田先生は、望遠鏡をいろいろと動かして見ることが出来た。博士が世界一を誇るだけあって、じつにすばらしい明かるい望遠鏡だった。そのうちに、新田先生は、異様なものを、望遠鏡の中にとらえた。


   12[#「12」は縦中横] 三つの獲物《えもの》


 湖畔に起った怪事件を取調べるため、かねて千葉へ出張中だった大江山捜査課長は、一日向こうに泊り、その翌日の夕刻、東京へ帰って来た。
 帝都は、今ちょうど暮れたばかりで、高層ビルジングのあちこちの窓には、電灯の火が明かるくかがやき、その下で、いそがしい仕事をかたずけるため居残りをしている社員たちの姿さえ、はっきり見られた。
「課長、すぐ本庁へ行かれますか」
 と、自動車の運転をしている警官がたずねた。
「ああ、すぐ本庁へたのむ」
 課長としては、こういうわけのわからない事件の報告は、なるべく早くすませておかないと、気が落ちつかないのであった。いってみてよかった。これまでに手がけた事件とちがって、全く妙ちきりんな事件である。警視総監も、さぞ驚かれることであろう。
 課長の乗った自動車は、お濠を右に見て、桜田門の向かいに立ついかめしい建物の玄関に着いた。この建物こそ、わが帝都を護る大きな力、警視庁であった。
 課長は、一旦《いったん》、自室へはいったが、すぐ席から立って、総監室へはいった。
 課長は、なかなか出て来なかった。彼が出て来たのは、それから約一時間もたった後のことだった。総監も、課長の報告によって事件の重大性に驚き、今後のため、いろいろと念入な打合わせが、行なわれたものらしい。
 課長が自席へ帰って来ると、それを見かけた佐々刑事が、課長のところへ飛んで来た。
「やあ、課長。ごくろうさまですなあ。で、その火星の火柱とか、火星の化物とかいう怪しいものの正体は、わかりましたか」
 課長は、それに返事をするかわりに、首を左右にふった。
「えっ、やっぱりわからないのですか。課長にもねえ」
 大江山課長は、溜息をついた。
 そうして佐々刑事に向かって、
「おい、皆にここへ集ってもらってくれ。千葉出張の獲物について報告をするから」
「ははあ、獲物についての報告ですか。獲物とは、そいつはすばらしい話だ」
 佐々は、大仰に驚いて、課内の幹部の机を一々走ってまわった。
 まもなく、課長の机の前後左右は、部下の主だった警官によって、ぐるっと取りかこまれた。
 課長は、そこで、いつになく深刻な顔つきで、一同をぐるっと見まわしたあとで、
「千葉へ出張して、掴んで来たことについて報告をする。結局獲物は、たった三つである」
 と言って、課長は、机の上を指先で、ことんと叩いた。
「その第一。火柱《ひばしら》の発見者で、そのために大怪我をした友永千蔵という男は、怪我をした場所がよくないらしいが、目下気が変な状態にある。どうにも、手のつけようがない。だが、怪我の方は、重傷ではあるが、致命傷ではないそうで、このまま死ぬ心配はない」
 課長はそこでちょっと口を切って、
「第二の収穫は、こういう拾い物だ」
 と言って、鞄の中に手を入れて、やがて机の上に放り出したものをみれば、木の葉蛙の背中のような、色のまっ青な、長さ一メートルあまりの鞭のようなものであった。
 課長を取りかこんでいた幹部警官たちは、俄《
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