の生物は、何をたべるかね。何が好きだろうか、それを教えてくれ」
「……」
 これには河合二郎も、遂に返事につまってしまった。
 さて、一同の乗った宇宙艇はいよいよ火星に近づき、その引力圏内に入った。それはいいが第一の難関がやってきた。それは宇宙塵圏のことである。本艇は果してこの危険圏を安全に通りぬけることができるであろうか。何しろ人類にとって全く前例のないことだけに、デニー老博士も非常に心配している。
 運命の危険圏への突入は、あと僅か五時間後に迫っている。


   近づく危険圏


 よく熟れた杏《あんず》のような色をして、小山のような火星が、暗黒の宙に浮いているその姿は、凄絶きわまりなき光景だった。ネッド少年は、いよいよ気が滅入ってきて、口をきくことがだんだん少なくなった。
 近頃ではネッドばかりではなく、山木健までが元気を失い、おびえたような顔をしているのだった。そして展望室へちょいちょいでてくるが、ほんの僅かの時間しかそこにはいないで、でていってしまう。
 河合が心配して山木に話しかけた。
「山木君。なぜそんなに元気がなくなったんだろうね、君は……」
「うん、どうも身体の具合がよくないんだよ。熱もないんだが、ひょっとしたら、あのせいじゃないかな」
 と山木は顎《あご》をしゃくって、窓外を示した。そこには火星が大きく視界を遮《さえぎ》っていた。
「ああそうか、君もやっぱり宇宙性神経衰弱にかかっているんだな」
「えっ、宇宙性神経衰弱だって」
「そうなんだ。この病気は、大宇宙のあまりに神秘な、そしてすさまじい光景にぶつかって、僕たちの心がひどく圧迫せられる結果起る病気なんだ。君もそうなんだろう。あのとおり火星は化け物のように大きく天空にかかって僕たちの前に立ちふさがっている。あれが気持よくないんだろう」
「うん、そういわれると、そうかもしれない。たしかに火星を見ていると気が変になりそうで仕方がない。あの大きな物体が、なぜ落ちもしないで宙に浮かんでいるんだろう。ああいやだ。僕はとうとう火星に負けちまったようだ」
 山木はそういって、両手で自分の眼を覆《おお》った。河合は同情して、友を極力《きょくりょく》はげました。
「もうすこし経てば、気持のわるいのが直るよ。今が一等いけないんだ。つまり今は、火星が大きな球として見えているから、どうして下へ落ちないのかと気持が悪くなったり、お月様の化け物のように感じたりして、どうもよくないんだ。もうすこしたてば、いよいよ火星は大きく広がって、飛行機に乗って空から地球を見下ろしたときと同じようなことになる。そうなれば、何でもなくなるのさ」
 河合は、うまい説明で山木を慰めた。だが河合も、決していい気持でこの凄絶な天空の光景を眺めているわけではなかった。彼もまたその異景に圧倒されまいと一生けんめいに自分の精神を鼓舞《こぶ》しているわけだった。
 午後八時、宇宙艇はついに問題の宇宙塵圏内にとびこんだ。
 操縦室には、艇長デニー老博士を始め数人の技術者たちがつめかけ、全身を神経にして、どんなことが起るかと待ちかまえていた。
 博士の前に、四角な枡型《ますがた》の写真が六個、縦に四個左右に一個|宛《ずつ》、花のようにならんでいた。よくみるとその写真には、火星の表面やきらきら輝く無数の星がうつっていた。また曲面を持った舷のようなものもうつっていたが、これは本艇の一部であると分った。この写真は美しい蛍光を放って、画面はむしろ明るかった。そしてこの写真はなおよく見ると、それが少しずつ動いているのが分る筈だ。これこそテレビジョンの映写幕である。本艇外の様子が、前後上下左右の六方面においてテレビジョン装置によって映写幕へうつしだされているわけだ。
 しかも映像は、肉眼で見るよりずっと明るく物の識別ができた。これはこのテレビジョン装置が、赤外線に対し非常に敏感にできるためである。つまり夜もよく見える猫の目のようなテレビジョン装置である。老博士は、絶えずこの六つの映写幕の上に深い注意を払っていた。
「博士、見えますか、宇宙塵は……」
 マートン青年が、博士へ声をかけた。この青年は今日は特別に舵輪を操っている。舵輪台は博士の後方の一段高いところにあり、鉄管で編んだ球の中に、彼と舵輪とが入っていて、さらにその鉄管球は二つの大きな鉄の輪で支えられている。これは艇がどんな方向に傾いても、操舵者と舵輪はじっと空中に停止していて、すこしの変位もしないようにこしらえてあるわけだ。
「うむ、宇宙塵の渦巻は黒い帯のように見えるが、個々の宇宙塵はまだうつっていないよ」
 博士は、そう応えて、さらに映写幕に顔を寄せた。
「まだ宇宙塵の入口だから、あまり衝突する塵塊《じんかい》もないのでしょうね」
「そうだろう、しばらくは、宇宙塵の流れに乗って、同じ速さで飛んでみよう。もし急いでこの宇宙塵の渦巻を突切ったりしようものなら、本艇はものすごい塵塊に衝突して、火の玉となって燃えだすであろう。しばらくは我慢する外《ほか》はない」
 博士は、忍耐の時間がきたことを、マートン技師に説明した。
 こうして二時間ばかりを、本艇は何事もなく至極《しごく》平穏《へいおん》に送ったのであった。その間に、火星の表面は、すこしばかり西へ位相を変えた。火星の極冠は、いつも眩《まぶ》しく、一つ目小僧の目のように輝いている。その他のところは、或いは白く、或いは黒く見えているが、黒いのは多分陸地で雪のないところにちがいない。そしてその陸地はいくつも点々として存在しそして蜘蛛《くも》の巣のように、直線的なものでつながれているように見える。火星の運河というのは、そのことであろうが、果して運河であるか、どうか、それはもっと先にならねば分らない。
「あっ、四象限《よんしょうげん》へ舵一杯!」
 突然、老博士が叫んだ。と同時に、操舵席のマートン技師の前に、赤い警告灯がつき、そしてその下を、電光ニュースのように数字の列が流れた。
「はいっ、四象限へ舵一杯」
 と、マートン技師は舵をうんと引き、それから、流れる数字に従って舵を合わせた。この数字は安全航跡を示すもので、例のテレビジョンが自動的に測ってしらせて寄越すものであった。
 それはよかったが、次の瞬間、艇ははげしく鳴り響き、そして震動した。
「落着いて、マートン。四象限へ舵一杯、もっと一杯」
「はい、もっと一杯、引いていますが、これで一杯です」
「あっ、危い!」
 どど……ん。怪音と共に艇はぐらっと傾いた。そして二三度宙に放りあげられた感じであった。と、停電した。室内は応急灯だけとなり、人々の不安にみちた横顔へ深い影を彫りつけた。河合少年も、その中の一人だった。一体どうしたのであろうか。


   遂に大混乱


 操縦室の一同が、不安の底に放り込まれたとき、天井の高声器から、ひどくあわてた声が響き渡った。
「艇長。ピットです。第三舵が飛ばされてしまいました。宇宙塵塊のでかいのが、あっという間にその舵をもぎとってしまったのです。総員で応急修理中ですが、当分第三舵はききませんよ」
「ああ、わかった。元気をだして、できるだけ早くやってみてくれ」
 第三舵の損傷が報告された。こうなると本艇の操縦はむずかしくなる。が、今の気味のわるい震動が第三舵の損傷だけで終ったのだろうか。それならばまだ運の強い方だ。
「艇長。地階八階に大きな穴があきました。二十トンもある塵塊がとびこんできたのです。幸いに乗組員には異状はありませんが、燃料をかなりたくさん持っていかれました」
 深刻な報告が、高声器からとびだした。燃料を持って行かれたという。地階八階に大穴があいたともいう。これはどっちも本艇の安危に直接の関係がある。
「おい、グリーンだな」と老博士はマイクへ叫んだ。
「で、本艇は空中分解の危険があるだろうか」
「今のところ大丈夫でしょう。その二十トンの塵塊は反対の艇壁をつきやぶって外へとびだしてしまいましたから、まあよかったです」
「燃料の方は、どうか。本艇の航続力はどの程度に減ったか。このまま火星へ飛べるだろうか」
 老博士は心配をかくしもせず叫んだ。
「火星までは大丈夫行けましょう。しかし……」
 そこでグリーンの声が切れる。
「しかし……どうしたんだ、グリーン。はっきりいえ」
「はい」グリーンは絞めつけられるような声をふりあげ、
「しかしもはや地球へ戻るだけの燃料はなくなりました。まことに遺憾です」
 と、悲しむべきしらせをよこした。
「なに、もう地球へは戻ることはできないのか」
 さすがのデニー老博士も愕然《がくぜん》とした。
 これを聞いたとき操縦室の一同は誰も皆、目がくらくらとした。遂に最悪の事態となったのだ。地球へ戻れないとは、ああ何という情けないことだ。
 だが、一同はこの悲しむべきでき事のため、さらに悲しんで涙にむせんでいる暇はなかったのである。そのわけは、冷酷なる宇宙塵の数群が、すぐそのあとに引続いて本艇を強襲したからであった。
 艇内は混乱の極に達した。はげしい震動が相ついで起った。艇はいまにもばらばらに分解して四散しそうであった。艇内を、ひゅうんと呻《うな》ってすごい速力で飛び交う塵塊があった。それは艇内の大切なる器物を片端からうちこわしていった。
 乗組員たちは唯も[#「唯も」はママ]自分の仕事の場所を守ることができなかった。マートン技師でさえ、もう何をすることもできない。応急灯は消えそのうちに彼を護っていてくれた鉄管の籠が塵塊のためひん曲げられ、もはやその能力を発揮することができなくなった。そのために彼は、他の乗組員と同じように乱舞する宇宙艇といっしょに振り廻されていた。
 河合少年は、部屋の隅へはねとばされ、器械の枠《わく》の間に狭まれてしまった。そのうちに頭が下になり、足が上になったので、その枠から外《はず》れそうになった。彼はおどろいて枠にすがりついた。それから智恵をしぼって、手に挾まったロープで自分の身体を枠にしばりつけた。
 ほっと一息ついて、皆の様子をうかがうと、あっちでもこっちでもものすごい怒号《どごう》と叫喚《きょうかん》ばかり。それでいて人影は一向はっきりせず、その代りに、しゅっと青い火花が閃《ひらめ》いたり、塵塊らしいものが真赤になって室内を南京花火のように走り廻ったりするのが見え、彼の胆《きも》をそのたびに奪った。
 彼は、仲間の三少年がどうしているだろうかと心配した。誰も声をかけて彼を尋ねてきてくれないところを見ると、皆死んでしまったのではなかろうか。いや、彼さえこの器械の枠の間から動くことができないんだから、彼の友だちもそれぞれどこかへつかまって、ふるえているのではなかろうか。とにかく何とかしてデニー博士以下われらの生命を助けたまえと、ふだんは我慢づよい河合も遂《つい》に神の御名《みな》を唱《とな》えたのだった。
 河合少年の祈りが神様のお耳に届いたせいでもあったろうか、さしもの大椿事《だいちんじ》も、ようやくにおさまった。あの耳をうつ震動音の響もいまはどこへやら。また怪物のようにひゅうひゅう飛びまわった火の玉の塵塊も、今は姿を見せなくなった。そして艇は、以前のように安全状態に戻ったのであった。
「おーい。生きている者は、こっちへ集ってこい」
「おう、今行くぞ」
 乗組員の呼び声が、ぼつぼつ聞え始めた。それはたいへんお互いを元気づけた。
 河合少年は、もう大丈夫だと思ったので、自分の身体を巻いていたロープを解き、自由になった。久し振りに床を踏んだが、足はふらふらで、その場に尻餅をついてしまった。
「おうい、河合少年、しっかりしろ」
 誰かが彼に呼びかけた。
 誰だろうと、声のする方を見上げると、それはマートン技師だった。彼は横に傾いたまま、舵輪を握って、艇の針路を定めていた。
「ああ、マートンさん。怪我はなかったんですかねえ」
「ああ、何ともないよ。どうだ恐ろしかったか」
「ええ、びっくりしましたよ。で、本艇はだいぶやられたようですか、無事に飛んでいるのですか」
「さあ何といっていい
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