大江山課長は、かざりけのない態度で、その時の苦しい立場を説明し、
「そこで、あなたにお願いというのは、蟻田博士を病院から出して、博士の屋敷へお帰ししますからしばらく博士の様子を見てくれませんか」
「はあ、様子を見ろとおっしゃいますと、どういうことですか」
新田先生は、課長の言う意味を問いただした。
「ああ、それは、こういう意味です。実は、われわれは、蟻田博士の言われることは、ありもしないことだと思っていたのです。しかし、こういうことになって、火星のボートか何か知らないが、ともかく妙なものが、やって来たり、飛んでいってしまったりするものですから、博士の言うところを、もう一度考え直してみなければなりません。そこで幸い、あなたが博士の門下生だということですから、あなたにお願いして、それを調べていただきたいのです」
と言って、課長は、ためいきをつき、
「こういう天文学のことなどになると、われわれ素人には、ほんとうのことか、うそのことか判断がつきませんのでね」
と、苦笑いをした。
新田先生は、大きくうなずいて、
「よろしい。そういうことなら、僕もおよばずながら、それをやってみましょう。そうすることは、同時に、旧師に対する門下生のつとめでもあるのですから。しかし、千二君は、なるべく早く出していただきたい」
すると、大江山課長は言った。
「これから千二君は、大事に扱うことにします。今すぐに出すわけにはいきません。が、これは別にわけがあるのです」
「別のわけとは、どんなことですか」
新田先生は、大江山課長の顔を見た。
「それは、例の怪人丸木が、まだつかまらないからです。千二君を外へ出したは、とたんに怪人丸木が現れて、千二君を、殺したはというのでは、かわいそうですからね」
「怪人丸木は、千二君を殺しましょうか」
「それは、新田さん、私たちが犯罪についての経験の上から言って、たしかに起りそうなことなんですよ。丸木については、千二君が一番よく知っているのですからね。千二君が、この警視庁から外へ出たことを、怪人丸木が知ると、必ず、少年を殺そうと思うに違いありません」
「なるほど。そういえば、そういうことになりそうですね。ああかわいそうに……」
新田先生は、気の毒な千二の身の上を思って、胸の中があつくなった。
「でも、課長さん」
と、新田先生は、しばらくして言った。
「あの怪人丸木は、火星のボートに乗って、もう逃げてしまったんではないのですか。あれもきっと、火星のまわし者かなんかでしょうから……」
すると、大江山課長は、首をかしげて、
「さあ、そこが大事のところなんですが、銀座事件があってから、まだ幾日もたっていないので、それは何とも言えません。私どもの経験によると、とにかく、ここ四、五日は様子をみていなければ、安心できません。その間に、丸木が、ひょっくり姿をあらわすかもしれないのです」
大江山課長は、火星のボートがいなくなったから、丸木も一しょに逃げたと、そうきめることは、まだ早すぎると思っていた。
新田先生には、どっちがほんとうだか、よくわからなかった。とにかく課長の頼みもあることだし、彼も前から、旧師蟻田博士のことが気にかかっていたところなので、その足で、蟻田博士に会いにいくことにした。
新田先生は、その足で、蟻田博士が入れられている病院へいった。
大江山課長は、両国駅にはいるのを一時見合わせ、病院へ電話をかけて、博士を出すように命令をした。そうして新田先生に、一人の警官をつけて、案内させた。
とつぜん退院のゆるしが下って、蟻田博士は、喜ぶやら怒り出すやら。
「けしからん奴どもじゃ。わしを、まるで囚人のように、こんなところへおしこめておいて、今になって、もう出てもよろしいとは、なんという、勝手な奴どもじゃ。わしを、一体なんと思っているのか」
その時、新田先生が、博士の前にいって御機嫌を取らなければ、博士はなおも、檻の中から出たライオンのように、あばれまわったことであろう。
「あっ、新田か。貴様まで、わしを変だというのか。け、けしからん」
「いや、蟻田博士。そういうわけではありません。もうただ今から、お屋敷にお帰りになれるのです。私がお供をいたします」
「ふふん、その手にはのらんぞ。そんなことを言って、貴様はわしを、またどこかの牢へぶちこむつもりなんだろう。弟子のくせに、けしからん奴じゃ」
「いえいえ、そうではありません。全くもって、私はそんなけしからんことはいたしません。さあ、御機嫌をお直しになって、お屋敷へお帰りのほどを」
蟻田博士は白いあご鬚をふるわせつつ、暫く新田先生の顔をじっとみつめていたが、
「おお、新田。貴様はわしをだますのじゃないだろうな。だましてみろ。――あとで、うんと、思いしらせてやるから。――と
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