めかけている人までが、親切な先生が、とおく来てくれたことを感謝した。
 その時、お医者さまの話では、千蔵がここにかつぎこまれて後ずっと人事不省《じんじふせい》になっていて、いくら注射をしても、気がつかないので、困っているということだった。
「それは、困りましたねえ」
 と、新田先生も、おなじことを言った。
 お医者さんは、千蔵の脈をじっとかぞえて首をかしげていた。
 氷ぶくろを持って来たり、こまごました用事をしていたのは、千蔵の家のとなりに住んでいる佐伯さんという人だったが、彼は、新田先生に向かい、
「この千蔵さんは、天狗岩の上で、ひっくりかえっていたんです。あのとおり大怪我をして、虫の息だったんです。出血多量というやつで、今朝がたに輸血までしたのですが、ここらで気がついてくれればいいのですがねえ」
 と言った。
 それを聞くと、新田先生は、
「では、千蔵さんは、なぜ怪我をしたか、まだそのわけを、だれにも話していないのですか」
「そうです。なにしろ千蔵さんが、人事不省のままここへかつぎこまれたのですから、よくわからないですが、とにかくお聞きでしたろうが、火柱にやられたらしいと噂しています」
 そう言っている時、お医者さまが、
「あっ、うまいぞ。口を動かしはじめた。注射がきいて来たのかもしれない」
 と言ったので、隣室につめかけている者も、それを聞いて、よろこびのこえをあげて、千蔵のまわりに集って来た。
「ああっ、ああっ」
 千蔵は苦しそうに声をあげ、そうしてうす目をひらいた。
「さあ、千蔵さん。しっかりするんですよ」
 と、お医者さまは、千蔵の手を、かるく叩いた。
「あっ、火柱《ひばしら》だ。湖の中から、火柱が飛出した。あっ、火柱が飛ぶ。火柱が飛ぶ」
 千蔵は、へんなことを口ばしって、そうして身もだえをした。
「おい、千蔵どん。気をしっかり持つんだよ」
「おい千蔵さん。わしが見えないか」
 素朴な近所の人たちは、気の毒な千蔵をとりまいて、しきりに声をかけた。
 お医者さまは、それをとどめて、
「ちょっとお待ちなさい。千蔵さんは、よほど興奮しているようですから、それがおさまるまで、また元のところで、しばらく様子を見ていて下さいませんか」
 そう言ったので、皆は元の隣の部屋にうつった。新田先生も、それについて、千蔵の枕元から去ったが、先生は、
「はてな」
 と言って、じっと腕ぐみをして、考えこんだ。それは、さっき千蔵が、うわごとのように言った言葉の謎を、どう解いていいかという問題だった。先生は、その言葉の中に、千蔵がその夜でくわしたおそろしい事件が、はっきり織りこまれているように思われるのである。
 新田先生は、病床にねている千蔵のうめき声を聞きながら、ふかい考えにしずんだ。
 さっき千蔵が言ったうわごとは、たいへん意味があるように思われた。
(火柱だ、湖の中から火柱が飛出した。あっ、火柱が飛ぶ!)
 これだ、これだ。
「そうか。うむ、そうかもしれないぞ」
 新田先生は、膝をとんと叩いた。先生は今千蔵のうわごとから、たいへんな意味を拾い出したのであった。
(火柱だ!)
 千蔵は、ゆうべ火柱をみたんだ。なぜ千蔵は火柱を見たか。それはいつごろかわからないが、とにかく千蔵は例の湖のそばへいっていたので、火柱を見たのである。湖のそばへいったわけは、息子の千二少年が、鰻を取りにいったまま、いつまでたってもかえって来ないので、心配のあまり、見にいったのであろう。そこで火柱を見たというわけだ。
(湖の中から火柱が飛出した)
 火柱は、湖の中から飛出したという。その火柱は、地面の上から出たのではなく、実に湖の中から立ったのであるというのである。湖の中から、なぜ火柱が立ったか。またその火柱は、一体どうしたわけで燃立ったのか。これについて、新田先生はすこぶる大胆な考えだったが、こう考えた。
 この湖の中から、火星ボートが飛出したのにちがいない。その火星のボートというのは、千二の見たという塔のような形をしたもので、それは全体がうす桃色に光っていたというから、それが湖の中から上へ舞上ったので、火柱に見えたのであろう。
 これは、すこぶる大胆な考え方だったけれど、そのように考えると、次の言葉の、
(あっ、火柱が飛出した)
 という意味が、ちゃんと合うのではないか。新田先生が、膝を叩いたのも道理だった。
 新田先生の面《おもて》には、喜びの色が浮かんだ。
 とにかくこれで、千蔵のうわごとから、一つの答えを得た。
(湖の中から、光る火星のボートが飛出した)
 というのが、その答えだ。
 はたして、この答えは正しいかどうか。
 火星のボートは、おそらく空中に飛去ったことであろう。
 一体、なぜ火星のボートは、湖の中にあったのであろうか。それは千二少年が語ったこと
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