その言葉が終るか終らないうちに、しゅうしゅうとはげしい音が始った。蒸気がふき出すような音であった。
 それと同時に、袋の中に、はいっている千二の体は、ゴム毬が転がるように、ぐるぐるまわりだした。
「わっ、目がまわる!」
 目がまわって、胸が悪くなった。千二はよだれをだらだらと出した。
「丸木さん、僕は苦しいよ」
 千二はとうとう悲鳴をあげた。
 だが、その声は、しゅうしゅうという音にかき消されて、丸木の耳には達しなかったようである。丸木は、うんともすんとも返事をしなかった。
 どうなることかと、千二は気が気ではなかった。
 しかし、それはものの四、五分しかつづかなかった。しゅうしゅうという音がとまった。
「さあ、千二。外へ出るんだ」
 千二は、袋の中から出してもらえるのだとばかり考えていた。しかしそれはまちがいだった。千二は袋ごと、どさっと下におろされた。その時彼はひやりとした大地を感じた。そうして、ぴちゃりぴちゃりと、さざなみが汀《みぎわ》を叩くらしい音を聞いたと思った。
「ああ湖の近くだ」
 千二は、おぼえのある磯くさいにおいをさえ、かぎわけた。
「ねえ、丸木のおじさん。僕をちょっと外へ出して下さいよ」
「外へ出して、どうするんだ」
 丸木が、怒ったような声でたずねた。
「ちょっとうちへ寄っていきたいんです」
「だめだめ。そんなことはだめだ!」
 丸木は、あたまごなしに叱りつけて、
「これから東京へ出るんだ。しっかりつかまっていろ」
 外へ出してやるぞと丸木が言ったのは、千二を袋から外へ出すことではなかった。後になって考えて見ると、あの時千二は、湖の底から、何かある乗物に乗って、水面に浮かび出たものと思われる。それを操縦したのは、もちろん丸木にちがいなかったが、その乗物は、一体どんな乗物であったか、それをここに書くと、誰でもびっくりするであろう。
「さあ、出発だ。いいかね」
 丸木が、そう言うと、千二の体は、ふたたび袋の中でゆられ出した。しかし今度は、もうしゅうしゅうと音はしない。丸木が、千二のはいった袋を肩にかけて、歩き出したと思われる。
 丸木は、どんどん歩きつづけた。
「丸木さん、汽車に乗っていかないの」
 千二は、袋の中から声をかけた。
「汽車?」
 丸木は、ちょっと言葉を切って、
「汽車なんかをつかうより、歩いた方が早いや」
「うそばっかり」
 千二は、丸木が、汽車より早く歩けると言ったので、うそつきだと思った。
 しかし、これは後に、千二の考えちがいだったことがわかった。いや、妙な話である。たいへんな話である。
 袋の中にゆられながら、千二は、その間に、これまでのことをふりかえってみた。するといろいろと腑におちないことが、たくさん出て来た。
 中でも千二にとって不思議でたまらないのは、この丸木が、いつの間にか千二の名を知っていたことである。千二は、まだ一度も彼の名前を名乗らなかったし、服のどこにも名前は書いてないのだ。
 丸木というこのおじさんは、考えれば考えるほど、うす気味の悪いおじさんだ。
「ここには火星の生物がいるのだ」と、驚きもせずに言ったのも、丸木だった。
 千二を袋の中に入れ、それをかついで走る丸木という人物は、考えれば考えるほど、腑に落ちないところのある人物だ。どうしても、ただの人間とは思われない。
 千二は袋の中から、声をかけた。
「ねえ、丸木さん。おじさんは、なぜ火星のボートの中にいたの。僕が火星のボートの中で、目をさました時、おじさんは隣の部屋から出て来たでしょう。すると、おじさんは、僕より早くから、あのボートの中にいたわけね」
 丸木は、どんどんスピードをあげて、走り続けながら、
「こら、千二。よけいな口をきくものじゃないよ。だまっていなさい」
 と、叱りつけた。丸木は、たいへん気をわるくしているらしいことが、その声からわかった。
 千二は丸木に叱られて、しばらく黙っていた。しかし彼は、間もなくまた丸木に話しかけた。
「ねえ、丸木さん。今は、まだ昼かしらん、それとも夜かしらん」
「よく喋る子供だな。そんなことぐらい、きかなくても、わかるじゃないか」
 丸木の返事は、あいかわらず、ぶっきらぼうであった。
「僕には、昼だか夜だか、どっちだかわからないんですよ。だって、僕は、厳重な目かくしをされているんだもの」
「ああ、そうだったね」丸木は、ようやく思い出したらしい。「いまは夜だよ。外は、真暗《まっくら》で、どの家も戸をしめているよ。そんなことを聞いて、一体どうする気だ」
「そして今、幾時?」
「時刻か、さあ、幾時だかわからない」
「おじさんは、時計をもっていないの」
「時計? 時計なんか持っているものか。おい千二。東京へ近くなったから、もうお喋りしちゃならんぞ」
「えっ、もう東京の近くまで来た
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