にかく、だまされたと思って、出かけるか」
 蟻田博士は、そこに立ちながら医者や看護婦の顔色を用心ぶかくじろりじろりとにらみつつ、一歩一歩玄関の方へあるいていった。
 新田先生は、けわしい眼つきの蟻田博士を、なだめすかして、ともかく博士邸へつれもどった。
「けしからん。実にけしからん」
 と、ぶつぶつ言いどおしだった博士も、久しぶりに、わが家の前に下りたつと、急に機嫌がなおったようであった。博士は、すたすたと鉄門をあけて、邸内へはいっていった。番をしていた警官の一人が、おどろいたような顔をして、裏手からとびだして来たが、蟻田博士は、その方へ、じろりとけわしい目を向けた。
「け、けしからん。わしの屋敷を、刑務所にするつもりだな。わしはゆるせん」
 新田先生はまた困った顔をしたが、一しょについて来た警官が、番をした警官を呼んで、博士の相手にはならず、そのまま自動車に乗り、ぶうーつと警笛をあとに残して、帰ってしまった。
 それでも博士は、まだ心をゆるめず、
「おい、新田」
「はい」
「お前、そのへんを、よく見てまわれ。もし人間がいたら、どんな奴でもかまわないから、箒でぶんなぐってやれ」
「はいはい。承知いたしました」
 新田先生は、博士をこの上おこらせてはいけないと思い、博士の言われるままに、邸内をぐるっとまわってみることにした。
 裏手にまわってみると、博士の研究室になっている異様な形の天文台がある。
 屋根は丸くて、これが中で、モートル仕掛でうごくのである。そうして屋根は二つにわれる。その間から、博士のご自慢の反射望遠鏡が、ひろい天空をのぞくのである。
 博士の研究室には、りっぱな機械がそろっているが、その天文台の外は、庭一面、草がぼうぼうと生えている。ほとんど足をふみこむすきもないほどである。垣などはこわれたままである。
 蟻田博士の天文台のまわりを、新田先生は幾度か足を草にとられながら、廻ってみた。
 もちろん、誰一人として、そこにひそんでいる者はなかったし、警官の姿も見えなかった。
 新田先生は、天文台をひとまわりして、博士邸の表に出た。そうして、あらためて玄関をはいって、博士の姿を研究室に見出したのであった。
 蟻田博士は、新田先生に言いつけた見張のことなどは、もうすっかり忘れてしまったかのように、室内の機械を調べるのに夢中であった。
 壁の上に、ガラスにはいった自記機械があった。自記機械というのは、人が見ていなくても観測した結果が、長い巻紙の上に、インキでもって、曲線になって記録せられる機械である。例えば、室内の温度が一日のうちに、どう変ったかというようなことを知りたい時、人が寒暖計のそばにつききりで、一々水銀の高さを読んで記さなくとも、この自記機械にかけておくと、巻紙が廻るにつれ、ペンが長い曲線をかいて、室内温度がどう変ったか記してくれる。
 蟻田博士は、この自記機械をあけ、中から巻紙をひっぱって、それを見るのに夢中になっている。
「博士。よく見廻りましたが、もうお屋敷のうちには、誰もいませんですから御安心なさいませ」
 と、新田先生は、博士の後から、声をかけた。
 ところが、蟻田博士は、それには、返事をしない。
 そうして、なおも夢中になって、その自記機械から、巻紙|様《よう》のものを長くひっぱり出して見ている。その目は異様な光をおびていた。
「博士。それは、何を自記する機械ですか」
 新田先生は、博士の後に近づいた。
 博士は、新田先生に声をかけられ、びっくりしたようであった。
「誰かっ?」
 と、けわしい目で振返って見て、そこに新田先生が立っているのを見ると、
「なんだ、お前か」
「先生。お屋敷の内には、ほかに、もう誰もいないようでございますよ」
「そうか。だが、油断は出来ないぞ。もし誰かの姿を見つけたら、すぐわしに知らせるのだぞ」
 そう言いながらも、博士は長い巻紙を手に取って、自記曲線を見入っている。
「博士。それは何を測ったものなんですか」
 新田先生は、再び同じことを蟻田博士に尋ねた。
「これか」
 と、博士は、巻紙のような記録紙の上をぽんと手で叩いて、
「わしが留守にしている間に、大変な異常現象が起っていたんだ」
「えっ、大変な異常現象とは?」
「異常現象が起ったとは、つまり、この宇宙の中に、あたりまえでない出来事が起っていたんだ」
 博士の目の中には、いらいらした気持が、はっきりと見られた。それを見て、新田先生も、なにかしらぞっとした。
「博士。宇宙の中に、あたりまえでない出来事が起っていた、とおっしゃるんですか。それは、一体どんなことなんですか」
 博士は、なおも長い記録紙を、くりかえし広げて見ていたが、
「とにかく、これは地球始って以来の大事件が、近く起るぞ。というわけは、わしのかねて注目していた
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