の」
千二は、丸木の足のはやいのにおどろいた。さっきから、まだものの二十分とたっていないのに、はや東京の近くへやって来たというのだ。そんなばかげた話はない。千二は、丸木がうそをついているのだと思った。
丸木は、かまわず、どんどんと駈けつづけた。しばらくして、丸木はこえをかけた。
「おい千二、もう東京の中だ。買物をするのには、銀座がいいのだろうね」
「さあ、僕はよく知らない。だって僕は、そう幾度も東京へ来たことがないんだもの」
「なあんだ。お前は、こんな近い東京をよく知らないのか。とにかく、銀座へ出よう。さあ、このへんなら、人通りがないから、お前の目かくしを取るには、いい場所だ」
そう言うと、丸木ははじめて足をとめた。そうして袋の中にはいっていた千二は、丸木の肩から下された。
「今、中から出してやるし、目かくしもとってやるが、その前に一つ、きびしく言っておくことがある」
丸木は言葉のおしりに、力を入れて言った。
千二は、丸木が何を言出すかと、だまって、待っていた。
「いいか。忘れないように、よく聞いているんだぞ。ここでお前のからだを自由にしてやる。しかし買物が終らないうちに逃出したりすると、お前の命があぶないぞ。命が惜しければ、よく言うことを聞くんだ。わかったか」
千二は、丸木からおどかされて、ほんとうのところは、腹が立った。
(なにを、この野郎!)
と思った。千二少年も日本人である。むやみにおどかされて、それでおめおめ引込んでいるような、弱虫ではない。だが、この場合、千二は、丸木ととっくみあいをする時ではないと思ったので、
「僕、逃げたりなんかしないよ」
と答えた。
「逃げないと言ったな。よし、その言葉を忘れるな。ふふふふ。やっぱり人間という奴は、命がおしいとみえる」
と、丸木は、ふふふふと、鼻の先で笑いながら、千二を袋の中から、ひっぱり出した。
「さあ、ちゃんと立ってみろ。うしろを向いて、しっかり立てと言うんだ」
千二の足は、ふらふらだった。袋の中で、へんな工合に足をまげていたので、足が変になっていた。
丸木は、千二の頭の後で、ごとごとやっていたが、そのうちに、千二の目の中に、ぱっと夜の光が飛びこんで来た。
うつくしい広告灯の灯だった。銀座が、千二のすぐ目の前に立っていた。
「あっ、ほんとうにもう東京へ来たんだ。丸木さん、僕たちは、さっき千葉県にいたはずだけれど、どうしてこんなに早く東京へ着いたの」
「そんなこと、どうでもいいじゃないか」
すぐ横で、丸木のこえがした。
千二が、横をふりむくと、そこには、例の黒ずくめの服装をした丸木が、眼鏡をきらきらさせて、立っていた。
「さあ、薬屋へいくんだ。いいかね。逃げると承知しないぞ」
そう言って丸木は、千二の手を握った。
それは氷のように冷たい手だった。いや、丸木は革の手袋をはめているらしい。
二人の立っているところは、銀座裏の掘り割りのそばで、人通りはなかった。だからこの二人は、怪しまれることもなしに、こんな会話をすることが出来た。
「薬屋へいって、なにを買うの」
「ボロンという薬だ。ボロンの大きな壜を、二、三本買いたいのだ」
「ボロンを、どうするの。何に使うの」
「おだまり。お前は、早く薬屋をさがせばいいのだ」
6 悪人《あくにん》丸木《まるき》
丸木におどかされながら、千二は、賑やかな銀座の通に、ようやく一軒の薬屋さんを見つけて、その店先をくぐった。
千二は薬剤師らしい白い服を着た店員に、
「あのう、ボロンの大壜《おおびん》を二、三本売ってくれませんか」
と、おそるおそる言った。
「ボロン? ボロン? 硼素《ほうそ》のことですか」
「さあ……」
「白い粉末になっているやつでしょう」
「さあ、どうですかねえ」
千二は、何も知らないので、弱ってうしろをふり向いた。すると、店先で、他人をよそおっていた丸木が、
(それだ、それだ)
という意味を千二につたえるため、うなずいてみせた。千二は、元気づいて、
「ああそれですよ。白い粉末のボロンです」
「精製のものと、普通のものとありますが、どっちにしましょうか」
「さあ、精製のと普通のと、どちらがいいのでしょうかねえ」
千二は、またうしろをふり返った。すると丸木は、手を上にあげて、信号をした。精製の方のがいいという意味らしい。
「いい方を下さい」
「はい、承知しました。三本でよろしいのですね。では一本、ただ今二円三十銭ですから、三本で、六円九十銭いただきます」
「六円九十銭ですとさ」
千二は、丸木の方をふり返って、そう言った。
すると、おもいがけなく、丸木が急に、そわそわしだした。
たいへんあわてているのであった。彼はしきりに胸のところを叩いている。何かよほど困ったことがあるら
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