った博士である。
それは、いくぶん大げさにいったのであろうが、それにしても、謎を出した御当人がいなくなっては、たいへん困る。
――大江山課長は、佐々がどんな返事をするかと、目をすえて待っている。
佐々は、課長が、家出か殺されたのかと急な問いをかけたので、鳩が豆鉄砲《まめでっぽう》をくらったように、目をまるくして、しばらくは口がきけなかったが、やがて、ごくりと唾《つば》をのんだ。
「ええええ、そ、それは……」
佐々は、あわてると、つかえる癖《くせ》があった。
「そ、それは――つまり、蟻田博士は、いつの間にか、天文室からいなくなったのです。机の上も、望遠鏡の位置も、博士がその部屋にいるときと、全く同じ有様です。天窓も、あけ放しです。ですから天体望遠鏡にも、机の上においた論文や本のうえにも、露がしっとりおりて、べとべとです」
「ふうむ、なるほど」
「だから、博士は、ちょっと便所にでもいくような工合に、行方不明になったんです」
蟻田老博士の行方不明!
「火星兵団」の謎を解く力のあるのは、自分だけだと、いばっていたその老博士が、とつぜんいなくなったのだ。
佐々刑事が、大江山課長に、今報告したところによると、博士の邸内にある天文室の様子は、ふだんとすこしも変らず、天窓はあけ放しになっていて、机の上にも、望遠鏡にも、露がおりているというのだ。
「博士が部屋から姿を消したのは、何時《いつ》のことかね」
と、大江山課長は、たずねた。
「それは、わかりませんよ。あの邸内には、博士一人が住んでいるだけなんですから、誰も知らないのです」
「ふむ、博士は一人で暮しているのか。じゃあ、食事などは、どうするのだろうか」
「食事は、外に食べにいったり、または、パンなどを買いためておいて、それを出して食べているらしいんですよ。私がさっきいった時も、包紙から、パンが顔を半分出していました」
博士は、よほどの変り者である。
「でも一日のうちには、誰か博士邸をたずねて来る者がありそうなものだ。たとえば、ガスのメートルを見るために、ガス会社の人が来るとか、洗濯物の御用聞がやって来るとか、そんな者が、ありそうではないか」
「さあ、どうですかな。今後の調べを待つほかはありませんね」
「ふうん、そいつは弱ったね」
と、課長は眉の間に、しわをよせて、考えこんだ。
「どうしますか。ラジオ自動車隊へ、すぐ手配をしてはどうですか」
「いや、そんなことはしない方がいい。おい佐々。君、案内してくれ。僕がいって、一つよく、調べてみよう」
「えっ、課長と私と二人きりで……」
「そうだ」
と、課長はうなずき、
「それから博士の失踪のことは、当分世間へは秘密にしておくのだ」
4 わからない話
蟻田老博士の行方不明になった事件は、新聞にも出なかったし、ラジオのニュースでも放送されなかった。
そのわけは、主として大江山捜査課長のふかい考えで、世間には知らせない方がいいということになったのである。報道禁止命令が、新聞社へも放送局へも発せられた。そうして、課長の部下は、老博士の行方をつきとめるために、四方八方に散って、大活動を始めた。
だが、老博士の行方は、いつまでも、なかなかわからなかった。
そのうちに、二十日《はつか》ほどの日数が過ぎてしまった。ちょうどそのころ、読者もまだよくおぼえておられることと思うが、あの天狗岩事件が起ったのである。
天狗岩事件といえば、友永千二少年が、夜釣にいく途中、はからずも天狗岩の上に、怪しい物体が飛んで来たのを見つけ、それから彼は勇敢にも、天狗岩へ上ったところ、怪しい者に組みつかれ、もみあううちに、両方もろとも、天狗岩をすべって、どぼんと湖の中に落ちてしまった事件のことだった。
だから、その当時、蟻田老博士は行方不明のままだし、そこへ持って来て千葉県下の出来事ながら、奇怪な天狗岩事件が持上ったわけである。この二つの怪事件の間には、何かつながりがあるのか、どうであろうか。
いや、それよりも、友永千二少年は、その後どうなったのであろうか。湖の中に落ちて、そのまま溺れ死んでしまったのであろうか。
千二少年は、生きていた。
彼は今、ふと我に返った。とたんに感じたことは、なんだか、大変長い夢を見つづけていたということであった。
「ああっ――」
千二は、うす眼をひらいた。
「ああっ――」
千二少年が、正気をとりもどしたときに、まずはじめて感じたものは、においだった。それはじつに異様なにおいだった。
彼は、くすんくすんと鼻をならして、そのにおいが、なんのにおいであるかを知ろうとした。だが、彼のおぼえているものに、そんなにおいのするものはなかった。しいて、それに似たにおいをさがしてみると、牛小屋の傍《かたわ》らを通ったときの、
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